斎藤高順が現在の東京藝大に入学したのが1943年、第二次大戦中のことで、同期に芥川也寸志や細川一がおり、信時潔に学んだのち、学徒出陣の流れの中で團伊玖磨などと学校の意向に沿って軍楽隊に志願する。この経験が小津映画の印象深いシゴトに深く反映された。音楽に依存しない無声映画時代のイメージ、小津の「いつもお天気のいい音楽」の思想と相性が良く、名コンビとなった。ほか、軍艦マーチのピアノアレンジは軽妙洒脱でラグタイムのよう。《三つの淡彩画》は2曲目のエチュードでは右手が黒鍵のみ、左手が白鍵のみの複調、3曲目はスクリャービンもかくや、の和音が使われている。