(左から)惠翔兵、惠愛由、岡田優佑
 

2017年より関西を拠点に活動し、2020年に入ってからはコンスタントにシングルとEPをリリース。着実に注目度を高めてきたBROTHER SUN SISTER MOON(以下、BSSM)がファーストフルアルバム『Holden』をリリースした。惠翔兵を中心に、彼の妹の惠愛由、岡田優佑の3人が、作詞と作曲、そして演奏パートを適材適所でフレキシブルに担当。現代のインディーバンドならではの形式にとらわれない自由奔放な創造力が描き出すサウンドスケープとエヴァーグリーンな輝きに満ちたメロディーが、〈慈愛〉という共通項で繋がったような、新しい感覚を湛えた作品だ。本作は、彼らが常々唱えてきた〈ポップネス〉に対するひとつの答えなのかもしれない。

BROTHER SUN SISTER MOON 『Holden』 Bigfish Sounds(2021)

サイケデリックの先をめざして

――本題に入る前にひとつ質問です。翔兵さんはBSSMの前に、Orca Shoreという60年代~70年代のサイケデリックロックや、その流れを汲んで2010年代に台頭してきたテーム・インパラやテンプルズらと共鳴する音楽性のバンドを組んでいました。しかし、2015年8月にファーストアルバム『Make Believe』をリリースしてすぐに解散。私はライブもよく観に行っていて、いよいよこれからだという気運の高まりを感じていただけに、その理由を知りたくて。

惠翔兵(ボーカル/ギター)「おっしゃる通り、Orca Shoreはサイケデリックロックのオリジネイターやリヴァイヴァルの波から強い影響を受けたバンドでした。でも、アルバムを作ってから先のことを想像したときに、そのままサイケに傾倒したサウンドをやり続ける雰囲気ではなかったんです。それでいったん終わりにしようと」

Orca Shoreの2015年作『Make Believe』収録曲“Only Echoes”
 

――私は『Make Believe』の前月にテーム・インパラが『Currents』をリリースしたことが、もしかすると関係しているのではないかと思っているんです。『Currents』はサイケデリックな作品ではありますが、ヴィンテージな色を減退させ、ポップミュージックやダンスミュージックの要素を取り入れて一気にモダンな方向性に舵を切った。その結果、シーンが一変したように思うのですが。

翔兵「確かに、それまでの60年代や70年代のサイケ色が色濃く出たリヴァイヴァルのムーヴメントに終止符が打たれたような感じはありましたよね。Orca Shoreは『Currents』が原因で解散したわけではないですけど、振り返ってみると、あのアルバムを聴いたことでバンドのモードが切り替わって解散に繋がった部分は少なからずあったと思います。テーム・インパラがまさかあんなにはっきりしたビートのポップなアルバムを作るとは思っていなかったし、それがすごくかっこよかったので」

 

ビートルズ、ガレージロック、カクバリズム……BSSMに影響を与えた音楽たち

――なるほど。ではその後BSSMの活動に至った経緯を教えてもらえますか?

翔兵「Orca Shoreを解散してから、最初はそれこそテーム・インパラのケヴィン・パーカーのように、基本的にはソロプロジェクトで、ライブのときだけ僕が考えていることを演奏してくれるメンバーを集めようと思って、とりあえず妹の愛由に声をかけたんです。ドラマーの岡田くんはミュージシャンの友人に紹介してもらいました」

惠愛由(ベース/ボーカル)「ほんとうに〈とりあえず〉で、そこから本格的にバンドをやるなんて思ってなくて」

――そこからどういう展開で本格的に始動したのですか?

翔兵「セッションを重ねていくうちに、〈これ、いけるかも〉って」

――お互いどんなところに惹かれ合ったのでしょうか。

翔兵「僕と愛由は兄妹で、よく好きな音楽を聴かせあったりしていたので、お互いの趣味やそこに至った経緯まで知り尽くしてましたね」

――お二人のリスナーとしての遍歴をもう少し詳しく教えていただけますか?

翔兵「音楽を自発的に聴くようになったのは僕が小学校3年生か4年生の頃。母がTSUTAUAで借りてきたビートルズの赤盤と青盤、あとなぜか『Anthology 3』(96年)を加えた3作品をCD-Rに焼いて聴きまくっていました。あとはローリング・ストーンズやクイーンのベスト。いわゆるロックの王道ですね。

そこから中学生になってTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTやゆらゆら帝国に出会ったことはすごく大きかったです。それまでは日本の音楽と言ったら、ふつうに生活しているだけで聞こえてくる〈ザ・J-Pop〉みたいな曲しか知らなくて、僕が好きなロックは遠い海の向こうの出来事だと思っていたんですけど、〈わ! 日本にもいるやん〉って。そこで自分が曲を作るということが現実味を帯びてきて」

愛由「(兄は)高校の一時期はめっちゃガレージやったね。いったん別の方向にディグが進んで、また合流した気がする」

翔兵「ガレージロックの野に放たれたことで、シンセとかが入っている音楽なんてありえない、みたいなタームに入ってしまって(笑)」

愛由「私もTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTは好きだけど、どちらかというとブランキー派だった。これは兄もだけど、髭みたいなもうちょっとメロウなロックも好きで。あとフィッシュマンズをめちゃくちゃ聴いてました。Orca Shoreのメンバーで今はOpus InnというプロジェクトをやっているKAMEくん(Mishio Horiuchi)からの影響で、メロディーズ・エコー・チャンバーあたりにもハマって」

翔兵「僕がシンセの音を受け入れられるようになったのもKAMEくんの影響。それまではギターで曲を作っていたんですけど、彼がGarageBandの存在を教えてくれて。〈そのカッコいい名前のやつなに?〉ってところから、制作ソフトで曲を作ることを覚えました。それが、編成や使用する音に変なこだわりを持たずにいいと思うことはどんどんやっていこう、というBSSMの活動の原点と言えば原点かもしれません」

――では、岡田さんとお二人はどこでフィーリングが合ったのでしょう。

岡田優佑(ドラムス)「初めて一緒にスタジオに入ったとき、僕がリンゴ・スターみたくスネアをタオルでミュートしたんですけど、そしたら翔兵さんがすごく喜んでくれて。そういう感覚が近かったことは大きいと思います」

――岡田さんはビートルズのほかにどんな音楽が好きだったんですか?

岡田「レーベルなんですけどカクバリズムが好きで、ceroは高校生の頃よく聴いていました。海外の音楽はBSSMに入ってから二人にいろいろ教えてもらって積極的に聴くようになりました。それこそテーム・インパラは衝撃的でしたね」