マルチ・クリエイターを自称するTnaka(てぃーなか)によるソロ・アイドル・ユニットmarble≠marbleが、本日2021年8月25日(水)にリリースする4作目のアルバム『89/99』が面白い。〈え? コレって元ネタ絶対アレだよね?〉というような、90年代のJ-Popをモロにオマージュした楽曲が多数収録されており、まるで〈あの頃〉のランキングTOP10を聴いているかのようなノスタルジーに浸れる作品に仕上がっている。また6曲収録されたリミックス曲のリミキサー陣も、加納エミリ、ディスク百合おん、高野政所など、90年代カルチャーに多大な影響を受けたアーティストばかり。では、なぜ令和の時代に90年代なのか? 自身の配信番組「南波一海のアイドル三十六房」でも親交のある南波一海がTnakaを直撃する。 *Mikiki編集部

marble≠marble 『89/99』 MARQUEE≠HOUSE(2021)

 

思い描いた東京進出と現実

――前作(2019年作『The Shape of Techno to Come』)を出してから今回のアルバムに至るまでのお話がうかがえればと思っています。

「ちなみになんですけど、今日はアルバムのアートワークを持ってきたんです」

――おお。いつもTnakaさんが自分でデザインしているんですよね。

「はい。(アートワークをテーブルに並べながら)ここで顔がちょうど半分切れてて、ケータイがちょうど中心に来るようにしていて」

――globeのアルバムで写真が見切れているのがあるじゃないですか。それに通じるものがありますね。

「じつは今回、globeのCDをめちゃくちゃ参考にしながらやってました。行間の空けかたとかまで」

――そうなんですか! いきなり核心の話になってしまった(笑)。アルバムに入ってる“Life Goes On”は爆笑しましたもん。メロディーと展開が完全に小室哲哉で。

「私、すごくKEIKOに憧れてたんです(笑)。松本さん(marble≠marbleのトラックメイクを手掛けるマツレイ!。かつて小室哲哉のもとで働いた)は今まで(小室サウンドを)避けようとしてたんですけど、ついに隠しきれなくなって。今回は今まで以上にJ-Popに向き合うというか、わかりやすくオマージュする感じにしたいなというのがありました」

――わかりやすいというのはこの作品のポイントですよね。まずは背景から訊いていきたいのですが、前作と今作での一番の大きな違いはTnakaさんが大阪から上京してきたことだと思うんです。それは活動の広がりを求めてのことだったんですよね。

「そうです。大阪にいるときの自分のヴィジョンでは、地元で盛り上がるだけ盛り上がって遂に上京という形を思い描いていたんです」

――お笑い芸人の東京進出みたいな。

「そうそう! お笑いが大好きなのもあって、私もそんなふうに考えていたんです。でも、あるとき、それは厳しいなと思って」

――シーン自体が大きいものでもないですからね。

「それで、新人のつもりでイチからやるぞという気持ちで拠点を東京に移しました」

――上京してからはいかがですか。

「一番よかったのは出会いですね。ファンの人もそうだし、色んなアイドルの方にいっぱい出会うことができて。東京に来てからは悩んだときに相談したり、一緒に企画とかイベントをやったりするような仲間ができました。今までmarble≠marbleはグループだったんですけど、ソロになって色んなことがしやすくなったのはよかったなと思ってます」

――そもそもなんですけど、marble≠marbleはTnakaさんのソロ・ユニットという認識でいいんですよね。

「はい。セカンド・アルバム(2017年作『J≠POP』)まではユニットとしてやっていて。トラックメイクのふたりがバック・バンドみたいな感じで常に一緒にステージに立っていて、3人でmarble≠marbleだったんです。そこからふたりは裏方に回って、今はTnakaのソロとしてやってます」

セカンド・アルバム『J≠POP』のダイジェスト
 
サード・アルバム『The Shape of Techno to Come』のダイジェスト
 

――前作からソロになった。

「3枚目の頃は徐々にという感じでした。去年の11月の東京のワンマン・ライブで完全にひとりのユニットとして頑張ります、という区切りをつけたという。それまではソロでステージに立ちながらも3人でmarble≠marbleという意識がすごく強かったんです。marble≠marbleは3人のものという。でも、私だけひとりで東京にいて、ソロでやっている色んなアイドルさんに刺激を受けていくなかで、徐々に変わっていきました」

――以前の形だとアイドル・イベントに出にくいという面もありましたか?

「そういうのはなかったです。初期の頃からバンドなのにアイドル・イベントに出ているという感じだったので」

――その〈なのに〉を取っ払って、正面から勝負したいというのもあったのかなと。

「それはすごくあります。私、marble≠marbleの前に、ほんのちょっとだけソロでやってたことがあったんです。それこそglobeとか鈴木あみとかを歌ってたりして。それをふたりに〈見てられん。誰かとやったほうがいい〉と言われてしまって。じゃあバンドやろうということで結成したのが始まりなんですけど、もうひとりで大丈夫、任せられる、となってくれたんだなと思います」

――ある意味、1周してきてもとの位置に辿り着いた。

「結果的にはそうなのかもしれないです。あの……今話していて、そうなのかもと気づくことが多いですね(笑)。話すことでわかるというか。ひとりでインタビュー受けるのは初めてなので嬉しいです」

――光栄です。東京に出てきて、ソロとしてやっていくなかで活動の幅は広がりましたか?

「逆にそれまでが定まらなさすぎて、どこにもフィットしなかったんですよね。どこの型にもハマらない感じが良さだと思ってやってきたところもあるんですけど。でも、ソロ・アイドルとしてやることでやっとハマることができたというか。今までがふわっとしてたんだと思います」

――どこにでも出ていけるけど、結局はどこでもないというか。

「強さでもあるし、弱さでもあったんだと思います。ソロになることによって色んな出会いが増えたので、広がったというよりもピタリとハマったというか。でも、広いところでやっていたからこそ、たまにイレギュラーな対バンがあっても対応できるというのもあって」

――昔の経験が活きる場面も出てきた。

「そうですそうです。当時の、今とは全然違う界隈のお客さんがふと来てくれて、〈あのときあそこで観てたよ〉と言われたり。当時はどうしたらいいんだろうと悩んだりしていたんですけど、無駄じゃなかったんだなって最近は思います。でも……」

――でも?

「たらればの話をしてもしょうがないんですけど、コロナがなかったらな、とは思います」

――いや、せっかく上京してきたのにと思うのは当然ですよ。

「東京に来たのが一昨年の8月で、その半年後くらいにワンマン・ライブと思っていたところ延期になって、精神的にめちゃくちゃ食らいました。去年の4月にアルバムを出しますと発表して、8月から秋口くらいにはリリースしたいねって話だったんです」

――それが1年持ち越しになり。

「めちゃくちゃ延びてしまって。当時は“Life Goes On”もできてなかったので、発売が延びたからできたこともあるんですけどね。ちょっと重い話になっちゃうんですけど、当初はそのワンマン・ライブを区切りに、活動をガンガン頑張るのをやめようと思ってたんです」

――そうなんですね。

「全力でやったら後悔しないかなって。これは長くやってる人はみんな思うことだと思うんですけど、辞めたいと考える時期が結構来るんですよ。私もそういう時期に入ってて。自分に負けて、しんどくて辞めるんだったら後悔するなと思ったので、やり切って辞めるのがいいと思ったんです。東京に来て、やりたいことをやって、それでも結果が残らなかったら〈やることやった! 全部終わり!〉ってなれるかなと思ってたんですよね」

――東京にやってきてわりとすぐにそう思ったのでしょうか。

「いや、そう決めたからこそ東京に出てきたという感じです。でも、東京で心機一転頑張ってみたら、やっぱり楽しかったんです」

――なんと希望が見えてしまったという。

「ですね(笑)。ライブでお客さんと一緒になれるのが楽しくて。まだ続けようと思えたんですけど、それがコロナによって失われてしまったのは絶望というか。最初はみんな同じ状況だから自分を納得させてたんですけど、だんだんそうじゃなくなっていったじゃないですか」

――やる人はやるし。

「やらない人はやらない。それで、なんとも言えない気持ちが蓄積されていって」

――活動ができないというのはリアルに死活問題に直結しますしね。

「そうなんですよ! 金銭的な問題もあると思うんですけど、精神的なアウトプットがないと……。デザインとかの創作物のアウトプットも大事です。でも、私にとってはライブに敵うものがなくて。お客さんが直に受け取ってくれて、その反応も直に見ることができるという環境によって自分を保てていたんです。配信とかも頑張ってるところなんですけど、相手がどんな顔してどんな感情を抱いてるかはわからないじゃないですか。だからすごく不安になっちゃうんですよね。ライブ会場はお客さんの顔が見られるから元気をもらえる。それはみんながいい反応をしてくれるからってことなんですけどね。だから、コロナで挫かれてヘナっとなる気持ちもあったし、絶対にやるぞという気持ちもありました。自分の意志とは関係なく失われてしまうと、逆に闘志が湧いたところもあります」

――そして1年越しのリリースに至ると。

「リリイベとかして盛り上げたいという気持ちがあって先延ばしにしてた部分もあったんですけど、もう待っててもしょうがない状況なので(笑)。それに、これは私がひとり立ちしてスタートを切る作品で、東京でのファースト・アルバムという感覚があるので、早く出さないとっていう気持ちがありました」

――小出しにしてきたシングル曲も増える一方で。

「その結果、リミックスもいっぱい入りました(笑)」

90年代はカレー!?

――コンセプトはずばり90年代ということですが、最初からこの構想があったのでしょうか。それともシングルをまとめる段階でコンセプトが出てきたのでしょうか。

「ほぼ前者ですね。サードの頃からレトロ・フューチャーということで90年代っぽい感じをどんどん攻めていったんですけど、さっきの話でいうとサードは後者で。並べていったら90年代色がどんどん強くなっていたんです。だから次はがっつり90年代でいこうと」

今作のダイジェスト
 

――今回のアルバムの収録曲はどれも明確なテーマがあると思うのですが、Tnakaさんはどういった関わり方をしているのでしょうか。

「ゼロからイチの段階でなにか言うことはそんなにはなくて。こういうのがあったらいいよね、みたいな話は結構するので、例えば“PARA PARA Shi Night”は〈パラパラやりたいよね〉ということは言ったと思います。“天才!原色ガール☆”は〈みんなで一体感が出て盛り上がる曲がほしい〉とか。なので、90年代のサウンドとかではなくて、ライブを見据えたバランスを考えて言ったりはします」

――“天才!原色ガール☆”は電気グルーヴですよね。

「篠原ともえを意識して。シノラーを目指しました(笑)」

――なるほど! “クルクルミラクル”(石野卓球プロデュース)ですね。

「もともと私がシノラーをすごく好きってことで、そういう曲作ったよみたいな感じでデモが上がってきたんです。歌詞は自分で書いてるので、シノラーみたいに元気なものにしようと。サードのときよりも直接的に(元ネタが)わかりやすいものを目指して、ヴァラエティー感を出したかったんですよね」

――“SHOOTING STAR”は完全にTommy february6で。やりすぎだろうと思いましたが(笑)。

「私も原曲を聴いたときはおやおやと思いました(笑)。でも、Tommy february6自体が80年代とか70年代のオマージュじゃないですか。私、その時代のものも好きなんですよ」

――ここ何年も、というかここ20年くらいは80年代リヴァイヴァルみたいなものがずっと続いていて。それってその前の時代を参照にしたものがたくさん入っているからなんだろうなと思うんですよね。90年代もまた然りで。

「“MOVE ON”は私のなかではSPEEDとかDA PUMPをイメージしてるんですけど、それも元ネタがあるじゃないですか。90年代って色んなブームが全部混ざった時代と思っていて。80年代と言えばこれ、というのがいくつもあるとは思うんですけど、90年代はこういう要素もあるしこういうのもある、というのが混ざっていて、それが日本らしくて、カレーだなと思うんです」

――カレーですか。

「わかりにくいですけど、カレーってインドから来たもので、日本のアレンジで全然違うものに変わりましたよね」

――たしかに独自の発展を遂げた、オリジナルとは別ものですもんね。

「そういうジャパン・フィルターみたいなのが90年代は色濃いと思ってて。そこが私の好きな部分なんです」

今までは無駄じゃなかったな、みたいな

――“Back to InDo”はそのカレーの話とは関係あるんですか?

「それは関係なく(笑)、カレーの曲を作ろうということになったんです。90年代は“だんご3兄弟”的なコミカルなカテゴリーがあったじゃないですか。この曲はそういうイメージだと捉えてるんですけど。実際に旅行に行ったくらいインドとインドカレーが大好きなんです。以前は京都の龍岸寺というところで定期的にライブをさせてもらっていて、そこでトークをしたいと思ってインドの仏教と日本の仏教の違いを調べたり。日本に渡ってくるにつれて変わっていくのはカレーも同じだなと思いながら歌詞を書きました」

――混ざるという意味では“RIDE ON A WAVE”は小田和正に山下達郎が乗っかったようなシティー感のある曲ですが、ここでは時代が巡るということを歌ってますよね。

「歴史とかブームって繰り返すと思っているので、また来たなというのをイメージしました。これからも繰り返していくぞ、みたいなつもりで歌詞を書きました」

――冒頭にも話したTKオマージュの“Life Goes On”はド直球の90年代で。

「本当にglobeっぽいですよね。もともとはがっつりバラード曲がなかったので、ほしいよねって話していて。歌うのも難しい曲なんですけど、何年間もボイトレを頑張ってきたし、今ならこういう曲もできるんじゃないかということで挑戦してみました。これは……ライブで歌えるかわからないですね(笑)」

――歌詞としては東京に出てきて以降の気持ちが描かれていますよね。それがわりと重めで、歌い出しから〈どこまで歩き続ければいいだろう〉となっていて。

「もっと明るくすればよかったですよね(笑)。デモができてから歌詞ができるまで1年はかかったんですけど、その間の自分の悩んでる状況とかが含まれすぎていて。ただ、力強くこれからも頑張っていくというのを伝えられたらなという感じで書きました。基本的に暗い歌詞が多いので、これだけがものすごい暗い感じになっちゃったなというわけでもないんですよね」

――活動についてあれこれ考えている心情を描いているのかなという歌詞があちこちにあって。

「自分で書いておきながら、自分でそうだなと思うことがいっぱいあるんです。今までは無駄じゃなかったな、みたいな。書いたときは自分にそう言い聞かせるところがあったと思うんです。きっと無駄じゃないから頑張ろうっていう」

――自分を鼓舞するように書いた歌詞だけど、後々になって現実に繋がってくるわけですね。挫けずに頑張ろうみたいなことはどの曲でも言ってますよね。

「ほんとにそうですね(笑)。私、小さい頃からB'zが大好きで、思春期にわーきゃーするでもなく、B'zの歌詞を読み続けて、それをずっとノートに書いてたんです。暗いファンですよね(笑)。稲葉(浩志)さんの歌詞はパッと見で読んだ感じは暗いけど、そこから頑張るぞというのが多くて。自分の歌詞を読み返すと、そういうところで影響されてるのかなと思います。あまり意図的ではないんですけど、そういうのを書きがちですね。逆にラヴソングとかは小っ恥ずかしくてまったく書けなくて。だから、3曲目の“よくあるラブソング”も、タイトルで言うほどそんなにラヴソングではないんです(笑)」

――本編ラストの“New-Normal Wind”はまさにコロナ以降の曲です。

「去年の夏に出したネムレスさんとのスプリットCD(『POWWER』)のために作った曲で。家に籠ってる間に書いたんですけど、当時はぴったりと思った言葉が、今ではそうでもないなと思ったりすることもあります。そのときの記録という感じですね。この曲はリズムの練習をむちゃくちゃしました。もともとリズム感がないので、歌っててよく見失います(笑)」

――かなり複雑に打ち込まれたトラックですもんね。

「X JAPANを意識したって聞きました」

――そういうことなんですね! それがこんな破天荒なドラムンベースになったという(笑)。

「曲は打ち込みですけど、歌はロック的に歌うことを意識しました」

 

今できることは全部できたかな

――そして本編のあとにはリミックスが6曲も収録されています。

「どれが面白かったですか?」

――ディスク百合おんさんとか高野政所さんとは相性が良さそうだなというのは分かるけど、想像がつかない組み合わせという意味では矢舟テツローさん(“マシュマロ -Tetsuro Yafune remix-”)が面白かったです。生演奏のジャズのアプローチで。

「いいですよね! リミックスのなかではむしろ一番90年代っぽくて、アルバムにマッチするように仕上げていただきました」

――ほかにも加納エミリさんが参加していたりと人選がユニークですが、どうやって決まっていったんですか?

「純粋に〈この人のリミックス聴いてみたくない?〉というところからお願いしてます。自分たちには絶対にできない変化をもたらしてくれる人で、実際にそうなっていると思います」

――といったあたりで時間がきてしまいました。アルバムが完成してみていかがですか?

「まだデザインが最後まで完成してないので(※取材時)、ちょっとすっきりしてないんです(笑)。歌の表情を曲ごとに変えることを意識したんですけど、それはできたと思ってます。ジャケットも色んな90年代があるよねということを表したかったので、音楽とジャケットがうまくまとまったかなと。今できることは全部できたかな。そうだ、90年代のCDと言えばスリーブケースだと思ってるんですけど、今回、スリーブケース仕様にしました」

――このご時世にそれはすごい。

「やっぱり所有してる感があるのがいいじゃないですか。写真もいっぱい使ってます。デザインする面が増えてしまったので、今がまさに大変なんですけどね(笑)」