ソウルの名家に咲いたひとりの女性シンガーが80年代に残してきた足跡
ジャクソン家の生み出してきたレコーディング作品を考えれば、やはりマイケルやジャネット、そしてもちろんジャクソン5~ジャクソンズに当たるスポットが強すぎるせいで、他の兄弟姉妹のソロ作品などはどうしても実体以上に軽く見られがちなのが現状だろう。光があれば影が強くなるのも仕方ないが、各々の作品ごとに聴くべき部分があるのは言うまでもなく、例えばラトーヤ・ジャクソンの、特に80年代のアルバムはまさにそんな作品群だと思う。長らく廃盤状態だった『My Special Love』がリイシューされたのをきっかけに、ここではその活動を簡単に振り返っておきたい。
ジョセフとキャサリン夫妻の5番目の子どもにあたるラトーヤ・イヴォンヌ・ジャクソンは56年生まれ。幼い頃から弟のマイケル同様の内向的な性格で、兄弟たちがジャクソン5で成功を収めていた頃もショウビズへの興味は薄く、高校卒業後は弁護士をめざして大学進学を志していたという。ただ、父の意見によって芸能の道を歩むことになり、姉のリビー、妹のジャネットと共にTVショウ「The Jacksons」(76~77年)に出演、ジャクソン・ファミリーの一員として名を売っていく。そして3姉妹でのグループ結成案が流れたのち、ラトーヤは姉妹の先陣を切ってソロ・デビューを果たすことになった。なお、この時期には兄のジャーメインが送り出したスウィッチのメンバー、ボビー・デバージと数年に渡って交際していた彼女だが、それに前後してあのプリンスとのロマンスもあったようだ。
ともかく、80年のデビュー作『La Toya Jackson』からは、すでに『Off The Wall』でブレイクしていた弟マイケルのプロデュースによる“Night Time Lover”が小ヒットを記録。このファミリーに特有の(?)ライトで繊細な歌声は可憐な魅力を備えていたものの、以降のリリースにおいても音楽面でブレイクに至ることはなかった。ラトーヤの中にはジャクソン姓を使わずデビューしたい意向や音楽的な志向も芽生えていたものの、結局はマネージャーである父のコントロ−ル下から抜け出すことができなかったそうだ。
そのように溜め込んだ不満を父の業務を手伝っていたジャック・ゴードンなる男に見透かされたラトーヤは、やがて彼と独立して80年代後半には家族と断絶状態になってしまい、洗脳的な支配下でジャックと結婚している。そうして90年代半ばに家族から奪還されるまで〈ジャクソン家のゴシップ担当〉として行動させられた結果、音楽的な動きは停滞してしまった。
奇しくもデバージ家の男と駆け落ちした妹のジャネットが、離婚後に父の支配下を離れて自身のコントロールで完成させたのがかの名盤『Control』(86年)だったのは言うまでもない。そんなことを考えるにつけ、もしどこかの局面でラトーヤが少し違う選択を許されていたなら……と思わなくもないのである。
ラトーヤ・ジャクソンが参加した作品を一部紹介。