【最後のソウル・カンパニー、マラコ】
サザン・ソウルやブルースのホームとして君臨する南部の古豪……だけじゃない! 充実の〈Malaco Definitive Collection〉を入口に、予想以上に太くてデカいマラコの美味を堪能しよう!
かのピーター・ギュラルニックをして〈ラスト・ソウル・カンパニー〉と言わしめたマラコ。ミシシッピ州ジャクソンを拠点に現在も活動している彼らは、スタックス以降のサザン・ソウルやブルースの伝統をモダンに継承する最後の砦として、世界中のソウル・ファンから愛されている名門レーベルである。ただ、モータウンやハイのようなクロスオーヴァーな知名度がないぶん、その実体が広く知られてはいないのも実際だろう。今回はチムニーヴィルやマッスル・ショールズ・サウンド(MSS)といった傘下レーベルの作品も含め、昨年からこの2月にかけて復刻された30タイトルを軸に、その魅力の多様さ、振り幅の広さを感じ取っていただきたい。
そもそもミッチェル・マロウフとトミー・コウチ、創業者ふたりの姓(Malouf & Couch)を繋いでマラコが誕生したのは60年代後半のこと。ブッキング・エージェンシーから始まって67年にはスタジオを完成。自前のスタジオを構えてハウス・ミュージシャンを揃えたプロダクションとしての在り方は、先人のスタックスやフェイムを手本にしたものだったそうだ。そんなマラコ・スタジオから生まれた最初の全国ヒットは、ワーデル・ケゼルグ制作によるキング・フロイドの“Groove Me”(70年)。さらに、同じセッションで録られたジーン・ナイトの“Mr. Big Stuff”(71年)は、スタックスからリリースされてそれ以上のクロスオーヴァー(ソウル・チャート1位/全米2位)を記録している。一方でレーベルとしてのマラコは当たりに恵まれない時期を過ごしたものの、カントリー・ソングのカヴァーとなるドロシー・ムーアの“Misty Blue”(75年)が全米3位(全英、全豪でもTOP10入り)まで上昇して以降、コンスタントなリリース体制へと移行していくのだった。
いわゆる〈サザン・ソウルの良心〉的なイメージも強いマラコながら、特に70年代後半から80年代前半にかけての作品群は、そんな固定観念を砕かれるほどの幅広さだ。これにはソウル・シーンを取り巻く状況の変化も関係していて、マイアミのTKと配給契約を結んだり、さらには先達のスタックスが倒産したことを受け、アーティストから裏方まで優れた人材が流入してきたことも大きいだろう。これから紹介する作品だけを見ても、流行への敏感さやモダンな感覚から、〈マラコ・サウンド〉と一括りにできない多彩な作品が生まれていたこともわかるはずだ。
82年にはZZ・ヒルの『Down Home』が異例のロング・ヒットに輝き、モダンなブルース表現の確立にも成功。ZZの急逝した84年には新たな看板としてジョニー・テイラーを迎え、以降はラティモア、ボビー・ブランド、シャーリー・ブラウン、タイロン・デイヴィスらとも契約し、一時代を築いたレジェンドたちの再飛躍のホームとして機能していくようにもなった。結果的にその路線が現在に至るまでの〈ラスト・ソウル・カンパニー〉像を醸成したのは確かだが、ブランドへの信頼とその根底に潜むモダンな意識という両輪が、40年以上の長きに渡ってマラコを動かし続ける原動力なのもまた事実なのである。