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やがて消えゆくピアノの音は人間の一生のよう

Ellipse”では一転、リズムは消失し、和音の残響が幾重にも折り重なって夢幻的な空間を作り出す。ピアノという楽器の特徴は、減衰する響きにある。ひとたび鍵盤から生まれ出た音は、美しいハーモニーを奏で、徐々に小さくなりやがて完全に消えていくしかない。それはまるで人間の一生のようでもある。

メランコリックな空気を纏ったまま、次の“Changing Winds”では左手が刻む3連符の上で、右手がモノローグともいうべき優しいメロディーを奏でる。後半、右手が左手の倍の速さで3連符を重ね、感情の波が高ぶってきたところで、残響の彼方に消えていく。そして電子的に増幅された長い響きから、アルバムの中締めとなる“Interlude”へ。

『Inscape』収録曲“Changing Winds”

後半最初の“Blind Visionは”、ミステリアスな薄闇の中にほのかな灯りが見える曲。目を瞑り、自身の内なる声に耳を傾ける。続く“Burnout Fugue”では速いパッセージに駆り立てられる。ストレリスキはかつて広告関係の会社で働いていたことがあり、目覚ましい成果を挙げたものの、精神をすり減らす日々に限界を感じて自分自身のための音楽を作るようになったという。〈Burnout=燃え尽きる〉という言葉は、そんな彼女の体験がもとになっているのだろう。

 

記憶を辿り自身の感情をめぐる旅を終え、次の場所へ

Overturn”では中盤に登場する、ひらりと裏返る木の葉のごとき右手の装飾音符が印象的。次の“Revient le jour”もそうだが、ストレリスキはさざ波のような音型の繰り返しのなかから、強く心に訴えかけるメロディーを浮かび上がらせていく。眠っていた感情をかきたて、忘れていた光景を思い出させるメロディー。幼い頃からショパンとサティに興味を持ち、ハンス・ジマーやフィリップ・グラス、マイケル・ナイマンらの影響を受けながらも、ポップスを愛する彼女ならではの歌心である。

アルバムの最後に置かれた曲には“Le Nouveau Départ”(新たなる出発)というタイトルがつけられている。記憶を辿り、自身の感情をめぐる旅の終わり。躊躇いがちな3拍子に乗って、後ろを振り返りつつ、新たなる旅へと一歩を踏み出していく――。『Inscape』は内なる居心地のよい場所に立ち戻らせてくれたうえで、次の場所へと進む後押しをしてくれる作品なのである。

ちなみに、『Inscape』の楽曲はジャン=マルク・ヴァレが監督を務めるサイコ・サスペンス・ドラマ「シャープ・オブジェクト KIZU-傷-:連続少女猟奇殺人事件」に使われている。海外ドラマ・ファンも要チェックだ。

2018年のパフォーマンス映像