谷村新司の所属事務所、株式会社ダオが、谷村が2023年10月8日に死去したことを本日10月16日に発表した。谷村は1948年生まれ、74歳だった。

谷村は大阪出身で、1965年の高校在学中に山本峯幸、島津ちず子とフォークグループのロック・キャンディーズを結成した。グループは1968年にシングル“どこかに幸せが”でデビュー、1971年にはアルバム『讃美歌』を発表し、解散している。

ロック・キャンディーズは1970年にアメリカツアーをおこない、谷村はドラマーの矢沢透と知り合う。ロック・キャンディーズの解散と同年に谷村は堀内孝雄とアリスを結成、翌年にシングル“走っておいで恋人よ”でデビューし、矢沢が正式に加入した。

デビュー直後はヒットに恵まれなかったアリスだが、地道なライブやツアーを続け、1975年の“今はもうだれも”(ウッディ・ウーのカバー)を皮切りに“帰らざる日々”(1976年)、“冬の稲妻”(1977年)、“涙の誓い”(1978年)、“ジョニーの子守唄”(1978年)、“チャンピオン”(1978年)、“秋止符”(1979年)、“狂った果実”(1980年)といったシングルを立て続けにヒットさせ、人気バンドにのぼり詰めた。

谷村と堀内はバンドと並行してソロ活動も実施、谷村は“昴 -すばる-”(1980年)などのソロでもヒットメイカーとなり、山口百恵“いい日旅立ち”(1978年)などの楽曲提供も盛んにおこなっていた。しかしアリスは、谷村と堀内の音楽性のちがいによって1981年に活動停止してしまう。バンドはその後、1987年、2000年、2005年に一時的に活動をおこなったほか、2009年の再始動以降は継続的に活動していた。

いっぽう谷村は、以降も日本テレビ『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』のテーマソングとしておなじみの加山雄三との“サライ”(1992年)など、お茶の間でも親しまれる楽曲を多数発表。1970年代から現在に至るまで、日本ひいてはアジアの音楽界の第一線で活躍してきた。

近年もライブを精力的におこなっていたほか、ソロのライブボックス『SHINJI TANIMURA RECITAL 2022「THE SINGER」~夢のその先~』(2022年)、アリスの50周年記念コンサートを収録した映像ボックス「ALICE GREAT 50 BEGINNING 2022 @ ARIAKE ARENA」(2023年)などを発表していたが、今年3月には急性腸炎で入院していた。

ダオからのコメントは以下のとおり。

平素よりご厚情をいただき心より感謝申し上げます
今年の3月に腸炎での手術を行い 療養を続けておりました
谷村新司 ですが
10月8日に息を引き取り 永眠いたしました
本人も回復に向けて頑張っておりましたので
本当に残念に思います
葬儀は 近親者のみにて10月15日に執り行い
とても穏やかな顔で 旅立ちました事をご報告申し上げます

昨年は活動50年を迎えて
アリスの記念ライブ「ALICE GREAT 50(FIFTY)」を有明アリーナで開催し
アリスメンバーの堀内孝雄・矢沢透と共に ここからリスタートして
10年続けようと目標を立てて本人も楽しみにしておりましたが
残念ながらその夢は叶わず 満75年の生涯を終える事となりました

後日には 皆で集まって故人を偲ぶ場を設けたいと思っております

日本語の精神文化を大事に歌詞を紡いできた谷村でしたが
代表曲でもある「昴-すばる-」は沢山の方々とのご縁の道を継いでくれました
生前「歌と音楽は目に見えないからこそ 海も空も超えていく」
と沢山の国にも出掛けていきました
歌を創作し 歌い 伝える旅を続けてきた人生でしたが
この度 来世への戒名を頂戴し

「天昴院音薫法楽日新居士」
(てんぼういんおんくんほうらくにっしんこじ) 
と名付けられました

まさしく 天にある星となって私達を照らし続けてくれる事だろうと思います

歌と音楽にピリオドはなく 皆さまの心にいつまでも残る事を願って
心よりの感謝を深く申し上げたいと存じます
これまでに沢山の「愛」をいただき 本当に有難うございました

2023年10月16日
株式会社ダオ

堀内からのコメントは以下のとおり。

チンペイさん

突然の別れに驚きを隠せません。
来年のツアーに向けて回復に向かっていると伺っていただけに、とても残念です。

僕にとってのチンペイさんは、50年来の親友であり、
「アリス」のリーダーであり、
そして良きライバルでした。

学生時代に、「プロにならないかと? 一緒にアリスをやろう」と、
誘ってくれたとき、心の底から嬉しかった。

チンペイさんが、あの時誘ってくれなかったら、今の僕はありません。
ずっと一緒に音楽活動ができたことが幸せでした。

また、いつか空のほとりで一緒にライブをやろうね。
もうちょっと待っていてね、キンちゃんと、もう少しだけ頑張るね。

心から、ありがとう。
安らかに。ご冥福をお祈り申し上げます。

堀内孝雄

矢沢からのコメントは以下のとおり。

東京に住む僕と大阪に住む谷村と、何の因果か運命の出会いか
堀内を紹介され3人アリスとして歩み始めました
時にはいがみ合い、時には抱き合い
幾多の苦難も喜びも共有し、無我夢中で駆け抜けた
そして気が付けば51年という長きに渡って谷村と関わるとは・・・
あの日からは想像もしませんでした。
若さの灰汁も抜け「これからは本当に音楽を楽しんでやっていこうね」
と新しいアリスの始まりに胸躍らせていた矢先のことでした。
谷村なら大丈夫、谷村ならきっと戻ってくる、
根拠のない確信めいたものを感じておりました。
でも谷村は戻ってきませんでした!
もういないんです。悲しいというより悔しいんです。
谷村はもう僕たちのみんなの心の中にしか住む場所がないのです。
思い出せば必ず胸にやってきます、どうか谷村を忘れないで下さい。
今まで谷村をアリスを応援してくださってありがとうございました。

矢沢透

フォーク、ニューミュージック、歌謡曲といった戦後の日本のポップミュージックを代表する作品を遺し、その歌声と旋律で聴き手を魅了したシンガーソングライターの功績に敬意を表したい。