数々のディープな名曲を残したマイアミ・ソウルの偉人

 マイアミ・ソウルを代表するシンガー/ソングライター、鍵盤奏者として知られるラティモア。1939年9月7日生まれで、本名はベンジャミン・ラティモア。ソウルとブルースを行き来しながら南部フィーリング溢れる楽曲をリリースし、ヘンリー・ストーンが主宰するTKのサウンドメイキングにも関わった彼は、地に足の着いた活動で信頼と実績を重ねてきた。70年代以降のサザン・ソウルへの貢献は絶大で、特にTK系列のグレイズから発表したアルバムや楽曲には、ソウル史に名を刻むものも少なくない。2017年には〈ブルースの殿堂入り〉を果たし、その後もライヴ活動を行なっていたが、そんな南部の漢も、今年8月、86歳でこの世を去ってしまった。

 ファースト・アルバムを出したのは73年。だが、当時30代半ばだったラティモアには、その時点ですでに10年以上の音楽キャリアがあった。テネシー州チャールストン出身の彼は、地元の聖歌隊を経て、ナッシュヴィルにあるテネシー州立大学で本格的に音楽活動を開始。カントリー音楽も好んでいたという。やがてルイ・ブルックス&ヒズ・ハイトッパーズのリード・シンガーとなり、ジョー・ヘンダーソンのバンドにもピアニストとして加入する。このバンドで、当時ポップ・アイドルとして人気だったスティーヴ・アレイモのバック演奏を務めたことが縁となり、アレイモのビジネス・パートナーであるヘンリー・ストーンと繋がった。そうしてマイアミへ移住した彼は、現地のクラブなどでギグをこなし、65年にヘンリー・ストーンと契約したことで、マイアミ・ソウルのシーンで頭角を現していく。

 66年以降、アレイモの後押しを受け、ブレイド、デイド、ダッシュなど、後にTK系列となるレーベルからシングルを発表。当時はベニー・ラティモア名義だった。その後、ラティモアと名乗り、グレイズからアルバム・デビュー。同レーベルでは80年までに6枚のアルバムをリリースし、この時期に代表曲となるブルージーで哀感漂うバラード“Let’s Straighten It Out”(74年)が生まれた。R&Bチャート1位を獲得し、ポップ・チャートでも健闘した同曲は、感情を滲ませたビターな歌声を含めて徹底してディープで、自身が弾くエレクトリック・ピアノの揺らめく音色と共に、無骨でありながらジェントルな音楽スタイルを世に知らしめている。同時に、ポップ・フィールドにも届く親しみやすさを備えていたことが人気に繋がった。

 ディスコ・ブームの一翼を担ったTKに籍を置きながら流行におもねることなく、ディープな楽曲を淡々と歌い続けたラティモア。そんな彼だけに、かつてTKが配給していたマラコへの移籍は必然だったとも言える。サザン・ソウルやブルースのモダン化を進めるマラコの方向性はラティモアのブルージーネスと深く響き合い、ここでも滋味深いアルバムが誕生。96年に系列のJ・タウンから出した作品も含めると、マラコでは2000年までに9枚のアルバムを発表。その後はメル・ウェイターズ主宰のブリトニー、ヘンリー・ストーンと立ち上げたラトストーンなどから作品を出していく。一方で、セッション仕事として、ジョス・ストーンの初期アルバムにベティ・ライトやティミー・トーマスといった元TKの仲間たちと共に参加し、鍵盤を披露していたことも忘れ難い。

 2013年にレイ・チャールズのカヴァー集『Latimore Remembers Ray Charles』を出したラティモアは、南部出身でカントリーにも影響を受けたピアノ弾きのシンガーとしてレイをお手本にしていたのだろう。彼もまた、ソウル界に名を残す〈ジーニアス〉であったと改めて思う。

ラティモアが参加した作品を一部紹介。
左から、リトル・ビーヴァーの72年作『Joey』(Cat)、ベティ・ライトの73年作『Hard To Stop』(Alston)、ボビー・コールドウェルの78年作『Bobby Caldwell』(Clouds)、ジョス・ストーンの2003年作『The Soul Sessions』(S-Curve)、グウェン・マクレーの2006年作『Gwen McCrae Sings TK』(HSM/Solid)

 

ESSENTIALS
ラティモアの定番アルバム

LATIMORE 『Latimore』 Glades/Solid(1973)

既発シングルも収めた初アルバムは、T・ボーン・ウォーカーで有名なブルース“Stormy Monday”のジャジーな解釈やグラディス・ナイト&ザ・ピップス名曲へのアンサー“If You Were My Woman”など、カヴァーやリメイクで固められた。制作はスティーヴ・アレイモだが、アル・クーパーの“Jolie”と“(Be Yourself) Be Real”はアル本人を制作と鍵盤演奏に招き、情熱的な渋声で歌い上げる。

 

LATIMORE 『Let’s Straighten It Out - More, More, More, Latimore』 Glades/Solid(1974)

ボビー・ブランドで有名な曲などのカヴァーに加えて、オリジナルも収めた2作目。本人の鍵盤プレイが光る自作バラード“Let’s Straighten It Out”が大ヒットし、後にモニカがアッシャーを迎えてカヴァーするほどの人気曲となる。スティーヴ・アレイモと書いた“Put Pride Aside”はポップだが、ウイリー・ヘイル作のブルージーなバラードもメロディカを鳴らしながら歌い、独自のスタイルを提示した。

 

LATIMORE 『It Ain’t Where You Been... It’s Where You’re Goin’』 Glades/Solid(1976)

グレイズからの4作目。ジョージ・マックレー“I Get Lifted”のカヴァーを除く全曲が自作(共作含む)で、全編にラティモア印を刻み込んだ一枚だ。ヒットしたミディアム・アップの“Somethin’ ’Bout ’Cha”などディープな中にも洗練を感じさせ、エレピの音が際立つ“Sweet Vibrations”のようなメロウ・グルーヴの名曲も誕生。ブルージーなバラードも上々で、代表作と呼ぶに相応しい。

 

LATIMORE 『Dig A Little Deeper』 Grades/Solid(1978)

マッスル・ショールズ・リズム・セクションの演奏とブランディの女声コーラスを従えた5作目。“Out To Get ’Cha”などにディスコの影響も見え隠れするが、バラードの“Dig A Little Deeper”など持ち前のディープネスは変わらず、歌はスケールを増した。ジョージ・ジャクソン作のカントリー風、バリー・ホワイト路線のステッパー、ブルースに変換したロッド・スチュワート名曲のカヴァーも快唱。

 

LATIMORE 『Getting Down To Brass Tacks』 Grades/Solid(1980)

スティーヴ・アレイモの手を離れ、マーシャ・ラドクリフと共同制作したグレイズでの最終作。共作を含めて全曲が自作で、ホーン隊やローズ・チャルマーズ&ローズのコーラスを従えたミディアム〜アップが目立つが、ディスコには染まらず、“Discoed To Death”などディープ・ソウルのモダン化に成功している。ベースのジョージ“チョコレート”ペリーなど、マイアミの気鋭がバックを担当。

 

LATIMORE 『Singing In The Key Of Love』 Malaco/Solid(1982)

マラコ移籍第1弾。制作はトミー・コーチとウルフ・スティーヴンソンで環境は一変したが、持ち味は変わらず。重厚でスケールの大きい表題曲などの自作曲、ジョージ・ジャクソン作のミディアムやチャック・ブルックス作のブルースをノビノビと歌い、オリー・ナイチンゲールで知られる“Here I Am Again”のほか、ミッキー・ジュップやキャプテン&テニールのカヴァーもラティモア節でキメている。

 

LATIMORE 『I’ll Do Anything For You』 Malaco/Solid(1983)

ウィリアム・ブラザーズがバックで歌う以外は、マラコのリズム隊を含めて前作とほぼ同じ体制で録音。ブルース・ロック風にアレンジしたデニス・ラサールの曲を筆頭に、“Let’s Straighten It Out”のセルフ・リメイク、ホール&オーツ“Sara Smile”やエグザイル“Take Me Down”のカヴァーを含み、フレデリック・ナイトやジョージ・ジャクソン作のバラードもディープに歌う充実作だ。

 

LATIMORE 『Every Way But Wrong』 Malaco/Solid(1986)

ウルフ・スティーブンソン単独制作によるマラコでの4作目。生演奏だが電子的な音像に変化し、マイク・ルイスの手掛けたストリングスが響くなか、ディープな声で朗々と歌い上げる。元フリーダムのラリー・アディソンやデニス・ラサールらの曲を歌い、ブルースとレゲエの合体的な曲も登場。ホーマー・バンクスとレスター・スネルが書いた“Sunshine Lady”は80年代唯一の全国ヒットとなった。