INTERVIEW

GOMES THE HITMAN 山田稔明が語る、長く平坦じゃなかった20年:前編 ネオアコで人生を語り続けて

GOMES THE HITMAN『memori』リリース記念ロング・インタビュー

GOMES THE HITMAN 山田稔明が語る、長く平坦じゃなかった20年:前編 ネオアコで人生を語り続けて

今年、デビュー20周年を迎えたGOMES THE HITMANが、2005年リリースの『ripple』以来、14年ぶりとなるフル・アルバム『memori』を完成させた。

90年代末、“僕はネオアコで人生を語る”という強烈な宣誓と共に姿を現したGOMES THE HITMAN。デビュー当初は、〈ネオアコ〉という言葉が示す通り、初期~中期フリッパーズ・ギターに通じる瑞々しいギター・ポップを奏でていた彼らだが、しかし2000年代に入ると、フロントマンでありコンポーザーである山田俊明の作家性の目覚めと共に、作品ごとに内省と物語性を深めながら、バンドは独自の音楽世界を展開していく。

〈ネオアコ〉、もとい〈ネオ・アコースティック〉という言葉が和製英語であり、そのオリジネーターたちが、本来的にはカテゴライズや既成概念を疑い、出会いや摩擦から生まれる発明を形にしようとしてきた〈ポスト・パンク〉の文脈に位置するアーティストたちであったことを考えれば、GOMES THE HITMANの歴史が〈変化〉に満ちたものであったことも、頷ける。

そして2019年、新作『memori』においてGOMES THE HITMANが証明したのは、変化し続けることこそが、〈普遍〉へと至る道なのだということだ。『ripple』のリリース以降、2014年にライブ活動を再開するまで長らく沈黙期間にあった彼らだが、その沈黙も含めて、バンドが〈変わり続けること〉によって守ってきた〈変わらないもの〉が、『memori』には宝石のように閉じ込められている。

この素晴らしい新作の誕生を祝して、山田稔明の単独インタビューを前後編に渡ってお届する。まず前編では、93年の結成から2000年代後半のバンド活動休止に至るまでの期間をメインに、GOMES THE HITMANはどこからやってきて、そして、どんな道を辿ってきたのか、そのあまりに特別なバンドの軌跡を、山田に振り返ってもらった。

GOMES THE HITMAN memori ユニバーサル (2019)

 

「これで最後になってもいいかも」と思えた最高傑作『memori』

――GOMES THE HITMAN(以下、ゴメス)は今年デビュー20周年を迎え、14年ぶりの新作アルバム『memori』もリリースされます。この〈20年〉という年月を振り返ってみて、いかがですか。

「全然、あっという間ではなかったですね。〈気づいたら時間が経っていた〉というのとは違って、ちゃんと20年経ったなっていう感じがします。

僕らはレコード会社をいくつも変わっているけど、それぞれの場所で思い出がたくさんあるし、そもそも最初から完成していたバンドではないので、ずっと変容し続けてきたっていう感覚があるんです。安定感がないまま、ゆらゆらしながら、20年目に辿り着いたなっていう感じがします」

――ゴメスが変容し続けてきたバンドであるということは、この20年間にリリースされてきた作品群を振り返ると、よくわかります。

「音楽が好きであることは、ずっと貫いてきたことだと思うんです。新しい音楽を聴くと、それに影響を受ける自分がいるわけで、僕らは意固地になって自分のスタイルを貫くタイプではなかったんですよね。

20年前の作品は20年前の音がしているし、2000年代の作品は、その当時聴いていた音楽から影響を受けたバンドサウンドになっている。イギリスのネオアコに憧れていた時期もあったし、〈USインディーっぽくやりたい〉と思っていた時期もあった。ずっと〈○○みたいな作品を作りたい〉という感覚をずっと持ち続けながら作品を作ってきたんです。それは、いま振り返ると微笑ましくもあるんですけど、今回、14年ぶりにアルバムを作ってみて思ったのは、今は、〈GOMES THE HITMANみたいな作品を作りたい〉と思っているんだなって」

――なるほど。

「すごく客観視できているんです。長くやってきたけど、〈GOMES THE HITMANってこういうバンドだったよな〉っていうことを、今回のアルバムには落とし込めていると思います。20年目にして、今回のアルバムを作れたのは、すごく嬉しいことで。

今まではアルバムを作っても、最高傑作だと思えたことがなかったんですよ。いつも〈はやく次の作品を作りたい〉とか、〈もうちょっといけたはずなのにな〉っていう気持ちがあったんですけど、今回は達成感がすごくて。20年経って、やり方がやっと掴めた感覚があるんです。〈これで最後になってもいいかも〉って思えているくらい、今は清々しい気分でいます」

『memori』ダイジェスト・ムービー

 

GOMES THE HITMAN結成、そして山田稔明は日本語で歌った

――今回の記事は、前編と後編の2つの記事にわけようと思っているんです。まず前編ではゴメスのこれまでのキャリアを振り返り、後編で、じっくりと新作『memori』の話をしていただこうと思います。

「はい、よろしくお願いします」

――そもそもの話になりますが、山田さんがゴメスを始めたとき、このバンドでなにをやろうとしていたんでしょうか。

「当時の自分がやりたかったことは、自分で曲を書いて、歌詞を書いて、ギターをジャカジャカ弾きながら歌う、そして、そこにバンドがついているっていうこと。基本的なことは、ずっと変わっていないんですよ。

GOMES THE HITMANっていうのは、僕が19歳、大学2年生の頃に組んだバンドで、僕が初めてヴォーカルをやったバンドなんです。それまではずっとギタリストだったんですけど、作詞作曲をするようになり、〈自分で作った曲なら、自分で歌わないとな〉と思ったんですよね。それで、自分がヴォーカルをやるバンドを作ろうと思って、ゴメスを作ったんです」

――歌詞は、最初から日本語詞でしたか?

「いや最初は英語で書いていたんですよ。洋楽を聴いていたし、大学で英語も勉強していたので、英語で書くことは自然なことだったんですけど、ゴメスを結成した93年に小沢健二の『犬は吠えるがキャラバンは進む』というアルバムが出たんですよね。それを聴いて、〈日本語でこんなにかっこいい歌が書けるのか〉って、ビックリしちゃって。そこからはもう、英語で歌うのは意味がないと思って、日本語で歌詞を書き始めたんです。

それで自分で歌い始めて、当時は歌には全然自信がなかったんですけど、それが今でも生業になっているのは、自分の誇りでもありますね」

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