2023年も残りわずかとなりました。今年は、音楽史に大きな足跡を残したミュージシャンやアーティストが数多く旅立ち、特に大きな衝撃とともに深い悲しみに暮れるような訃報が多かった年だったと言えるのではないでしょうか。そんな2023年の振り返りの一環として、彼らの功績をたたえ、後世に残されたマスターピースを振り返ってみましょう。洋楽編は別の記事で掲載し、こちらでは邦楽編として国内のアーティストを取り上げました。

★2023年末特別企画の記事一覧はこちら


 

チバユウスケ

68年7月10日生まれ、神奈川県藤沢市出身のミュージシャン。

大学在学中にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTを結成。モッズスーツを纏い、70年代のパンクやブルース、R&Bから影響を受けたパブロック/ガレージロックの流れを汲むロックンロールの音楽性で注目を集め、96年にシングル“世界の終わり”でメジャーデビュー。

その後、98年に豊洲で行われたフジロックフェスティバルの出演や、アメリカやイギリスへのツアーも敢行して、その人気を確固たるものにしていく。2003年6月、テレビ朝日「ミュージックステーション」に初出演した際に、t.A.T.u.のボイコット事件による時間の埋め合わせで、急遽追加で曲を披露したことも話題となった。 

THEE MICHELLE GUN ELEPHANTは、2003年9月に解散を突如発表し、2003年10月に解散した。

THEE MICHELLE GUN ELEPHANT 『THEE GREATEST HITS』 ユニバ―サル(2009)

2001年にTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTでの活動と同時並行で、元BLANKEY JET CITYの照井利幸から誘いを受け、ROSSOを結成。THEE MICHELLE GUN ELEPHANTの解散後に活動を本格化させる。一方、この期間も覆面バンドTHE MIDWEST VIKINGSやイマイアキノブとのユニット・Midnight Bankrobbers、大沢伸一とのStar Casinoなどでも活動を行った。ROSSOは、2006年にサードアルバム『Emissions』をリリースしたのち活動休止。

その後、イマイ、THEE MICHELLE GUN ELEPHANTのクハラカズユキとともにThe Birthdayを結成し、24枚のシングル、11枚のアルバムをリリースした。また、ソロプジェクトのSNAKE ON THE BEACHでも活動した。

2022年には、映画「THE FIRST SLAM DUNK」のオープニング主題歌“LOVE ROCKETS”も大きな話題となった。

VARIOUS ARTISTS 『THE FIRST SLAM DUNK オリジナルサウンドトラック』 ユニバーサル(2023)

2023年4月に食道癌の治療のため休養に入ったものの、11月26日に死去。55歳没。 

 

KAN

62年9月24日生まれ、福岡県福岡市出身のシンガーソングライター。本名は木村和(きむらかん)。

幼少よりクラシックピアノを習う。大学卒業後、大林宣彦監督「日本殉情伝 おかしなふたり ものくるほしきひとびとの群」(88年)の音楽を担当したのち、87年にシングル“テレビの中に”でデビュー。

90年9月に8枚目のシングル“愛は勝つ”をリリース。91年1月からフジテレビ系「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」の第3期エンディングテーマに起用されたことで大ヒットし、またロングヒットを記録した。その後も三ツ矢サイダーのCMのイメージソング“まゆみ”など、ヒット曲を生み出していく。

KAN 『野球選手が夢だった。』 ポリドール(1990)

ビートルズやスティーヴィー・ワンダー、ビリー・ジョエルなどからの影響が色濃く出た楽曲も多く、特にビリー・ジョエルについては“愛は勝つ”での“Uptown Girl”、“KANのChristmas Song”での“The Longest Time”などに強く表れている。メロディメイカーとして名を馳せ、ソロのほかユニットでの活動や数多くの楽曲提供でも活躍した。

2002年に渡仏し、ピアノの基礎を学びなおすため、フランスの私立音楽院へ留学。2004年の帰国後は、ツアーやライブを精力的に行い、事務所の後輩にあたるアイドルのこぶしファクトリー、Juice=Juiceへの楽曲提供も行っている。

2020年の『23歳』まで、17枚のオリジナルアルバムを発表した。

KAN 『23歳』 zetima(2020)

2023年にメッケル憩室癌を公表、療養していたが、11月12日に死去。61歳没。 

 

大橋純子

1950年4月26日生まれ、北海道夕張市出身の歌手。

短期大学在学中に、軽音楽サークルでのバンド活動や深夜ラジオのDJで注目される。上京後、レコード会社のオーディションを経て、74年のアルバム『フィーリング・ナウ』でメジャーデビュー。

シャウトなしで高音域まで伸びる天性の歌声の魅力で注目を集め、松本隆・筒美京平・深町純によるセカンドシングル“ペイパームーン”が初めてのヒットとなる。

76年には、兼ねてから希望していたバンドのボーカリストという立ち位置で、大橋純子&美乃家セントラル・ステイション名義で発表した“シンプル・ラブ”もヒット。

78年、TBS系ドラマ「獅子のごとく」主題歌に採用された“たそがれマイ・ラブ”はキャリアハイの大ヒットとなった。

また、81年リリースの“シルエット・ロマンス”はロングヒットとなり、実力派歌手として不動の地位を築いた。

90年代以降も“愛は時を越えて”のヒットのほか、精力的なライブツアーを展開していった。

2018年に食道癌を公表し、翌年に復帰するが、2023年3月に再発。2023年11月9日に死去。73歳没。

大橋純子 『ゴールデン☆ベスト 大橋純子 シングルス』 ユニバーサル(2023)

 

三浦徳子

1949年生まれ(誕生日非公開)、青森県青森市出身の作詞家。本名は高原徳子(たかはらよしこ)。〈亜伊林〉(あいりん)の名義でも活動。

大学卒業後、コピーライターを経て、77年に高田みづえのシングル“硝子坂”のB面“DÔMO DÔMO”で作詞家としてデビュー。

以降70年代から80年代にかけて、松田聖子“青い珊瑚礁”(80年)、郷ひろみ“お嫁サンバ”(81年)、沢田研二“ス・ト・リ・ッ・パ・ー”(81年)、杏里“CAT’S EYE”(83年)、早見優“夏色のナンシー”(83年)、吉川晃司“モニカ”(84年)、田原俊彦“さらば‥夏”(84年)、工藤静香“嵐の素顔”(89年)など、女性アイドルから男性アイドル、シンガーソングライターまで各アーティストの代表曲の作詞を数多く担当し、ヒットチャートを席巻。

所属していた事務所のハロー!プロジェクト関連では、飯田圭織、松浦亜弥、嗣永桃子、真野恵里菜などのソロアーティストや、アンジュルム/スマイレージ、℃-ute、こぶしファクトリー、BEYOOOOONDSなど、つんく♂とのコンビで多くの作詞を手掛けている。

つんく♂とは、NHK Eテレ「いないいないばあっ!」での“ワンワンパラダイス”“パチパチ パレードっ!”といった子供番組の楽曲の歌詞も担当。老若男女、各世代に歌い継がれる歌詞を残した。

2023年11月6日、肺炎のため死去。

 

HEATH

68年1月22日生まれ、兵庫県尼崎市出身のロックミュージシャン。

中学時代からバンドを始め、のちにhide with Spread Beaverに参加するKIYOSHIのバンド、media youthにも短期間ながら加入した。

その後、友人を介してX JAPANのhideと知り合う。hideに呼ばれて上京し、メンバーとのセッションを経て、X JAPANの新しいベーシストとなった。XからX JAPANに改名した92年8月に正式加入し、93年のアルバム『ART OF LIFE』からの制作途中からの参加。96年のアルバム『DAHLIA』の“WRIGGLE”で、作曲・編曲で初めてクレジットされた。

X JAPAN 『ART OF LIFE』 eastwest/Atlantic(1993)

X JAPAN 『DAHLIA』 WEA JAPAN/Atlantic(1996)

95年からは並行してソロ活動も始め、翌年に読売テレビ系アニメ「名探偵コナン」のエンディングテーマ“迷宮のラヴァーズ”でシングルデビュー。97年12月末のX JAPAN解散後は、hide with Spread BeaverのI.N.A、X JAPANのPATAとともにDope HEADz、鈴木慎一郎とのユニット・RATS、DER ZIBETのISSAYとのLynxで活動を行う。

2006年10月にはセカンドソロアルバム『Desert Rain』を発表。2007年からはX JAPANの再結成に参加し、2009年に契約の問題による脱退の危機があったが、無事に乗り越え、以降も参加を続けた。

2023年7月には8年ぶりとなる新曲“Angel”をリリースし、8月にYOSHIKIのディナーショーの最終公演に特別ゲストとして出演していたが体調が悪化。10月29日に大腸癌で死去。55歳没。

 

犬塚 弘

1929年3月23日生まれ、東京都大田区出身の俳優/コメディアン/ベーシスト。愛称は〈ワンちゃん〉。本名は犬塚弘(いぬづかひろむ)。

会社勤めを経て、兄が作ったハワイアンバンド、グリーン・グラス・キャップ・ボーイズでベースを担当。その後、萩原哲晶とデューク・オクテットでモダンジャズを演奏し、実力をつけていく。そして、1955年に楽屋付き合いのあったハナ肇と、コミックバンドのキューバン・キャッツ(その後、ハナ肇とクレイジーキャッツに改名)の結成に参加した。

クレイジーキャッツの一員として「東宝クレイジー」シリーズや山田洋二監督の「馬鹿」シリーズ、「男はつらいよ」シリーズなど、数多くの映画に出演。植木等、ハナ肇、谷啓に次ぐ〈第4の男〉として大映などで主演作も撮られた。またテレビでも「シャボン玉ホリデー」などのバラエティやドラマにも多く出演し、俳優として本格的に活躍した。

音楽ではクレイジーキャッツとして、61年のシングル『スーダラ節/こりゃシャクだった』が大ヒット。以降も、映画やテレビと連動したシングルを多く発表した。

85年には、“五万節”のニューバージョンとして大瀧詠一が作曲・編曲した“新五万節”をリリース。90年代には“ウンジャラゲ”を志村けんがフジテレビ系「志村けんのだいじょうぶだぁ」でリメイクし、植木等が“笑えピエロ”でリバイバルするなど、再評価がされている。

2012年の桜井センリの死後、クレイジーキャッツのメンバーとして唯一存命していたが、2023年10月26日に静岡県熱海市内の病院で死去。94歳没。 

クレイジーキャッツ 『クレイジーキャッツ スーパー・デラックス(平成無責任増補盤)』 ユニバーサル(2019)

 

櫻井敦司

66年3月7日生まれ、群馬県藤岡市出身のミュージシャン。

同じ高校(BOØWYの氷室京介は同校の先輩にあたる)に通っていた今井寿、星野英彦、樋口豊、アラキと共にBUCK-TICKの前身バンドである非難GO-GOを結成。スターリンのカバーを行っていたが、オリジナル曲の制作を始めたころにBUCK-TICKへ改名した。

高校卒業後、いったん就職するが父の他界を機に会社を辞め、上京してバンド活動を続けた。また当初はドラムを担当していたが、85年に今井がボーカルのアラキに交代を申し入れ脱退。櫻井がボーカリストに立候補し、以降はボーカルを務めることに。

87年にメジャーへ進出し、〈バクチク現象〉と呼ばれるムーブメントを巻き起こす。89年にメジャーサードアルバム『TABOO』でついに初の初登場1位を獲得するが、今井の不祥事でバンドは一時活動休止となる。

BUCK-TICK 『TABOO』 ビクター/Invitation(1991)

半年間を経た活動再開後もツアーやライブ、アルバム・シングルのリリースをコンスタントに行い、90年には『悪の華』、95年には『Six/Nine』でも初登場1位を獲得と根強い人気を誇った。

BUCK-TICK 『悪の華』 ビクター/Invitation(1990)

BUCK-TICK 『Six/Nine』 ビクター/Invitation(1995)

BUCK-TICK 『CATALOGUE THE BEST 35th anniv.』 Linguea Saunda/ビクター(2022)

BUCK-TICKでの活動を軸に、独英日のメンバーからなるSCHWEINへの参加や、2004年以降のソロ活動も展開。シングルを3枚、アルバムを1枚発表した。

2015年にはソロプロジェクト、THE MORTALを始動。椎名林檎との“駆け落ち者”のほか、ボーカリストとしての客演も行なった。

2023年10月19日の公演中に体調不良を訴え、同日に脳幹出血のため死去。57歳没。

 

もんたよしのり

1951年1月8日生まれ、広島県福山市出身のシンガーソングライター。本名は門田頼命(かどたよしのり)。

神戸で育ち、70年に全日本フォークジャンボリーに中川イサトらとともにインスタンツとして出演。その後上京し、71年にシングル“この足の鎖ひきちぎりたい”でソロ歌手としてデビュー。だが東京での活動は、もんた頼命名義で76年にアルバム『HORIZON』の1枚を発表したのみとうまくいかず、神戸に戻る。

再起をかけて、80年にもんた&ブラザーズを結成。再デビューを果たしてリリースした“ダンシング・オールナイト”が発売前から有線放送で火がつき、オリコン1位を獲得した。日本レコード大賞をはじめ賞レースで多くの受賞を重ね、同曲で「NHK紅白歌合戦」にも出場するほどの大ヒットとなった。

また、83年には大橋純子とのデュエット曲“夏女ソニア”、西城秀樹の“ギャランドゥ”ほか提供曲もヒットを飛ばした。84年にはもんた&ブラザーズを解散させ、音楽活動を一時休止。

本名名義で俳優として主演した映画「愛しき日々よ」(84年)など、音楽以外でも幅広く活躍。86年に再び歌手活動を再開させ、2007年にはもんた&ブラザーズを再結成する。卍LINE(窪塚洋介)らとの“ありがとう”(2009年)が話題になるなど、レゲエにもチャレンジしている。

もんた&ブラザーズ 『ゴールデン☆ベスト もんた&ブラザーズ シングルス・プラス』 ユニバーサル(2023)

2023年10月18日に大動脈解離のため死去。72歳没。

 

財津一郎

1934年2月22日生まれ、熊本県熊本市出身の俳優/コメディアン。本名は財津永栄(ざいつながひで)。

高校卒業後に上京し、榎本健一映画演劇研究所や帝劇ミュージカルで演技を学び、財津肇メ名義で石井均一座に入門。64年に財津一郎へ改名、吉本新喜劇に参加し、翌年には吉本新喜劇座長に。

コメディ番組「てなもんや三度笠」での〈キビシーッ〉〈~してチョーダイ〉というギャグが一世を風靡する。69年に吉本興業を退社し、70年代以降は時代劇から現代劇まで、まじめな役から悪役までと、幅広いジャンルの映画やドラマ、ミュージカルなどで俳優として活躍した。2010年公開の映画「ふたたび swing me again」が最後の映画出演となった。

CMへの出演やナレーションを担当したものも多く、新三共胃腸薬、原ヘルス工業のバブルスター、NECのバザールでござーる、こてっちゃん、タケモトピアノなど、記憶に残るものが多い。

音楽作品では、つのだじろう原作のテレビアニメ「ピュンピュン丸」の主題歌“ピュンピュン丸の歌”(67年)や、テレビ東京系アニメ「ケロロ軍曹」の6代目オープニングテーマで小倉優子とデュエットした“帰ってきたケロッ!とマーチ”(2007年)など、往年のギャグを取り入れた曲が多い。

またCMが話題となって制作されたものでは、〈バザールでござーる〉のCMソング“バザール3兄弟音頭”や“タケモトピアノの歌”などがある。

財津一郎, タケモット 『タケモトピアノCMソング もっともっと~みんなまあるく』 コロンビア(2013)

2023年10月14日に慢性心不全のため、東京都の自宅で死去。89歳没。

 

谷村新司

1948年12月11日生まれ、大阪府河内長野市出身のシンガーソングライター。愛称は〈チンペイ〉。

大阪市住之江区で育つ。高校時代にザ・ロック・キャンディーズを結成し、大阪を中心に人気を誇るグループに成長。68年にシングル“どこかに幸せが”でデビューし、アルバム『讃美歌』(71年)を発表した。

71年に堀内孝雄とアリスを結成、のちに矢沢透が合流し、現在のラインナップとなる。なかなかヒットが出なかった中、地道なライブと谷村のラジオの人気もあり、75年の“今はもうだれも”がヒット。以降、81年の活動停止までの間に“冬の稲妻”“涙の誓い”“ジョニーの子守唄”“チャンピオン”“狂った果実”などヒットを連発、人気が爆発する。

アリスでの活動中にソロ活動も並行して行い、75年に初のソロアルバム『蜩』をリリース。アリスの活動の合間を縫ってコンスタントに作品のリリースを重ね、山口百恵“いい日旅立ち”など多数の楽曲を提供した。

80年に“昴 -すばる-”を発表し、60万枚を売り上げる大ヒット曲となる。アリスとソロでの音楽的な違いを明確に確立した曲で、日本だけではなくアジアでもその名を轟かせた。

アリスの解散後は、ソロシンガーとして多くのアルバムやシングルがヒット。“22歳”、小川知子との“忘れていいの”、加山雄三との“サライ”、JR西日本のキャンペーンソング“三都物語”、選抜高校野球大会歌“今ありて”など、数々の名曲を生み出した。

2023年3月に入院し、治療に専念していたが、2023年10月8日に死去。74歳没。

谷村新司 『Best Collection~いい日旅立ち~』 ポリスター(2014)

 

PANTA

1950年2月5日生まれ、埼玉県所沢市出身のミュージシャン。本名は中村治雄(なかむらはるお)。

グループサウンズのMOJOなどでの活動を経て、大学在学中の69年にPANTA、TOSHI(石塚俊明)、左右栄一、粟野仁で頭脳警察を結成。フランク・ザッパ『Freak Out!』(66年)の収録曲“Who Are The Brain Police?”からバンド名をつけた。

72年のデビューアルバム『頭脳警察1』は、三億円事件の容疑者の指名手配写真を使用したジャケットや過激なパフォーマンス、政治的な歌詞などが物議を醸し、発売中止に。続く『頭脳警察セカンド』(72年)にも放送禁止となる曲が含まれており、回収・発売禁止となった。

頭脳警察 『頭脳警察1』 Be-Witch(1972)

頭脳警察 『頭脳警察セカンド』 MCA(1972)

当時の社会情勢から反体制や過激なパフォーマンスが〈若者の叫び〉として支持を受け、6枚のアルバムを残したが、75年に解散。

頭脳警察の解散後は、ソロ活動を経て、77年よりPANTA & HALとして活躍。81年の解散後にソロ活動を再開させた。その後90年、2001年と頭脳警察が断続的に復活し、2008年以降は活動を継続。

また歌謡曲の楽曲提供やプロデュースでも活躍し、荻野目洋子『FAIR TENSION』(89年)のプロデュースおよび収録曲“ハートブレイクをぶっとばせ”での共演、チェッカーズ“裏どおりの天使たち”の作詞、沢田研二“月の刃”の作詞作曲、アイドル・制服向上委員会のプロデュースなどを行った。

さらに2021年には、頭脳警察前夜に活動した幻のGSバンド、ピーナッツバターを52年ぶりに再結成。

2021年から療養を行っていたが、2023年7月7日に肺癌による呼吸不全と心不全により死去。73歳没。

 

夏まゆみ

62年3月23日生まれ、神奈川県出身の振付師/ダンサー/演出家。

イギリス留学を機に欧米、アジアにてオールジャンルのダンスを習得し、ダンサーや役者として活動した。

88年にダンスグループ〈FUN-KEY HEARTS〉を結成し、イベントやショーの振り付けなどを手掛ける。92年からはナインティナインや雨上がり決死隊などが所属していた吉本印天然素材のダンス指導、振り付けを行う。93年に米アポロ・シアターで日本人初のソロダンサーとして出演した。

97年からは、「NHK紅白歌合戦」のステージングに20年以上携わった。さらに98年、長野オリンピック閉会式の公式テーマソングの振り付けを担当。

そしてオーディション番組から誕生したモーニング娘。には、立ち上げから育成・指導で携わり、派生グループを含めて多くの楽曲の振り付けを担い、ヒットを支えた。

AKB48についても立ち上げ前から参加し、メンバーの育成・指導に尽力し、90年代後半以降のトップアイドルたちを支えた。

総勢200組以上のアーティストを手掛け、振付師の地位向上に大きく寄与。舞台、映画、コンサート、テレビなど様々なメディアで創作するコリオグラファーの第一人者として活躍していたが、2023年6月21日に癌のため死去。61歳没。

 

坂本龍一

1952年1月17日生まれ、東京都出身の作曲/編曲家/ピアニスト/プロデューサー。愛称は〈教授〉。

幼少から作曲を学び、東京藝術大学在学中に活動を開始した。

友部正人の『誰もぼくの絵を描けないだろう』(75年)にピアニストとして参加し、スタジオミュージシャンとしてのキャリアをスタートさせて。りりィのバックバンドや、大滝詠一・山下達郎・伊藤銀次のアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』(76年)、大貫妙子の『SUNSHOWER』(77年)などに参加した。

78年、細野晴臣のアルバム『はらいそ』に参加。細野から誘いを受け、高橋幸宏とともにイエロー・マジック・オーケストラ(YMO)を結成した。

10月にアルバム『千のナイフ』でソロデビューした直後の11月、今度はYMOとしてデビューアルバム『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』をリリース。翌年の『SOLID STATE SURVIVOR』がオリコン最高位1位を獲得し、日本国内での売り上げは累計で102万枚以上を記録する大ヒットとなる。日本におけるテクノ/テクノポップの先駆けとなる、記念碑的アルバムとなった。

坂本龍一 『千のナイフ』 Better Days/コロムビア(1978)

YMO 『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』 アルファ(1978)

YMO 『SOLID STATE SURVIVOR』 アルファ(1979)

初のワールドツアーで海外からも注目を集め、テクノ/ニューウェーブムーブメントを代表するグループの一組として捉えられた。その人気は、日本に逆輸入される形でさらなる広がりを見せる。日本および世界を席巻したYMOは、83年に5年間の活動で〈散開〉となった。

またソロアーティストとしては、YMOでの活動の傍ら、忌野清志郎(RCサクセション)との共演シングル“い・け・な・いルージュマジック”がヒット。

83年には、自身も出演した大島渚監督の映画「戦場のメリークリスマス」の音楽で英国アカデミー賞を獲得。YMOの散開後、87年の映画「ラストエンペラー」の音楽でアカデミー賞を受賞し、映画音楽作家としての地位を確立した。

坂本龍一 『戦場のメリークリスマス』 Virgin/London(1983)

坂本龍一 『ラストエンペラー』 Virgin(1987)

以降もダウンタウンとのユニット・GEISHA GIRLSなどの企画ものや、ポップスから現代音楽まで幅広い独創的な音楽性で活躍し、〈世界のサカモト〉と称される。

晩年は闘病に続け、2023年3月28日に死去。71歳没。 

 

恒岡 章

71年6月1日生まれ。東京都出身のドラマー。愛称は〈ツネ〉。

中学に入学後、ギターを始めるがドラムに転向する。91年に松本敦彦、難波章浩、横山健、恒岡の4人でHi-STANDARDを結成、92年からは3ピースバンドに移行。オールなど海外パンクバンドのオープニングアクトを経験し、精力的なライブ活動で人気と実力をつけていく。

94年にミニアルバム『LAST OF SUNNY DAY』をリリース後、ファット・レック・コーズの来日ツアーをサポートしたことを機に、アメリカで録音したファーストアルバム『GROWING UP』をリリース。翌年にはグリーン・デイやランシドのオープニングアクトを務め、Growing Up World Tour ’96でアメリカ、カナダをサーキット。その後もスナッフやウィーザーなど、当時大ヒットを飛ばしていたパンクバンドとの共演やツアーを重ねる。

97年にセカンドアルバム『ANGLY FIST』リリースし、オリコン初登場4位を記録。98年にはNOFXとアメリカ、カナダをツアーし、さらにワープド・ツアー’98にも参加と、一大パンクムーブメントの中でその名を残していく。8月には野外フェスのAIR JAMを開催、30,000人を集めて大成功を収める。

99年には、レーベル・PIZZA OF DEATHがハウリングブルから独立。サードアルバム『MAKING THE ROAD』をリリースし、初登場3位を記録した。

Hi-STANDARD 『MAKING THE ROAD』 PIZZA OF DEATH(1999)

2000年8月、千葉マリンスタジアムにてAIR JAM 2000を開催。35,000人を集客したが、このライブをもってバンドは活動休止した。

2003年からはCUBISMO GRAFICOやLOW IQ 01 & THE BEAT BREAKER、HUSKING BEEの磯部正文BAND、チャットモンチーのサポートメンバーとして活動。

2011年には、Hi-STANDARDがAIR JAMで再始動した。2016年には、事前告知なしでシングル“ANOTHER STARTING LINE”をリリースして話題に。2017年には、約18年ぶりのアルバム『THE GIFT』を発表した。

Hi-STANDARD 『ANOTHER STARTING LINE』 PIZZA OF DEATH(2016)

Hi-STANDARD 『THE GIFT』 PIZZA OF DEATH(2017)

2023年2月14日に死去。51歳没。

 

岡田 徹

1949年4月23日生まれ、東京都出身のミュージシャン/プロデューサー。

大学卒業後、73年に鈴木慶一率いる〈はちみつぱい〉に加入。直後の11月に、はっぴいえんどと双璧をなす日本語ロック黎明期の歴史的名盤『センチメンタル通り』を発売。続いて74年5月には大瀧詠一が関わったシングル“君と旅行鞄(トランク)”を発売するも、11月に山野ホールでのコンサートを最後に解散した。

はちみつぱい 『センチメンタル通り』 ベルウッド(1973)

はちみつぱいのメンバーだった鈴木慶一、武川雅寛、かしぶち哲郎、岡田徹、椎名和夫の5名でムーンライダーズを結成。個々の能力が高いバンドの中で岡田は屋台骨を支える存在だった。さらに80年代に入りムーンライダーズはテクノ/ニューウェーブ志向を強め、岡田は打ち込み機材やシンセサイザーを導入するなど、バンドになくてはならない存在に。バンドは、レコード会社を変えながらも86年まで作品のリリースを重ねていく。

86年からの活動停止期間中には、87年に松浦雅也、安部隆雄とともにAMORを組み、PSY・S、パール兄弟、プリンセス プリンセスなどのプロデュースも行っている。

ムーンライダーズの活動再開後も大所帯アコーディオンバンドのLIFE GOES ONや、山本精一、伊藤俊二と組んだya-to-i、イマイケンタロウ、porymoogと組んだCTO LAB.、夏秋文尚、吉田孝、黒田英明とのUKULENICAなど、多数のユニットやグループで活躍した。

また映画、アニメのサントラや、NTTドコモ“ドコモダケのうた”などのCM音楽も担当。2016年には初の全曲歌もののソロアルバム『Tの肖像』を発表した。

岡田徹 『Tの肖像』 Solid(2016)

2023年2月14日に心不全のため死去。73歳没。 

 

信藤三雄

1948年生まれ、東京都出身のアートディレクター/フォトグラファー/プロデューサー。

デザイン学校を卒業後、百貨店業界誌の記者となるが、向いていないと一般企業をクライアントとするデザイン事務所へ転職し、その後はフリーデザイナーとして活動する。並行して、マギー・シン名義でスクーターズとして82年にデビューするも、バンドはほどなくして解散した。

84年に松任谷由実のシングル“VOYAGER〜日付のない墓標”、アルバム『NO SIDE』のジャケットを担当したことを機に、本格的にデザインに携わるように。86年にはPIZZICATO FIVEのシングル『ピチカート・ファイヴ・イン・アクション』のジャケットを手がけ、その後PIZZICATO FIVEのほとんどのCD/レコードのアートディレクションを担当するようになった。

フリッパーズ・ギター、Original Love、小山田圭吾のトラットリア、クレモンティーヌらのジャケットのデザインを数多く手がけ、渋谷系ブームの一役を担う。ほかに宇多田ヒカル、AKB48、サザンオールスターズ、SMAP、斉藤和義など、J-POPアーティストのジャケットも多く手掛けた。

フリッパーズ・ギター 『CAMERA TALK』 ポリスター(1990)

PIZZICATO FIVE 『BOSSA NOVA 2001』 TRIAD/コロムビア(1993)

また、ミュージックビデオの撮影も多数行っており、エレファントカシマシ“戦う男”“今宵の月のように” 、GLAY“BEAUTIFUL DREAMER”、桑田佳祐“東京”、My Little Lover“Hello, Again 〜昔からある場所〜”、Mr.Children“CROSS ROAD”“innocent world”“Tomorrow never knows”など、アーティストの代表曲となるMVを数多く撮影した。

ほかにもコンサート演出、映画監督、書道など活動は多岐にわたり、社会・慈善事業もおこなった。

2023年2月10日に胃癌のため死去。75歳没。

 

鮎川 誠

1948年5月2日生まれ、福岡県久留米市出身のギタリスト。

大学に通いながらダンスホールで専属バンド生活を送る。70年に篠山哲雄、柴山俊之とサンハウスを結成し、71年にシーナと出会う。75年にアルバム『有頂天』でメジャーデビュー。

翌年にシーナと結婚し、サンハウスの解散後、78年にシーナ&ロケッツを結成、夫婦2人で上京した。その後、“涙のハイウェイ”でメジャーデビューを果たす。

エルヴィス・コステロの来日公演のオープニングアクトで高橋幸宏の目に留まり、YMOのセッションに参加。翌年にはYMOの協力を得て、アルバム『真空パック』(79年)を発表。日本航空のキャンペーンCMに使用されたシングル“YOU MAY DREAM”で、ついにブレイクする。

シーナ&ロケッツ 『真空パック』 アルファ(1979)

また鮎川は、YMO『SOLID STATE SURVIVOR』の収録曲“SOLID STATE SURVIVOR”“DAY TRIPPER”にギタリストとして参加した。その後もYMOの国内ツアーでシーナ&ロケッツはオープニングアクトを務め、バンドとしてもギタリストしても名を馳せていく。

80年代半ばにレコード会社を移籍してからは、ソリッドなロックンロールの佳曲を多く発表し、中でもライブでたびたび披露されている“LEMON TEA”はシーナ&ロケッツを代表する曲となった。 

88年に米ニューヨーク、CBGBでライブを行い、その後に元ドクター・フィールグッドのギタリストであるウィルコ・ジョンソンとのジョイントツアーを行うなど、90年代以降も順調に活動を行っていった。

シーナ&ロケッツ 『ゴールデン☆ベスト シーナ&ロケッツ VICTOR ROKKETS 40 +1』 ビクター(2018)

2015年のシーナ急逝後もシーナ&ロケッツは活動を継続し、2022年も45周年記念ライブや全国ツアーなどで精力的にライブを重ねていたが、2023年1月29日に膵臓癌のため死去。74歳没。 

 

高橋幸宏

1952年6月6日生まれ、東京都出身の日本のシンガーソングライター/ドラマー/音楽プロデューサー/ファッションデザイナー/文筆家。

高校時代からスタジオミュージシャンとして活動し、大学在学中の72年にサディスティック・ミカ・バンドに加入。73年にファーストアルバム『SADISTIC MIKA BAND』を発表し、セカンドアルバム『黒船』(74年)からシングルカットされた“タイムマシンにお願い”はのちに多くのアーティストからカバーされる代表曲になる。

サディスティック・ミカ・バンド 『黒船』 東芝EMI/DOUGHNUT(1974)

バンドは、サードアルバム『HOT! MENU』(75年)のリリースとともに解散。サディスティックスを経て、78年2月に細野晴臣、坂本龍一とYMOを結成した。同年6月に高橋ユキヒロ名義で初のソロアルバム『サラヴァ!』を発表。

高橋幸宏 『サラヴァ!』 SEVEN SEAS(1978)

同年11月には、YMOとしてデビューアルバム『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』をリリース。翌年の『SOLID STATE SURVIVOR』ではYMOの代名詞の一つである“RYDEEN”の作曲に関わったほか、コスチュームデザインも担当し、人民服やテクノカットなどYMOnoファッションビジュアル面で大きな役割を果たした。

82年にYMOは活動をせずソロや楽曲提供を行ったが、83年3月に“君に、胸キュン。”で活動を再開。歌謡曲のテイストが浮き出たポップスに大きく音楽性の舵を切り、『浮気なぼくら』と『サーヴィス』をリリース後、YMOは83年に〈散開〉した。

ソロアーティストとしても活躍したほか、鈴木慶一とのTHE BEATNIKSや、桐島かれんや木村カエラを迎えて一時的に再結成したサディスティック・ミカ・バンド、細野晴臣とのSKETCH SHOW、原田知世らとのpupa、高橋幸宏 with In Phase、METAFIVEといったグループで活動。さらにプロデュース、楽曲提供も多く行っていた。

2020年に脳腫瘍で手術を受け、療養を続けていたが、2023年1月に死去。70歳没。

 

以上、今年亡くなった国内の偉人たちを紹介してきました。坂本龍一と高橋幸宏と鮎川誠はYMO、三浦徳子と夏まゆみはモーニング娘。、もんたよしのりと大橋純子は“夏女ソニア”、財津一郎と犬塚弘は映画「ふたたびswing me again」と、それぞれの多彩な活動の中で点と点がつながっており、邦楽や国内のエンターテインメントを代表する方々の訃報が多かった年でした。訃報という悲しい起点でありますが、これを機にミュージシャンたちが残した偉大な足跡を触れてみてはいかがでしょうか。新たな発見や出会いにつながるかもしれません。