〈もしもーし、聞こえてる?〉というフレーズを合図に皆が軽快に踊り出す──SNSを中心にモデルやインフルエンサーとして活動する楽音(ささね)の初のオリジナル曲“mosi mosi?”を用いたダンス動画を、きっと一度は目にしたことがあるはずだ。

今も世界規模でバイラルヒット中の同曲を手がけたのが、向田民子である。〈未だ平成を生きる音楽家〉を名乗る謎多きアーティストは、いかにして“mosi mosi?”を生み出したのか。向田本人の素顔にも迫るべく、メールインタビューを行った。


 

“mosi mosi?”を手がけた〈未だ平成を生きる音楽家〉

──向田さんが手がけられた楽音さんの“mosi mosi?”ですが、今年4月末の時点でTikTokでの総再生回数が4億回を突破したそうです。しかも日本だけでなく韓国や東南アジア、北米にいたるまで世界各国で聴かれていて、まさにグローバルヒットしています。率直にこの状況をどう捉えていますか?

「規模が大きすぎて、未だに実感が湧いてないです(笑)。ここまでくると、楽曲の力だけで到達できる数字ではなく、楽音ちゃんの魅力もそうですが、楽曲で遊んでいただいた多くのユーザー、クリエイターの皆さんの影響力がかけ算となって、ここまで来られたんだよな、とは思っております。本当に、“mosi mosi?”に触れてくれた全ての方に感謝しています」

──“mosi mosi?”については後ほどまた伺うとして、まずは向田さん自身のことについてお聞きしたいです。アーティスト活動を始められたのはいつ頃でしょうか? また、始めるきっかけのようなものがあれば教えていただきたいです。

「向田民子としての活動を始めたのが2023年の春頃となります。〈そろそろやるか……!〉と思い、重い腰を上げました」

──SNSのプロフィールにある〈未だ平成を生きる音楽家〉という文言が気になりました。これは向田さんが平成のカルチャーや音楽に影響を受けているということでしょうか? また、平成のどんなところに魅力や憧れを感じていますか?

「仰るとおりです。平成のカルチャーについては、平成レトロとかY2Kとか、色々分かりやすいワードはありますけど、とりわけ平成一桁の時代感には強く影響、というよりは憧れがありますね。年齢的にその時代の文化に直に触れたわけではないのですが、音楽や映像、両親の話などから、当時の日本のバブリーな空気感には魅力を感じていました。私の価値観にそれらがどう映っているのかは、私の作品たちを聴いていただけると分かりやすいかと思います」

──以前〈2025年注目の新人邦楽アーティスト〉特集で個人的に紹介もさせていただいた“花束の中に”は、TikTokで制作過程も公開されていますね。プラグインであったりDTM周りにはかなり詳しい印象ですが、どのようにして習得されたのでしょう?

「ヒミツです」

@tamico_desuga 平成レトロな曲の作り方! #オリジナル曲 #dtm #雰囲気 #平成 ♬ オリジナル楽曲 - 向田民子 - 向田民子 / Tamico Mukoda

 

Perfume、NUMBER GIRL、森田芳光……向田民子を構成する作品

──影響を受けたアーティストや楽曲などがあれば教えていただきたいです。もしくは映画や本などでも構いません。

「原体験で言えば、Perfumeの“ポリリズム”かもしれません。小学生の頃に初めて聴いて衝撃を受けて、すぐにCDを借りに行ってずっと聴いていました。今にしてみれば、私の渋谷系的なエッセンスはそこで仕込まれていたんだと思います。

それから10代の後半でNUMBER GIRLの“OMOIDE IN MY HEAD”に出会いました。私の故郷である地方都市の風景と、彼らの持つ90年代末期の陰鬱な寂寥感が何故かすごくマッチしていて。通学しながらほぼ毎日聴いていましたね。

音楽の話からは少し外れますが、同時にこの頃、映像が持つノスタルジーにも惹かれていきました。授業中に流されるやたら古い教則ビデオの不自然な間とか、森田芳光監督の映画『(ハル)』のような、ざらついたどこか冷ややかな空気感というか……。

森田芳光, 深津絵里 『(ハル)』 バンダイビジュアル(2002)

そうした感覚を持ったまま、80〜90年代のポップスまで掘り下げていき、今井美樹さんに出会いました。そこからはUNICORNをはじめとしたバンドやシティポップなど、とことん漁っていって……すみません、正直ここでは全て語りきれません。

洗練されたポップス、ざらついた風景、古い映像の不気味さ――私の音楽は、そうした時代やカルチャーがいびつにねじれた場所で鳴っているんだと思います」