コラム

蓮実重臣 追悼――蓮実重臣の音楽はやさしい、蓮実重臣の音楽はかわいい、蓮実重臣の音楽はなつかしい

蓮実重臣 追悼――蓮実重臣の音楽はやさしい、蓮実重臣の音楽はかわいい、蓮実重臣の音楽はなつかしい

 ある音楽が、ある映画が、なぜ、涙腺を刺激するのか。こんなふうにきて、こうつづいて、とわかっている。けっして突飛ではない。予定調和でさえある。おなじような音楽は、おなじような映画はいくらでもある。それなのに、なぜ、ここで自分のからだは、からだのどこかは、反応してしまうのか。

 『私は猫ストーカー』を試写でみて、エンド・クレジットのうたを聴きながら、え? え? なぜ? とおもいながら、こっそりハンカチをとりだしていた。ここに至るまで、うたに収斂してゆく要素は、映画のなかで、何度もいろいろなかたちであらわれてきていた。高音域のシロフォン風の音型、軽快でユーモラスなリズム、バスーン風の音色が奏でる中低音域のシンコペーテッドなメロディ。うたは、短調で始まり、途中で長調のルフランに変わる。昔日の、コール・ポーターや歌謡曲によくあるパターン。しかもハープのグリッサンドを合図に。試写会場からの帰り道、このうたがいつまでもなっていた。

 しばらくして、何週間かしてだったろう、蓮実重臣からCD-Rが届いた。『私は猫ストーカー』の音楽がいい、とてもいい、配給・宣伝の人に伝えていたのを本人が知ったのだという。この人の名は知っていた。随分昔から知っていた。音楽も、わずかだったけれど、聴いていた。まさかつながりができるとはおもっていなかった。

 蓮実重臣の音楽はやさしい。

 音楽をやさしい、と呼ぶ、形容する。ふつうにしているけれど、そんなことができるのだろうか。単なる勘違いなんじゃないだろうか。音楽はそこにある、そこで生まれて消えていく。それでも、聴く、耳にするのは人で、人はそれをいろいろに感じとる。だから、やさしい、でもいいじゃないか。とりあえずそう言っておきたい。

 蓮実重臣の音楽はかわいい。

 これはどうだろう。聴くものにはたらきかけてくる、というのではなさそうだ。むしろその音楽のあり方を、その音と音とのつながり、つながりのかたちを、ひびきを、かわいい、と感じる。感じることがある。

 蓮実重臣の音楽はなつかしい。

 既視感ならぬ既聴感との言い方をときどきしてきた。どこかで耳にしたようなかんじ、それはただ古いとかいうのではなく、古いかもしれないがちゃんとそこにある、記憶にあるものが幻視・幻聴されるのではなく。あらわれている音・音楽を掘っていくと、生き生きしたものがあって、それはなつかしいものの遺伝子で、というような。

 三宅剛正とのユニット、Pacific231名義でつくられた『MIYASHIRO』でも、映画のための音楽、『アカルイミライ』でも『ロボコン』でも、もちろんアニメーション『ささめきこと』のための音楽をまとめた『ささめきおと』でも、この感触は変わらない。

 『ロボコン』で冒頭、いかにも〈ロボ〉といった〈イメージ〉なのだろう、電子音が3拍、3拍あって、メロディがやってくる。その音がやさしい。電子音の、持続しているのにちょっとわうわう揺れている音が、メロディのうごきが。

 蓮実重臣は、十代から音楽活動を始めていた。ディスクユニオンからリリースされたボックスセット『21世紀の京浜兄弟者』には、1980年代から90年代にかけての活動の一端を聴くことができる。個人的には、〈京浜兄弟社〉については後からの知識でしかないのだけれども。

 ボックスには山口優による蓮実重臣のインタヴューもある。

 山口優の「いわゆるペンタトニック的な曲が多いけど」との問いに対して、こんなふうにかえしていた――「都会の音楽よりも、ちょっと郊外をイメージした音楽を作りたかったんだと思います。(モーリス・)ラヴェルの「子供と魔法」や、筒美京平がやってきた、西洋和声にペンタトニックを乗せるっていう、エキゾチックな音楽が子供の頃から好きだったからかもしれません。」

 『私は猫ストーカー』のすこし前、“銀色のハーモニカ”が印象にのこっていた。松本隆の詞に細野晴臣が曲をつけ、安田成美が歌った、もとは化粧品会社のCFソングではなかったか。坂本美雨と蓮実重臣によるトラックが、『細野晴臣 STRANGE SONG BOOK』に収められていた。1967年生まれの蓮実重臣は、十代のとき、安田成美のうたを聴きながら、そこにラテンのリズムを重ねていたのかもしれない。

 蓮実重臣とは、ときどき、メールでやりとりをした。はがきをだしたら、字が小さくて(そしてきたなくて)読めないのだが、と返事がきたこともある。体調がすぐれないことも知った。お見舞いにと言っていたのだけれど、結局、叶わなかった。だから、じかに会ったことはない。

 なぜ音楽を聴いて、つい、と涙がでてしまうんだろう。蓮実重臣の名のみ知っていたときにも、すこしやりとりをしていたときにも、そしていなくなってしまってからも、“私は猫ストーカーの歌”は、かならず、涙腺が刺激される。そのことは伝えずじまいだった。

 追悼を書くにふさわしい、もっと本人をよく知っている人はたくさんいる。ただ、この誌面で、蓮実重臣の名を記して、のこしておきたかった。ここに。

 


蓮実重臣(はすみ・しげおみ)[1967.12.7 - 2017.6.18]
作曲家・編曲家。1967年、東京都生まれ。高校在学中に、常盤響が結成したテクノ・ポップ・バンドへ参加し、作曲活動を開始。大学時代には、鈴木惣一朗が主宰したインストゥルメンタル・バンド〈エヴリシング・プレイ〉にサポート・キーボーディストとして参加。1993年、三宅剛正とエレクトロニック軽音楽ユニット〈パシフィック231〉を結成。同年、WOWOWの子供向き番組のテーマ曲を作曲したのをきっかけに、楽曲提供、映画音楽、アニメ音楽、TV CM音楽などを幅広く手掛けるようになる。2017年6月18日、がんで死去、享年49歳。

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