〈シークレットリー・カナディアン〉〈ジャグジャグウォー〉の姉妹レーベルとして、インディアナ州/ブルーミントンを拠点に活動を続ける〈デッド・オーシャンズ〉。初期は、ダーティー・プロジェクターズやアクロン・ファミリーといった〈ザ・USインディー〉な印象が強かったが、スロウダイヴやデストロイヤーらの移籍と共にカラーを拡張していき、現在はミツキやフィービー・ブリッジャーズ、アレックス・レイヒーらフレッシュな才能を揃えている。

今年11年目を迎えた同レーベルの魅力を紐解くべくMikikiでは特集を展開。その第一弾では、レーベルに新色をもたらす南ロンドン拠点のギター・バンド、シェイムの初作『Songs Of Praise』に迫るとともに、レーベルの足取りを振り返った。そして、後編にあたる今稿では、デッド・オーシャンズの個性/独自の立ち位置をさらに炙り出すべく、2人の音楽ライターに登壇いただいた。USインディーを長く追いかけてきた岡村詩野と、もともと岡村が主宰する〈音楽ライター講座〉の門下生であり、高い感度で現在進行形のインディー・シーンをキャッチしている上野功平。世代の異なる両者に、レーベルとの出会いを皮切りに、なだらかな変化の過程、現在のデッド・オーシャンズがリプリゼントしているものは何か?など、たっぷりと語ってもらった。 *Mikiki編集部

 

土着的かつハイブリッドなバンドが占めた初期と、カラーが変わった2013年以降

上野功平「〈デッド・オーシャンズ〉の立ち上げは2007年ですが、やはり岡村さんは〈シークレットリー・カナディアン〉を通してレーベルの存在を知ったのでしょうか?」

岡村詩野「そうですね、〈シークレットリー〉と〈ジャグジャグウォー〉の姉妹レーベルができるということで、設立当時から名前は聞いていました。ただ、ちゃんと注目するきっかけになったのは、第1弾リリース作品となったダーティー・プロジェクターズの『Rise Above』(2007年)ですね」

上野「リーダーのデイヴ・ロングストレスが、ブラック・フラッグの『Damaged』(81年)を記憶だけを頼りに再構築したアルバムですね」

岡村「そう。でも〈ダーティー・プロジェクターズを輩出した〉とか、彼らが在籍したっていうことはいまでも言われることが多いんですが、実際、デッド・オーシャンズから発表されたのはこの1枚だけなんですよね」

上野「記念リリース的な意味合いも強かったのかもしれませんね。レーベル初期は当時のブルックリン・インディー的なバンドを擁しているイメージが強かったように思います。最近はスロウダイヴみたいな有名どころも増えてはいますけど」

岡村「ざっくり言うと、レーベルが立ち上がった2007年から2012年頃までの5~6年間と、2013年から今年までの5~6年間でちょっとずつカラーが変わってきた印象はあります。事実、設立当初から現在まで在籍しているアーティストって非常に少ないですし、私が初期のデッド・オーシャンズに抱いていたイメージって、ダーティー・プロジェクターズではなくアクロン/ファミリーなんですよ。彼らは日本のUSインディーが好きな人たちの間でもかなり人気がありましたけど、2009年の4作目『Set 'Em Wild, Set 'Em Free』が決定的だった。あのアルバムはデッド・オーシャンズが一般的にも知られるきっかけになった気がしますね。私のなかでデッド・オーシャンズといえば、アクロン/ファミリー、ビショップ・アレン、そしてバウアーバーズの3組の印象がいまでも強いです」

上野「2009年頃って、日本でもいま以上にUSインディーが盛り上がっていた記憶がありますよね。ディアハンターとアクロン/ファミリーが対バン形式でジャパン・ツアーを行って、〈アクロンが完全にディアハンターを食ってしまった〉なんて逸話もあって……」

岡村「話は少しそれますが、ディアハンターは当初、新しい時代のシューゲイザーとか、ノイズ系のギター・バンドとして紹介されることが多かったですよね。で、実際にメンバーに話を訊くと、エスケーピズムを意識した方向性で曲を作っているとのことでした。エコー&ザ・バニーメンをもっと若い人に聴いて欲しい、ロックの歴史の隅っこにある音楽をちゃんと継承したい、と。

一方、アクロンは初期の頃から地域を超えたハイブリッドなことをやっていたんですね。アメリカのルーツ・ミュージックとかフォーキーなサウンドが核としてありつつも、南米やアフリカの音楽も積極的に採り入れていて、しかも、そういう感覚が彼らだけではなく当時のブルックリンのバンド同士で共有されていた。そのなかから、きわめて自然にシームレスにいろんな音楽性がミックスされて世に出て行ったバンドが、アクロンやダーティー・プロジェクターズ、だったし、おおもとを辿ればアニマル・コレクティヴなどはその発端にあると言えるんじゃないかと思います。デッド・オーシャンズの初期はそうした方向性のバンドと、フォーキーな歌モノ路線をしっかり地に足をつけて表現するアーティストたちが集っていた印象です。上野さんは、どのあたりの作品が出会いでしたか?」

上野「僕がデッド・オーシャンズというレーベルをきちんと意識するようになったのって、ア・プレイス・トゥ・ベリー・ストレンジャーズ(以下、APTBS)が2012年の3作目『Worship』で移籍してきたときなんですよ。いま岡村さんが言われたようなレーベルのイメージとは外れていて、〈おっ、意外!〉と思ったんですよね。最初はちょっと浮いてるなとも思ったんですが、そこから彼らはレーベルを代表するバンドとして成長しましたし、デッド・オーシャンズからは3枚目のアルバムとなる『Pinned』(2018年)のリリースも控えています」

岡村「APTBSもデビュー当時はシューゲイザーの文脈から出てきましたけど、いまやデッド・オーシャンズのなかでは古株になりつつありますよね」

上野「APTBSのフロントマンであるオリヴァー・アッカーマンは、ブルックリン・ウィリアムズバーグの伝説的なイヴェント・スペース〈Death By Audio(同名のエフェクター・ブランドも経営)〉のオーナーでもありますよね。家賃高騰の煽りを受けて2014年11月にクローズしてしまいましたが、このスペースではそれこそダーティー・プロジェクターズやタイ・セガールといった錚々たるアーティストがプレイしてきましたし、APTBSがデッド・オーシャンズに誘われたのもそういった横の繋がりがあったのかもしれませんね」

岡村「APTBS以降、2013年にはジュリアナ・バーウィックが移籍してきて2作目の『Nepenthe』(2013年)をリリースした。初期の頃はどちらかというと土着的なイメージだったデッド・オーシャンズが、意識的にカラーを変えていくきっかけになったのがAPTBSだったというのは納得できます。初期のデッド・オーシャンズって、ライトなリスナーにはちょっぴり敷居が高いというか、入りにくいレーベルだった部分はあるかもしれないけど、途中から変化してきましたよね」