Photo by Clare Shilland
 

ニュージーランド出身のシンガー・ソングライター、オルダス・ハーディングが通算3作目となるニュー・アルバム『Designer』を4ADからリリースした。前作『Party』同様にPJハーヴェイやスパークルホースらの諸作を手掛けてきたジョン・パリッシュがプロデューサーとして参加。演奏にはウェールズの俊才、H・ホークラインらを従え、穏やかながらも凛とした空気が貫かれた歌ものアルバムになっている。今回は音楽ライターの岡村詩野が同作を考察。ニュージーランドに暮らす人々の気風や音楽シーンを参照しつつ、『Designer』のどこか飄々とした魅力に迫った。 *Mikiki編集部

 


すべての女性がスーパーウーマンでいる必要はない

現在、ニュージーランドの首相が女性であることはご存知だろうか。ニュージーランド労働党の党首であり、2017年から同国の首相をつとめているジャシンダ・アーダーン。わずか37歳という歴代最年少の若さで就任したが、LGBT支持を早くから打ち出したり、事実婚のパートナーとの間に任期中に出産したり……と寛容かつアグレッシヴな姿勢が国民から多くの支持を得ているようだ。

そのアーダーン首相は、昨年、出産前にテレビのニュース番組に出演した際、このように語ったのだという。「すべての女性がスーパーウーマン、スーパーヒューマンでなければいけない、というのは間違っている。私だって多くの人たちにサポートされていまの仕事ができているのだから」。国のリーダーを務めながらも6週間の育休をとったアーダーン首相は、そうした謙虚な姿勢を見せつつも、誰もが肩肘張らずに自然と助け合っていける社会をめざしている。実際、彼女の育休期間は男性であるピーターズ副首相が代行をつとめたのだという。

ジャシンダ・アーダーンが妊娠を報告するニュース映像
 

英国人による入植の歴史を色濃く残す国旗が似ていることと、隣国ということもあり、ニュージーランドはオーストラリアと〈セット〉と思われているところがある。だが、あらためて確認しておくと、ニュージーランドはポリネシアの一部。地理分類上では、サモア、トンガ、そしてモアイ像で知られるチリのイースター島と同じ海洋部にあるのである。しかし、入植によるヨーロッパ系民族が現在大多数を占めていることもあり、ニュージーランドに生まれ育った者の多くは、入植前から育まれてきた独自の文化や歴史の豊かさにほとんど自覚的ではないのだという。

7年ほど前、日本でもアルバムがリリースされたシンガー・ソングライターのダドリー・ベンソンは、母国ニュージーランドの歴史や民俗についてほとんど知らずに育ったことを大人になってから非常に後悔し、あらためて大学で先住民族であるマオリの文化と歴史を学び直したと語ってくれたことがある。そして、その学習を生かしたマオリ語によるマオリの音楽のアルバムも制作した。

ダドリー・ベンソンの2012年作『Forest:Songs By Hirini Melbourne』収録曲“Pūngāwerewere”。
同作は、マオリの高名な作曲家/詩人のヒリニ・メルボルンの楽曲をダドリーが独自の解釈でアレンジ、プロデュースした

 

マイペースに個性を打ち出していける、寛容で柔軟な国民性

ちなみに、ダドリーはゲイであることをカミングアウトしているミュージシャンでもあるが、世界的に見ても有数のゲイ・フレンドリーなニュージーランドでは2013年に同性結婚が認められるようになっている。以前、ダドリーはこうも話してくれていた。自国のレガシーに無頓着である一方、柔軟に国を変えていこうとする大らかさもあるニュージーランド国民は、他国から見て〈いかにも〉な特性は薄いが、それゆえにフレキシブルということなのかもしれない、と。

わずか10代にしてデビュー・アルバムを500万枚以上売り上げたロードは別格としても、ゴティエとのコラボ曲が話題になったキンブラ、2年前には来日公演も実現させた宅録ポップのフェザーデイズ、マオリの伝承音楽を取り上げたこともあるヘイリー・ウェステンラ、アスペルガー症候群と戦いながら地道に活動を続けるレディホーク……日本と同じくらいに小さな島国なのに、近年はさらにシンガー・ソングライターの宝庫のように女性たちが活躍しているニュージーランドだが、なるほど、コートニー・バーネット、アレックス・レイヒー、ステラ・ドネリーといった近年のオーストラリア勢とは確かにどこか異なる資質を持っている。

フェザーデイズの2017年作『Morningside』収録曲“Lucky Girl”
 

極端に突っ張ってなくて柔らかいけど、凛々しいし媚びてもいないしガッついてもいない……もちろん彼女たちに明確な共通点を見つけるのは難しいが、各々の個性やそれぞれの思いをマイペースに打ち出していくことを環境が受け止めてあげているのかもしれない。