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新世代ヴォーカリストが歌う〈グレイト・アメリカン・ソングブック〉

 ステラ・コールの新作『It’s Magic』は、グレイト・アメリカン・ソングブック集だ。中にはジャズ・スタンダードとして知られる曲があるが、ステラ自身はジャズをバックグラウンドに持つシンガーではない。彼女が敬愛している歌手は、ジュディ・ガーランドやバーブラ・ストライサンド。だから『It’s Magic』では、主に1940年代から60年代までのミュージカルや映画などのために書かれたポピュラー・ソングを、ストリングスを含む編成で歌っている。

STELLA COLE 『It’s Magic』 Decca(2025)

 そんなステラは、2歳の時からイリノイ州スプリングフィールドで育った。リンカーン大統領が暮らした町で、旧州会議事堂や博物館が多く、有名なルート66沿いにある。このようにスプリングフィールドは歴史的な町だが、いわゆるスモールタウンだ。

 「スプリングフィールドは州都とはいえ、シカゴまでは電車で3時間くらいかかります。だからシカゴで演劇を観たり、ショッピングしたりして、地元に戻らなければならないときはすごく悲しかった。地元ではジャズなんてほとんど聴いたことがなかったし、プロの俳優や芸術家の知り合いは一人もいませんでした。だから自分がニューヨークに出て、プロの歌手になることは叶わぬ夢だと思っていました」

 ステラは、2歳の時にミュージカル映画「オズの魔法使」をきっかけにジュディ・ガーランドに魅了され、15歳の頃にはすでにかなりのミュージカル・オタクだったという。

 「私は昔からコンピュータの音より生の楽器の音が好きで、当時から流行の曲より昔のミュージカルやポピュラー・ソングに惹かれていました。両親はノラ・ジョーンズやジェイムス・テイラーなどを聴いていたけど、楽器は弾けないし、歌いもしない。でも、私はこうして音楽をやっています。今から振り返ってみると、スプリングフィールドのような歴史的なスモール・タウンで育ったからこそ、私のような昔のポピュラー・ソングを歌うシンガーが出たのだと思います」

 ところが、ステラはシカゴ郊外にある名門ノースウェスタン大学で、音楽や歌ではなく、演劇と国際関係を専攻した。

 「ノースウェスタン大学を選んだのは、学業面で非常に高い評価を受けているだけでなく、素晴らしい演劇プログラムも備えているからです。ただし、その頃の私は世界政治や歴史にもずっと関心を持っていて、将来は弁護士か外交官になるつもりでした。だから一日中タップダンスや歌を習うような所には行きたくなかったし、演劇の授業よりも、学問的な授業のほうが、ずっと多くのことを学んだと思います。というのも、演技の先生はいつも私に、面白くて知的な人間であることが、素晴らしい俳優になるための鍵だと言っていました。演技の勉強をすることより、美術館に出かけたり、外国に行ったり、色々な人たちと出会ったりすることの方がより重要だと。それは、まさに真実だと思うのです」

 『It’s Magic』は、1950年に書かれた“ティル・ゼア・ウォズ・ユー”で幕を開ける。57年にブロードウェイ・ミュージカル「ザ・ミュージックマン」の劇中歌として使用され、62年の同名映画にも使用された。ビートルズがカヴァーした唯一のブロードウェイ・ミュージカルの劇中歌でもある。

 「当初はアルバム・タイトルを、“Till There Was You”にするつもりでした。今回のアルバムは、かつてナット・キング・コールやフランク・シナトラが作った、聴き手に高揚感を与えるようなストリングスをフィーチャーしたバラード集にしたかったのです。そして恋に落ちること、それに伴う喜びや複雑さ、恐れ、不安といったものを歌った作品にしたかった。私にとって“Till There Was You”は究極のラブソングで、これほどロマンチックな曲は他にないと思います。この曲は魔法のような恋を歌ったものだし、『It’s Magic』はまさに魔法のようなアルバムだと思っています」

 


ステラ・コール(Stella Cole)
アメリカ・イリノイ州出身のヴォーカリスト。ジャズのスタンダード曲やグレイト・アメリカン・ソングブックの楽曲を巧みに解釈した演奏で知られ、透明感と包容力を併せ持つ歌声が魅力。2歳の時に観た映画「オズの魔法使」をきっかけに往年のスタンダード・ナンバーの虜になり、歌手を志して名門ノースウェスタン大学で学ぶ。ソーシャル・メディアを通じて大きな人気を獲得し、その後ニューヨークを拠点に本格的な活動を開始。グラミー賞も受賞したマット・ピアソンがプロデュースを手がけたデビュー作『Stella Cole』が話題となり、来日も果たした。