新陳代謝の激しいインディー・シーンで、HOMMヨというバンドが13年にわたってニイマリコ(ギター/ヴォーカル)、みちゃん(ベース)、キクイマホ(ドラムス)という不動のメンバーで活動し続けたことは驚くに値する。〈ガールズ・バンド〉として消費されることを徹底的に拒み、自身の音を磨くことに専念した結果、前作となるミニ・アルバム『LOADED』では、〈反ガールズ・バンド〉という軛からも解放され独自の表現を獲得したと言える。同作においては〈氷の中の炎〉とでも形容できそうな音像で、バンドは癒しがたい孤独を奏でていた。

そして新作ミニ・アルバム『No Past To Love』に通底するのは、前作から受け継いだ冷酷な孤独さと、それを耐え抜いた後のぬくもりだ。バンドの音は孤独そのものから、孤独を温かく包み込む音に変わった。まず歌詞に注目しよう。〈デラシネ/獲られる前に 呼んでくれ/どこにいたって駆けつける one in a million heartbreak〉(“デラシネ”)。1曲目からバンドは自身の孤独を耐え抜き、他者の孤独を癒す側へ勇敢にも立ち上がったことを示している。最終曲“ノクターン”の〈迷いなさい 怖い場所でも 果ててなお/きみを守ろう〉という歌詞でも救済が歌われている。

このアンセムとも呼べる2曲で挟まれたミニ・アルバムでの音響にも注目したい。音圧が高く個々の楽器が目の前で鳴っているようで、溝の深い12インチ・シングル・レコードの音が思い浮かぶ。ここでバンドが強調しているメッセージ――〈音が見えるんだよ〉(“ノクターン”)ということをみずから証明するに至った。

立体的な音作りと相まって、HOMMヨの音が〈見える〉のは、ニイの書く詩が聴く者の想像力を刺激する映像的なものであるためだ。〈青白いね まるで木曜日の子供〉(“fang”)というような歌詞で、聴く者は〈木曜日の子供〉とは何か考えてしまう。歌詞=音は頭の中でヴィジョンとなり、映画のワンシーンのようなイメージが生まれる。〈音が見える〉というのは、音こそが各人の想像力へ働きかける力を持つことを意味する。

“#0”では〈身体透かして まだ知らない自分へ語れ〉と歌われ、〈ゼロ(=透明)であること〉の可能性を示唆している。HOMMヨは否定されがちな空白である〈ゼロ〉を肯定する。〈ゼロ〉に何をかけても〈ゼロ〉だ。いわば、もっとも純粋な状態である。年齢も性別もない〈ゼロ〉のなか、想像力を働かせることで〈まだ知らない自分〉を見出すことができる。積み上げられた過去にも、不安や期待に彩られた未来にも縛られることのない徹底した現在で起こる体験だ。

〈愛すべき過去などない〉と題されたアルバムのテーマは〈孤独な現在を噛み締め生きよ〉ということになるだろう。〈孤独を引き受けることを自由と呼ぶ〉(“fang”)。HOMMヨが紡ぎ出す音は、〈ゼロ〉という自由の音である。