全米を興奮させた〈サタデー・ナイト・ライヴ〉での歌唱
たった一回のパフォーマンスが、ミュージシャンのキャリアを開花させることがある。たとえば64年の〈エド・サリヴァン・ショー〉でのビートルズ。あるいは84年の〈MTVビデオ・ミュージック・アワード〉におけるマドンナ。最近だと2016年、アメリカの人気コメディー番組〈サタデー・ナイト・ライヴ〉におけるチャンス・ザ・ラッパーのパフォーマンスで、それは起きている。
といっても、それはチャンス自身のキャリアではない(すでに彼はスターだった)。そこで彼がパフォームした“Same Drugs”で、バッキング・ヴォーカルのひとりを務めたある女性のキャリアである。ゴスペル色が強いこの力強いバラードで、彼女は終盤でソロを任されると、空を舞う雪のような軽やかなフレージングを聴かせたのだ。
Ladies and gentlemen, @chancetherapper with "Same Drugs" live from Studio 8H. #SNL pic.twitter.com/TJggPbl6th
— Saturday Night Live - SNL (@nbcsnl) December 18, 2016
現在のR&Bヴォーカルのトレンドは大きくふたつに分けられている。前者は、声そのものを朗々と響かせるサム・スミスやアデルのようなタイプ。後者は、細分化著しいヒップホップ・ビートに乗って軽やかなフレージングでリスナーを魅了するSZAやH.E.R.のようなタイプだ。彼女は自分がこの相反するふたつのトレンドを併せ持つ稀有なヴォーカリストであることを、わずかな持ち時間で世界に広く知らしめたのだった。
彼女がイエバになるまで
彼女のステージ・ネームはイエバ(YEBBA)。シャーリー・ブラウンやウェイン・ジャクソンといったR&Bレジェンドを生んだ、米南部アーカンソー州ウェスト・メンフィスで95年に生まれた彼女は、ゴスペルを聴いて育ち、十代のときにはコーラスのアレンジやディレクションまで任されていたという。
母の自死をきっかけに、NYのブルックリンに居を移すと、本名 アビー・スミス(Abbey Smith)のファースト・ネームを逆に読んだイエバを名乗り、プロのへの道を歩みはじめる。2016年の時点では自身のサイトで発表したアコースティックな“My Mind”(現在もダウンロード可能)で熱心なファンを獲得したり、ア・トライブ・コールド・クエストの再結成&ラスト・アルバム『We Got It From Here... Thank You 4 Your Service』(2016年)に収録された“Melatonin”で、元フロエトリーのマーシャ・アンブロウジアスとともにヴォーカルでフィーチャーされるチャンスに恵まれてはいたものの、音楽業界ではまだ無名だった。だが2016年の〈サタデー・ナイト・ライヴ〉でのパフォーマンスがすべてを変えた。
年が明けた2017年に発表したソロ・シングル“Evergreen”は、Rolling Stone誌で〈Songs You Need To Know(知るべき楽曲)〉のリストに選ばれ、Beats 1/Apple Musicの企画でライヴ演奏をバックに歌うビデオも発表された。レーベル未契約の新人としては異例の扱いである。またこの頃から他アーティストへの客演も活発化する。それはシンガーのみならずソングライターとしての才能を知らしめるものでもあった。
サム・スミスからエド・シーランまでがその才能を求める
まずイエバを指名したのは、「彼女の声は心が張り裂けそう。素晴らしい」と絶賛したサム・スミス。全英・全米1位を獲得した2017年のアルバム『The Thrill Of It All』ではシンプルだが力強いバラード“No Peace”で共作とデュエットを担当した。
2018年には、マルーン5のキーボーディストとしても知られるプロデューサー、PJモートンのライヴ・アルバム『Gumbo Unplugged』にゲスト参加。ビージーズのカバー曲“How Deep Is Your Love”をモートンと歌い、翌年のグラミー賞で〈Best Traditional R&B Performance〉を受賞したのだった。
2019年に入るとさらにこうした活動は加速する。“My Mind”のビデオを見て泣いたというエド・シーランの熱望によって静謐なアコースティック・チューン“Best Part Of Me”を共作、デュエットを務めたのだ。同曲を収録したシーランのアルバム『No.6 Collaborations Project』はタイトル通り、コラボレーションをテーマにした作品で、イエバ以外のコラボ相手はエミネム、カリード、カーディ・B、スクリレックス、ブルーノ・マーズなど大物ばかり。いかに彼女が未来のVIPと目されているか想像がつくだろう。
マーク・ロンソンとのコラボが示した進むべき方向
やはり2019年にリリースされたスーパー・プロデューサー、マーク・ロンソンのリーダー・アルバム『Late Night Feelings』におけるイエバもVIP待遇である。アリシア・キーズやカミラ・カベロ、マイリー・サイラスといったスターにまじって、最多の3曲にリード・ヴォーカリストとしてフィーチャー。しかもこの3曲は連続して収録されているため、まるでロンソンがプロデュースしたイエバのソロEPを聴いた気にさせられるのだ。
この3曲でロンソンが施したアンビエントR&B的なプロダクションは、イエバに自らが進むべき路線を指し示したのではないだろうか。最新シングル“Where Do You Go”では共同作業者にボン・イヴェールなどで知られるBJバートンを起用。幽玄でミスティックなサウンドスケープから彼女の祈りのような歌声が浮かび上がってくるかのようなナンバーに仕上がっている。
ヒップホップ時代のジャズの申し子といえるキーボーディスト、ロバート・グラスパーの最新作『F**k Yo Feelings』ではタイトル曲のヴォーカリストに抜擢されるなど、ジャンルを超えて熱い視線を浴びるイエバ。現在ニュー・マテリアルを準備中と聞く。きっとそれは2020年代におけるポップ・ミュージックの指針となることだろう。