©1982/2004 T&C FILM AG, Zuerich ©2020 FRENETIC FILMS AG.

スイスの至宝 ダニエル・シュミット生誕80年記念

 うつくしさ、はどこに行ってしまったのか。

 キレイやカワイイが節操なく口にされ、いたるところに増殖している今世紀、うつくしさは居心地がわるい。どんなものでもそのときそのときのありようを評価するのはわるいことじゃない。でも、うつくしさ、美、圧倒的なもの、というのがあるのを忘れたら、どうなんだろう。

 「ヘカテ」はうつくしい。

 うつくしさをどこにみいだすかはひとりひとりちがうかもしれない。映像に、音楽に、女優に、男優に、ファッションに、景色に、ひとの曲線に、演戯に、うごきに。あ、この瞬間、と打たれることがあり、もうすこし持続することもある。それは過ぎ去ってしまい、あとは、あなたのなかに記憶がのこるばかりだ。でも、それがここには、「ヘカテ」にはある。感じられなかったなら、それはそれ、残念でした――美の女神と、この映画ではすれちがう運命だったのだ。すくなくとも、このときは。

 原作は外交官でもあったポール・モラン(1888-1976)、いまは忘れられているかもしれないがかつて堀口大學が熱心に「夜ひらく」などを翻訳した作家、の「ヘカテとその犬たち」(1954)。舞台は1920年代、フランスの植民地タンジール。外交官と女性が出会う。

 ファム・ファタルとか、エクゾティスム、オリエンタリズムとか口にするのはかんたん。そうですね。と応えて、ほかのはなしをしよう。そうした腑分けや単純化とは無縁にこの映画はある。さっきも言ったうつくしさ、そして、惹かれる、恋する、恋でおかしくなる――恋からとおざけられて抜け殻になる――そんなどうしようもなさがあなたのなかのどこかにあるなら、映画は忘れがたいものとなる。

 ピアノのシンプルなオクターヴのうえ、クラリネットの音が1音ずつゆっくりのびてきて、ふっと一息、ワルツが。

 カルロス・ダレッシオによるテーマがさまざまに変奏される。ときにひびいてくる魔法をかけてくるようなマグレブのリズムと対照的に。

 

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 蓮實重彦が今回の公開のために記したことばをつかわせてもらうなら、〈二階の欄干〉で女性を、男性が〈背後から抱擁する〉。このシーンでひびくのはオーケストラの、ウィンナ・ワルツのスタイルをとったテーマだ。この、映像と音楽ともにある持続に身をおいたなら、どうして19世紀から20世紀にかけてワルツがヨーロッパで大流行したかが、きっと感じとることができる。ほかのダンス・スタイルではない。2拍子系でなく3拍子のエフェクト。1拍目のアクセントがひとつの小節のなかひびきのこる。のこったまま、またつぎの小節のアクセントへとつらなる。循環する。まるでどきどきする心臓のよう。くりかえされるなか、心身は昂揚し、艶かしく、狂おしく抱擁は激しくなる。これはワルツの秘密を教えてくれる映像だ。そして、うつくしさとは、うつろってゆく、なくなってしまうもの、と映画は教えてくれる。

 うつくしさはデジタル・リマスターでよりうつくしく、そして大きい画面でこそ。

 それにしても、ダニエル・シュミット、はやく亡くなったんだな。生きていてもまだ80……。

 


CINEMA INFORMATION

「ヘカテ デジタル・リマスター版」
Hécate, maîtresse de la nuit

監督:ダニエル・シュミット
脚本:パスカル・ジャルダン、ダニエル・シュミット
音楽:カルロス・ダレッシオ
原作:ポール・モラン「ヘカテとその犬たち」
出演:ベルナール・ジロドー/ローレン・ハットン/ジャン・ブイーズ/ジャン=ピエール・カルフォン/ジュリエット・ブラシュ
配給:コピアポア・フィルム (1982/フランス=スイス/108分)
◎2021年4月23日(金)より、渋谷Bunkamuraル・シネマ他にて公開
hecate-japan2021.jp