99年に大沢伸一のプロデュースによるシングル“悲しいわがまま”でデビューし、優しさと切なさの混ざったフォーキー・ソウルの名曲をいくつも世に送り出した男女デュオ、ワイヨリカ。Azumiの歌とso-toのギターを主軸に4枚のアルバムと2枚のミニ・アルバムをリリースしたものの、2013年に解散を発表し、その後はそれぞれソロで音楽活動を続けてきた。が、デビュー20周年目の今年、〈好きでいてくれたファンたちのために何かしたい〉という想いから、嬉しい再結成を発表。7月31日に新曲2曲からなる7インチ・シングル『Beautiful Surprise/OneRoom』をリリースし、続いて8月7日に新曲3曲と新録1曲を含んだ2枚組のリマスター・ベスト『Beautiful Surprise~Best Selection 1999-2019~』を発表した。
いい機会なので、ここではデビューから現在に至るまでの作品群について、ふたりに振り返ってもらった。昔からのファンはもちろん、初めてワイヨリカの音楽を聴くひとにもガイドとして読んでいただければ幸いだ。
ソロ? デュオ? ミステリアスな存在としてデビュー
――Azumiさんは、birdさんのデビュー20周年記念プレイリスト企画 〈bird 20th ~わたしが選ぶ bird’s song playlists~〉に参加されてましたよね。ワイヨリカもbirdさんもデビューが99年ということで。
Azumi「そうなんですよ。デビュー前からずっと一緒で」
――しかも大沢伸一さんのプロデュースのもとでデビューされた同士。ワイヨリカはどういった経緯で大沢さんがプロデュースすることになったんですか?
Azumi「もともと私はシンガーとして、so-toくんは作家としてレコード会社のオーディションに受かって、それからしばらくデモ制作をしていたんですね。で、当時エピックでCharaさんを担当していたディレクター経由でそのデモを大沢さんに聴いていただいたところ、〈ぜひプロデュースさせてほしい〉と言ってくださった。私は地元(北海道・札幌)にいた頃からMONDO GROSSOが大好きだったので、〈まじでー?!〉って思って。大沢さんが私たちの音楽をデビューできるクォリティーにまで引き上げてくださったんです」
so-to「20年経ったいまも多くの人たちに僕たちの音楽を聴いていただけるのは、大沢さんのプロデュースがあったからこそ。本当に感謝しかないですね」
――デビュー当初のワイヨリカには、やや謎めいた雰囲気がありました。〈ソロなのかな、ユニットなのかな〉と思った記憶があります。
Azumi「デビュー・シングル“悲しいわがまま”(99年)のジャケットはイラストで、私の顔すら出てなかったですからね。〈何者?〉〈何人組?〉っていう得体の知れなさを醸し出していた。
で、アルバムを出すときに初めて顔を出そうということで、私ひとりがジャケ写に出たんです。当時はユニット名っぽいソロ・アーティストが多かったから、そのひとつだと思われた方も多かったでしょうね。プロモーションは普通にふたりでしていたから自分たちはそういうつもりじゃなかったんですけど、スタッフのみなさんのなかでミステリアスな打ち出し方をしようというのはあったと思います」
――音楽性としては、フォーキーでありながらもソウル・ミュージックの感覚があったり、ヒップホップ的なビートを用いたりするなど、ブラック・ミュージックの要素もいい塩梅で入ったものでした。そうした要素を取り込む匙加減が絶妙だなと感じたものでしたが、それは大沢さんのプロデュースによるところが大きかったんですか?
so-to「もともと僕もAzumiちゃんも、趣味は多少違うとはいえ、ソウル・ミュージック、ブラック・ミュージックが好きで、それが土台にあるんですよ。Azumiちゃんは僕と会う前からそういうのを歌っていたし、僕はバンドでそういう音楽をやっていた。僕の場合は一緒にやっていたメンバーたちがみんな働きはじめてひとりになっちゃったから、アコギでやりはじめたわけなんですけど」
――もとからふたりの根っこにあったものが自然にワイヨリカの音楽性へと昇華されていったわけですね。因みに90年代半ば~後半にかけては海外にもフォーキー・ソウル的な曲を歌うシンガーが何人かいたので同時代性を感じたものでした。例えばデズリーとか。
Azumi「ああ、そうですね。私たちの“チャイム”という曲は、デズリーの“You Gotta Be”を書いたアシュリー・イングラムの手によるものなんですよ」
大沢伸一から学んだこと
――そうでしたね。話は戻りますが、大沢さんプロデュースによるデビュー曲“悲しいわがまま”。今回の20周年記念ベスト・アルバムにも再録音して入れているぐらいですからワイヨリカにとって非常に大事な曲だと思うんですが、この曲がその後の方向性を決定づけたとも言えるんじゃないですか?
Azumi「この曲、いちばん初めのデモテープにもう入っていたんですよ」
so-to「まだレコーディングのこととか何もわからず、MTRで宅録したデモで」
Azumi「それを大沢さんに渡すときに〈悲しいわがまま/Azumi〉って書いてあったらしく。大沢さん、言ってたよね。Azumiちゃんのソロだと思っていたら……」
so-to「なんかヘンな男がついてきたって(苦笑)」
Azumi「その話、よくしてたよね。so-toくんがワイヨリカって名前をつけて決まったのは、けっこうデビューの直前だったんです」
――“悲しいわがまま”をレコーディングしたときのこととかって覚えてますか?
so-to「僕はすごい覚えてる。大沢さんがスタジオでパパパってビートを作って、そのあと〈弾いてみ〉って大沢さんに言われ、僕が緊張でブルブル震えながらギター弾いたら〈へったくそやなぁ〉って言われて(苦笑)。で、大沢さんがウーリッツァーで仮のコードを入れて、フレーズを弾いたらもう〈これでええな〉って。すごいかっこよくなっちゃってて、僕は〈う~わ~〉って。さらにスタジオで島健さんが鍵盤を弾いてくださって、よりすごいものになったという」
Azumi「感動したよね、あれ。ピアノの島健さんはいまでも可愛がってくれていて、呑むと酔っ払って必ず言うんですよ。〈Azumiちゃんは初めてのレコーディングのときに僕がピアノ弾いたら、泣いてくれたんだよね~〉って(笑)」
――いい話。今回“悲しいわがまま”を再レコーディングするにあたって意識したことはありましたか?
Azumi「なんにも。まんまです」
――歌とギターだけで、オリジナルのヴァージョンよりも素朴かつ味わい深い印象でした。
Azumi「そうですね。ギターと歌だけで成立する曲をというのはいつも思っていることで、そこを大切にしていますから」
――ワイヨリカは“悲しいわがまま”を99年5月に出したあと、“風をあつめて”“愛をうたえ”とシングルのリリースを続け、2000年の2月にファースト・アルバム『who said "La La..."?』を発表。5月には初のツアーを開催しました。この頃を振り返って思い出すのは、どんなことですか?
Azumi「忙しいというのがどういうことなのかはじめてわかったというか。スタジオ行って、歌詞書いて、レコーディングして、プロモーションして、撮影してっていうのが全部一緒にワァーって来て、どこにいるのかもわからない状態。必死だったよね」
so-to「うん。本当に必死だった。例えば大沢さんのスタジオで長いときだと夜中の12時くらいまで作業を続けて。で、大沢さんが〈行こか〉って言って、そこからエンジニアの方とかと一緒にThe Room(渋谷のクラブ)に行くわけですよ。そこで4時とか5時くらいまで遊んで、帰り際に〈じゃあ明日また。明日までに何曲か作ってこいよ〉って言われて、〈え~っ!!〉となって」
――あの頃はレコード業界全体が、シングルを途切れなくリリースして、その都度プロモーションさせてという時代でしたからね。
Azumi「そう。私たちも3か月に1枚出すのがルーティンで、レコーディング、プロモーション、PV撮影、ライヴと、グッチャグチャになって」
――でも、そういうなかから名曲が生まれることがありますよね。
Azumi「ほんとにそう。あの苦しい時期に出来たいい曲って、たくさんあるんです。追い込まれてこそ生まれるものって、やっぱりあるんですよ」
――ファースト・アルバムからシングル・カットされた“さあいこう”もそんな1曲だったんじゃないですか?
Azumi「レコーディングのときに祖父のからだが悪くなったので熊本にお見舞いに行って、帰りにスタジオに直行したんですね。そしたら“さあいこう”という曲が出来ていて、そこで私は初めて聴いて、〈こんないい曲なのに、おじいちゃんはこれを聴けないかもしれないんだ〉って考えたら涙がとまらなくなっちゃって。そのときにso-toくんが隣で〈なに泣いてんの?〉ってヘンな顔してたのをめっちゃ覚えてる(笑)」
so-to「だって、そんな事情は知らなかったから(苦笑)」
――ラップのように言葉を詰め込んで、それをメロディーにのせて歌うというスタイルは、“さあいこう”以降、いろんなアーティストがやってました。
Azumi「〈歌ラップ〉、すごく増えましたよね。ただ女性ヴォーカルでこういうふうに畳みかけるように歌ってリズムを出していくことをやってる人はそんなにいなかったと思う」
――確かに。この曲を含むファースト・アルバムは、大沢さんがトータルでプロデュースしたこともあって、やはり完成度が高いですね。因みに歌唱法に関しては大沢さんの指導やアドバイスってあったんですか?
so-to「〈上手に歌ったらダメ〉ってことは言ってたよね」
Azumi「うん。とにかく、上手く歌ったらボツでした」
――それは大沢さんのこだわりだった。
Azumi「大沢さんもそうでしたし、その後so-toくんとふたりで作るようになってからはso-toくんもそう言っていたし、レコード会社のディレクターさんにも同じことを言われました。何度も歌っていればだんだん上手くなるじゃないですか。そうすると〈Azumiちゃん、うまくなってきちゃったので、これで終わりにしよう〉って。〈ええっ、やっと慣れてきたのに。うまく歌わせてよ~〉みたいな(笑)」
――でも、わかる気がします。ワイヨリカの曲は感情込めて歌いすぎると、独特の切なさのようなものが薄れるんでしょうね。
Azumi「そうですね。エモーショナルに歌うとトゥーマッチなんだと思う」
――2001年12月にはセカンド・アルバム『almost blues』をリリース。大沢さんのほかに、さっき話に出たアシュリー・イングラムや藤本和則さん、田中義人さん、福富幸宏さんらがプロデュースを担当されてました。この頃はどんな時期でした?
Azumi「私はSteady&Co.の“Only Holy Story”への客演も入ってきてたので、さらにグチャグチャになってましたね」
so-to「僕は慣れてはきてたけど、音楽の方向性がちょっとわからなくなってきたというか」
――ワイヨリカらしさとはなんだろう、みたいな?
so-to「そうですね。覚えているのは、“シェルター”を作っているときに大沢さんと男同士の対決じゃないですけど、お互い矜持を持ってぶつかりあったんです。喧嘩ではないけど、とにかくどれだけいいものを作れるかってことで大沢さんもものすごくこだわってやってくれた。あのときの大沢さんが頭から離れないですね。ハットの音ひとつにも命かけてる感じで、ちょっと神がかっていたというか。僕は僕でアレンジまで自分で一生懸命やって持っていったんですけど、大沢さんが〈オレはこれを超えなあかんからな〉って言ってやってくれて、そしたらあっという間にすごいのが出来上がっちゃった。〈才能ないのかなぁ、自分〉って、ちょっと落ち込みました。そのくらい大沢さんがすごかった」
Azumi「うん。あのときの大沢さん、すごかったね」
――確かに“シェルター”のクォリティーは非常に高い。改めていま聴いても、そう思います。
Azumi「音楽好きな方はみんな、この曲を好きだと言ってくれますね」
――その後、大沢さんと離れて、初のセルフ・プロデュースによるミニ・アルバム『Folky Soul』を2002年12月にリリースしました。
Azumi「一回、原点に立ち返ろうということで、ギターと歌だけのアルバムを作るという案が出て。3曲だけ新曲を作って、あとはセルフ・カヴァーを入れました」
――so-toさんのアコースティック・ギターのよさとAzumiさんの歌声の魅力がそのまま表れた温かな作品で、このミニ・アルバムが特に好きだという人もいますね。
Azumi「いますね。ファースト・アルバムがいちばん好きだと言ってくれるファンと、『Folky Soul』で好きになってくれたファン、その次の『fruits & roots』からのファンと、2004年に出したベスト盤以降のファンと、ワイヨリカにはいろんな時期のファンがいるんですよ。けっこうアルバムごとに変わっていってるのもおもしろくて」
2人でできることはやりきったと思えた
――そして2003年11月に発表した3rdアルバム『fruits & roots』は、『Folky Soul』から始まったセルフ・プロデュースによるシンプルなアコースティック路線がひとつの結実を見せ、第2期ワイヨリカの代表作と言っていい作品になりました。
so-to「セルフ・プロデュースの楽曲を中心に作ることに対する不安もありましたけど、やってみたらすごくいいアルバムになって」
Azumi「うん。いい! 一歩踏み出せた感覚があったよね」
so-to「ライヴの雰囲気というか、〈ここで演奏している〉という感じをようやくアルバムでも出すことができたと思いましたね。〈演奏すること〉と〈作ること〉が一緒な感じというか」
――よりオーガニックになったということですよね。シングル曲“Mercy Me~いつか光を抱けるように~”などはタイムレスな名曲だと思う。
Azumi「ありがとうございます。でも、あれはいちばん苦労したんですよ。ドラマの『アナザヘブン』の主題歌ということで、お題に合わせて作るやり方だったんですけど、そういう作り方をしたのが初めてだったから。この到達点にもっていくまでにメロディーも歌詞も何十回と変えて完成したんです」
――2004年5月にはデビュー5周年を記念した初のベスト盤『wyolica Best Collection 〜ALL THE THINGS YOU ARE〜』が出ましたが、その翌年からそれぞれソロ活動を行なうようになり、ワイヨリカの活動は少しの間、休止になりました。そして2007年6月に配信限定のシングル“星”を発表して活動再開。2009年2月にミニ・アルバム『Balcony』をリリースしました。
so-to「『Balcony』は歌ものとしての完成度が高い作品で、ワイヨリカのアルバムのなかでいちばんよく家で聴くのがこれなんです。好きな曲ばっかり入ってる。一緒に作ってくれた人たちとクォリティーの高いことをやれたと思うし、メロディーも熟したところに行けたんじゃないかと自分で思える曲が多くて」
――“星”も“恋文”も長く聴き続けられるいい曲で。
so-to「“in the rain”も入っているし。ちょっと洋楽の雰囲気を持ったJ-Popで、ほかのひとがあまりやってない感じを上手くできたんじゃないかなと」
――2010年9月には4枚目のアルバム『Castle of wind』を発表しましたが、あの頃はどんな感じでした?
Azumi「初めてインディーズで出したアルバムだったので、あのときも必死ではありましたね。2009年に10周年を迎えて、そのあとのアルバムでもあったから。でも、いま思い返すと、so-toくんの曲もヴァラエティーに富んでいるし、より深いところに行けたアルバムだったかなと」
――かつてのワイヨリカらしさみたいなところに捉われることなく、楽曲のよさ、音楽のよさを純粋に追求しようとしていた頃だったんじゃないかと思うんですが。
so-to「僕もだいぶ歳をとってきて、50歳になっても60歳になっても演奏できるような曲を作らないと、この先続けていけないだろうなと思っていたんです」
Azumi「えっ、そう思ってあのアルバムを作ってたの? 初耳。知らなかった……」
so-to「うん。だから、子供っぽい曲は入ってないし」
――今回の20周年記念ベストに収録された『Castle of wind』の曲だと、“恋の幻”はジャジーだし、“僕は忘れない”はアイリッシュっぽい雰囲気がある。楽曲に幅がありましたよね。
so-to「うん。“僕は忘れない”は意外と僕の同世代のひとに好評で、〈あの曲をやるならライヴに行く!〉って同級生に言われたこともあるくらい。ソロでライヴやるときにもそう言われて、〈いや、ひとりじゃできないんだけど〉って言って(笑)」
――ふたりの技術も音楽性も進化したことを感じたアルバムでしたが、しかし結果的にこれが最後の作品になってしまいました。やれることは全部やったという思いがあったんですか?
Azumi「作っているときはそんなふうに思ってなかったんですけど、作り終えたあと、出し切っちゃったかなって感じは確かにありましたね。だからお互い、パッとソロに移ったし」