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【IN THE SHADOW OF SOUL】第125回 永遠のビリー・オーシャン(Billy Ocean)

連載:ソウル・ミュージックの光と

【IN THE SHADOW OF SOUL】第125回 永遠のビリー・オーシャン(Billy Ocean)

多様な文化が普通に入り交じるUKアーバン音楽の世界だが、80年代からエクレクティックな作法でメインストリームに金字塔を立てたカリビアン・ルーツの大御所がいる。海のように広いその快音に改めて漕ぎ出そう!!

 ブリティッシュ・ソウル、現在はUKソウルという呼称で定着している英国産R&B。その多くに共通するのは、ジャマイカなど西インド諸島からの移民や子孫がアメリカのソウル・ミュージックに憧れを抱きつつ自由な解釈を試み、結果的に米国産のR&Bとは別種のハイブリッドな魅力を放っていることだ。1950年にトリニダード・トバゴで生まれ、58年に家族とロンドンに移住したビリー・オーシャンもそんなひとりで、USのヒット・チャートでも成功を収めたUKソウルのヴェテランである。

 イギリスでもっとも成功した黒人のレコーディング・アーティストと言われ、今年初めには英国政府に大英帝国勲章3等勲爵士(コマンダー)の称号を授けられた国民的シンガー。ただし70年代前半の彼は、本名のレスリー・セバスチャン・チャールズにちなんだレス・チャールズ名義でスパークからソロ・デビューするも、洋服の仕立て職人として働きながら夜にイースト・エンドのパプで演奏したり、スコーチド・アースというグループを組むも芽が出ず、フォードの自動車工場で働きながらデモを作っていた苦労人だった。努力が報われたのはビリー・オーシャンと名乗ってGTOから再出発した75年からで、ソウル、ディスコ、AOR、シンセ・ポップなどのサウンドを乗りこなして、ジャイヴ在籍時の80年代半ばに黄金期を迎えている。そんな彼も、いまや半世紀におよぶキャリアの持ち主だ。

 近年だと例えば2009年作『Because I Love You』のジャケットに写るドレッドヘアのイメージが強いラスタファリアンのオーシャンは、トリニダードでの幼少時代からカリプソに熱中していたという。英国移住後は、ビートルズやローリング・ストーンズなどのブリティッシュ・ロックに刺激を受け、オーティス・レディングやサム・クックなどのソウルの虜にもなり、それが彼の多彩な音楽性へと繋がっていく。実際にジャイヴ時代にはビートルズの“The Long And Winding Road”をカヴァーしているし、2013年の企画盤『Here You Are』ではサム・クックやボブ・マーリーの曲を歌ってもいた。

 ロンドンで設立されたゾンバを母体とするジャイヴが世界的な名門レーベルへ成長するきっかけのひとつとして、オーシャンの全米でのブレイクが後押しとなったことも彼の功績だろう。同じトリニダード出身のソングライター/プロデューサー、キース・ダイアモンドと共作した“Caribbean Queen(No More Love On The Run)”が84年に全米チャート1位となり、オーシャンの人気もジャイヴのブランド力も急上昇したのだ。当初は“European Queen(No More Love On The Run)”というタイトルで発表したが、〈ヨーロピアン〉を〈カリビアン〉と変えたことでオーシャンのルーツが浮き彫りになったのもよかった。伸びやかなハイ・テナーのヴォーカルが冴えるモダンなポップ・ソウルで、シンセやギターのリフ、ヴィンセント・プライス風の笑い声などがマイケル・ジャクソンの“Billie Jean”を想起させた点も人々の関心を集めたのかもしれない。

 続いて全米チャート2位となった“Lov­erboy”も含めてマイケルの『Thriller』的なムードや作法を取り込んだことはほぼ確実で、GTO時代にもマイケル風の曲を歌い、その後エピックのレーベル・メイトとなったことからも、同じ黒人シンガーとしてマイケルのような全方位型のポップスをめざしていたのだろう。思えばオーシャンはGTO時代、マイケル作品のソングライターとなるロッド・テンパートンが在籍していたヒートウェイヴとレーベル・メイトで、『Off The Wall』の楽曲を意識したようなディスコ・チューンも歌っていた。ちなみに、エピックでの2作をプロデュースしたナイジェル・マルティネスは、ヒートウェイヴの作品にも関わっていた。

 80年前後のオーシャンは、同じUKのデレゲーションやリアル・シングの仕事で知られるケン・ゴールド(ミッキー&デン)と組んでノーランズなどに楽曲を提供するソングライターとしても活動していた。提供曲のいくつかはGTO~エピック時代のアルバムにて自身も歌っていたりするのだが、そのうちのひとつ“Stay The Night”をラトーヤ・ジャクソンが採り上げたこともマイケルとの結びつきを意識させる。ついでに言えば、ジャイヴでの最終作『Time To Move On』(93年)には、当時のレーベル・メイトで後にマイケルに曲を提供するR・ケリーを制作陣に招聘。ソングライティングやプロデュースを通してニアミスを繰り返していたマイケルとオーシャンだったのだ。

 映画「ナイルの宝石」の劇中歌となったジャイヴ時代の“When The Going Gets Tough,The Tough Gets Going”(85年)もオーシャンの代表曲で、これは80年代前半によく聴かれたモータウン・ビートの再解釈的なシャッフル・ナンバー。もっともオーシャンはGTO時代の“L.O.D.(Love On Deli­very)”(76年)などでモータウン~インヴィクタス的なノーザン・スタイルの曲をやっており、これらでのエモーショナルなヴォーカルはチェアメン・オブ・ザ・ボードのジェネラル・ジョンソンを彷彿とさせる。UKのアーティストとしては、同時期に“You Sexy Thing”(75年)が全米でヒットしたホット・チョコレートのエロール・ブラウンも同タイプの声質でインヴィクタス風の曲を歌っており、彼らの活動も刺激になっていたかもしれない。また、ケン・ゴールドとのコンビで楽曲提供したひとつにレニー・ウィリアムスの“Taking Chances”(81年)があるが、バラードで熱っぽく噛み締めるように歌うスタイルにはレニーからの影響も感じられる。

 そんなオーシャンも今年で70歳となり、誕生日の1月21日には新曲“We Gotta Find Love”をリリースした。これは11年ぶりに発表するスタジオ録音のオリジナル・アルバム『One World』の先行曲で、ジャイヴ時代を思わせる80年代風のポップなミディアム。それもそのはず、これを手掛けたのはジャイヴ時代に『Love Zone』(86年)にてウェイン・ブレスウェイトと共同プロデュースしていたバリー・イーストモンドなのだ。アップの表題曲やバラードの“Nothing Will Stand In Our Way”も当時のアルバムに入っていてもおかしくない普遍的なポップスといった印象だが、〈一度立ち止まって人生について考える〉という全体のテーマは古希を迎えた人生のヴェテランでもあるオーシャンらしい。英米で録音し、トリニダードでの音楽体験を含む現在までのキャリアを総括した新作は、彼の音楽を初体験する世代にもドアを開いてくれている。

ケン・ゴールドやベン・フィンドンの関連作を紹介。

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