ルーファス・ウェインライトの新作にミッチェル・フルームがプロデューサーとして参加……もうこれだけでポップ・ファンからしたら内容は間違いなしと思ってしまうが、もちろん実際のクォリティーも期待を裏切らない素晴らしいもの。初期のクラシカルなスタイルから近年カヴァーに取り組んだオペラの影響を感じさせる曲まで、内容はヴァラエティーに富んでおり、キャリアを総括する作品と言ってよい。

 


アメリカーナを基調とした滋味豊かな歌と硬質なバンド・アンサンブルの隙間を縫って時折、柔らかなストリングスが響く。すると途端に、聴覚空間の広がりや奥行きが意識され始める。このマジカルなアレンジとそれがもたらす音響効果は、ヴァン・ダイク・パークスやニック・デカロといったバーバンク・サウンドの担い手たちを彷彿させる。

大御所ミッチェル・フルームをプロデューサーに立て、ブレイク・ミルズ、マット・チェンバレン、ジム・ケルトナーといった手練れたちの個性をみずからの世界に調和させる、ルーファス・ウェインライトのミュージシャンとしての熟達ぶりに私は驚いた。だがそれは同時に、彼が着実に老いつつあることを示してもいる。

老いについての悲観は、ある程度歳を重ねた人間であれば、誰しも一度は抱くものだろう。だが一方で老いるという宿命は、恐怖や無力感に呑まれぬためのオルタナティヴな思想を引き出す原動力ともなる。私はいま、エドワード・サイードが提示した〈晩年のスタイル〉という言葉を思い浮かべている。老人があえて子供になるとき、ただ子供である状態では感じられぬ新鮮な驚きを感じることができる――サイードは保守的な精神を拒否した芸術家の晩年の姿に、老いが新鮮さをもたらす可能性を見たのだった。

ここで本作についてのルーファスの発言を引いてみよう。「目標としたのは、人生の第2ステージで素晴らしい作品を生み出した先人たちだった。例えば、『Future』をリリースした頃のレナード・コーエンや、40代に入ってからのシナトラ、そして『Graceland』をリリースした頃のポール・サイモンとかね」

ここで彼が名前を挙げたミュージシャンはいずれも、年を重ねるごとに好奇心を増し、ものを見る目を純化させていった。まるで子供になっていくかのように。そしてルーファスもまた、彼らの系譜に自己を同一化しようとしているのだろう。その意志は『Unfollow The Rules』というタイトルにも表れている。〈加齢によって幼児性を失う〉というルールに逆らう。彼のデビュー当時の特徴であった反逆児ぶりは、形を変えつつも未だ健在であると言えるかもしれない。

そんなことを考えながら改めて本作に聴き入ると、静かに進んでいく歌の隙間にストリングスを響かせ、空間の広がりや奥行きを演出するアレンジが、まるで直線的な時間感覚を変容させる魔法のように思えてくる。その魔法にかかれば、歳を重ねることに対する勇気が湧いてくるだろう。