美輪明宏が91歳で死去した。

美輪の所属する株式会社オフィスミワの発表によれば、6月20日の午前9:30に息を引き取ったという。美輪の公式サイトでは、訃報とともに生前残していた直筆メッセージも掲載されている。

訃報

突然のご報告となりますが、弊社所属の歌手で俳優の美輪明宏が、
六月二十日午前九時三十分、老衰のため九十一歳で永眠いたしました。
生前は多くの皆さまから格別のご厚情を賜り、
いつも温かく支えていただきましたこと、
本人ならびに弊社社員一同、
心より感謝申し上げます。
なお、葬儀告別式につきましては
本人の意向により近親者のみで執り行いました。
お別れ会や偲ぶ会の予定はございません。
誠に勝手ながら、ご香典ご供花につきましては
辞退させていただきます。

この一年は、高齢のため仕事をセーブし、
体力の回復に努めておりました。
約三ヶ月前に体調を崩してからは、
自宅で静養しておりました。
最後は「ありがとう」と一言感謝の言葉を伝え、
静かに目を閉じました。
都内で営まれた告別式には、
本人が好きだった黄色いバラを祭壇に飾り、
棺には応援してくださったファンの皆さまからの
お手紙を納めました。

生前の美輪明宏から直筆のメッセージを
預かっております。
直筆のメッセージ

こんな世の中を生き抜く武器は愛の言葉しかありません。この世のすべての問題を解く鍵は愛です。愛があれば戦争なんか起こりません。美輪明宏
世界各地で戦争や災害が起き、
地震や洪水など大きな災害も後を絶ちません。
そのたびに多くの尊い命が理不尽に奪われる悲しい世の中になってしまいました。
日本国内でも闇バイト、通り魔、
SNSによる誹謗中傷など、
平気で人を殺めたり、傷付けたりする事件が
増えているようです。
美輪の願いは、この世からあらゆる差別、
偏見をなくし、
すべての人が平和で明るく楽しく生きていける
共生社会の実現でした。
その願いを込めたメッセージです。
本人が常々口にしていた言葉です。

令和八年六月二十八日
株式会社オフィスミワ一同

美輪明宏(本名:丸山明宏)は、1935年5月15日に長崎・長崎市で生まれた。出生時は寺田臣吾という名だったが、母の実家へ養子に出された際に丸山臣吾へと改姓している。

1945年8月、第二次世界大戦の最中、当時10歳だった美輪はアメリカによる長崎市への原爆投下を体験。その後、15歳となった美輪は国立音楽高等学校(現:国立音楽大学附属高校)に進学するため上京する。この時期に学校の教員の勧めもあり丸山明宏へと改名した(1971年には美輪明宏に改名)。

高校中退後、16歳にしてプロの歌手として活動を始めた美輪は銀座7丁目にあったシャンソン喫茶の銀巴里に出入りするようになる。この時期に三島由紀夫、大江健三郎、遠藤周作、寺山修司、なかにし礼といった多くの文化人の目に留まり、その名を広めていった。

1957年、フランスのシャンソン曲“メケ・メケ”を自らで邦訳しカバーした。その美貌とユニセックスなファッションなども注目の的となり“メケ・メケ”は大ヒット。当時22歳にして一世を風靡する。

“メケ・メケ”で一躍時の人となったものの、同性愛の公表や旧来のシャンソンを愛する人々からの強い反発を受け人気は停滞、不遇の時代を迎えることとなる。だが、この時期に自らで作詞作曲を行うようになり、数々の名曲を制作していく。

不遇の時期が続くなか、中村八大らの助力によりリサイタルを開催。ステージはすべて自作曲で構成され、シンガーソングライターの先駆けとして活躍した。1964年には“ヨイトマケの唄”を初めてステージでパフォーマンス。翌年、テレビなどで同曲が取り上げられたことを機にキングレコードからシングルレコードがリリースされた。

しかし、“ヨイトマケの唄”は歌詞に差別的な用語が含まれていたこともあり、要注意歌謡曲に指定され民放では放送禁止の扱いを受けてしまう。その後、放送禁止の規定を行う制度自体は効力を失ったものの、“ヨイトマケの唄”は長らくメディアで取り扱いにくい楽曲として認識されていった(NHKのみ放送禁止の対応は取らなかった)。

1990年代に入り、泉谷しげるがカバーしたバージョン(1998年作、村上“ポンタ”秀一『Welcome To My Life』収録)がテレビで放送されたほか、2000年には桑田佳祐が自身の番組で歌唱したことなども契機となり、以降は多くの民放メディアが普通に同曲を取り上げるようになった。2012年、「NHK紅白歌合戦」に初出場を果たした美輪は、“ヨイトマケの唄”をほぼフルコーラスで披露した。

俳優としても活躍した美輪は、1967年に寺山修司が美輪のために書き下ろした舞台「青森県のせむし男」や「毛皮のマリー」で主演を担当。また、江戸川乱歩原作、三島由紀夫が脚本を手がけた舞台「黒蜥蜴」での好演が話題を呼び、同作は1968年に深作欣二監督によって映画化、クエンティン・タランティーノらにも影響を与えた。その後も映画「黒薔薇の館」(1969年)やドラマ「雪之丞変化」(1970年)などでも主演を務めている。

また、宮崎駿監督のアニメ映画「もののけ姫」(1997年)ではモロの君の声優を担当。以降も「ハウルの動く城」(2004年、荒れ地の魔女役)、「劇場版ポケットモンスター ダイヤモンド&パール アルセウス 超克の時空へ」(2009年、アルセウス役)に出演するなど声優としても多くの印象的な役をこなした。

そのほか「オーラの泉」「ありえへん∞世界」などの地上波バラエティにレギュラー出演し、朝ドラ 「花子とアン」(2014年)ではナレーションを務めるなど2000年代以降は俳優や歌手だけでなくマルチに活躍した美輪明宏。壮絶な体験、ジェンダーの壁など様々な困難を乗り越えながら愛を伝え続けた表現者として、この先も作品を通して多くの人たちの心に語りかけていくだろう。