ソロパフォーマンスは演奏者の人生が剥き出しで表れていると感じることがある。そのミュージシャンがどのような経験を積み重ねてきたのか、音とどのように向き合い楽器をどのように扱っているのか、あるいは今現在どのようなことに関心があるのか等々。とりわけ自由な即興を主体としたソロにそれは顕著である。複数人でのセッションが奏者間のコミュニケーションに力点が置かれるとするなら、ソロはモノローグであり、観客や空間への語りかけも含めて奏者の〈声〉が音楽を形作っていく。その〈声〉のオリジナリティが音楽的個性へと直結する。

トランペッターの類家心平が初のソロアルバム『メタモルフォーゼ』を2025年8月28日(木)にリリースする。レーベルは日本の同時代のジャズを精力的に発信し続けているDays of Delight。レコーディングは同レーベルの設立者でプロデューサーの平野暁臣が館長を務める岡本太郎記念館で行われた。即興演奏を中心に一部オリジナル曲も交え、多重録音や編集は施さずライブレコーディングのようにそのままパッケージしたという。類家の持ち味であるハスキーなサブトーンを駆使した柔らかに広がるノイズ、高音域へと突き抜ける鋭いミュート音、高速度の震えが生む音塊、あるいは動物の鳴き声にも似たユニークな響きなど、緩急自在な演奏はトランペットという楽器に秘められた音色の豊かさを伝える。それだけでなくメロディアスな旋律を歌うように奏でたかと思えば、サンプラーを用いてヒップホップ風からアンビエント/ドローンな抽象的サウンドまで、その場でトラックを作り音楽に幅を持たせていく。アルバムを聴き進めるにつれて徐々に混沌とし始め、しかし洞穴を抜け出すように最後は晴れやかで美しいバラードを鳴らす。まるで何度も繰り返し奏でられてきたスタンダード曲のような落ち着きを湛えたこの最後の演奏はしかし即興で刻まれた旋律なのだ。

無伴奏のソロパフォーマンスは自らの〈声〉を探求するミュージシャンにとって一つの創造的挑戦である。だがトランペットは楽器の性質上ソロとの相性が決して良いとは言えない。歴史を振り返るとトランペッターによるソロアルバムの嚆矢としてはワダダ・レオ・スミスが1972年に発表した『Creative Music - 1』を挙げることができるが、同作は実質的にはパーカッション等を含めた多楽器主義的内容であり、そこからもトランペット一本でアルバムを制作することの難しさが窺える。日本では日野皓正が1974年のアルバム『Journey Into My Mind』の冒頭と末尾でソロパフォーマンスを披露していた。一枚丸ごとソロで制作したアルバムとなると近藤等則『FUIGO from a Different Dimension』(1979年)が日本における最初の成果だろうか。21世紀以降は各地でトランペッターのソロアルバムが制作されているものの、他の楽器に比すると多くはない。しかしそれだけに今なお未踏の領域が残っているとも言える。近年の話題作としてアンブローズ・アキンムシーレ『Beauty Is Enough』(2023年)が注目を集めたのも、演奏の素晴らしさはもとより、トランペットソロというフォーマットから新たな可能性を引き出したからでもあるだろう。

類家心平の『メタモルフォーゼ』もこうした創造的かつ挑戦的なトランペットソロの系譜に新たなページを刻む一枚だと言える。類家はマイルス・デイヴィスの音楽との出会いから高校時代にジャズの道へと進み、卒業後は海上自衛隊の音楽隊でトランペットを担当、退官後に青森から上京し音楽活動を本格的にスタートさせた。特異な経歴を歩んできた彼はどのように即興主体のトランペットソロアルバムを完成させるに至ったのか。そこには〈全てが必然的に進んでいくこと〉を理想とする類家流の即興哲学があったが――まずはアルバム制作のきっかけから話を訊いた。

類家心平 『メタモルフォーゼ』 Days of Delight(2025)

 

コロナ禍をきっかけに取り組んだトランペットソロ

――今作は類家さんにとって初のトランペットソロのアルバムです。まずは経緯について教えてください。

「プロデューサーの平野暁臣さんがソロライブを観に来て〈アルバムを作ろうよ〉と言ってくれたのが大きかったです。ソロなので自分のタイミングで作れるんですけど、トランペットソロとなるとそれなりのクオリティで出すにはハードルが高い。でも、ONJQ(大友良英ニュー・ジャズ・クインテット)でヨーロッパツアーに行ったとき、大友さんから〈ソロのアルバムを作ったほうがいいよ〉と言われて、より思いが固まったタイミングで話をいただけたので、作ろうと決めました」

――ソロライブはいつ頃からやっていらっしゃるんですか?

「力を入れるようになったのはコロナ禍以降ですね。ライブが軒並み中止になって、自宅でソロ演奏した動画をSNSに上げ始めたんです。その流れでオンラインフェス(〈Jazz Auditoria Online 2020〉)でもソロで演奏しました。やっているうちに面白くなって、ライブができるようになってからは不定期でソロでも演奏するようになりました。

ただ、2000年に上京した頃もソロライブをやっていたんですよ。あまり知り合いもいなかったし、当時はクラブジャズが流行っていて、トラックを流しながら演奏するミュージシャンが増えた時期でもありました。実は東京に来て初めてのライブは、トラックの上で吹くソロだったんです。そのうちバンド活動をするようになったので、ソロでやる機会はなくなって」