マリーナ・ショウが2024年1月19日に死去した。
マリーナ・ショウの死は、娘マーラ・ブラッドショウがFacebookに投稿したビデオで発表された。マーラは、マリーナが12時3分に亡くなったことを発表し、その死を悼むとともに、「安らかだった」と語っている。
マリーナ・ショウは1942年9月22日、米ニューヨーク州ニューロシェル生まれのジャズ/ブルース/ソウルシンガー。叔父のジミー・バージェスがジャズトランペッターで、彼からジャズやゴスペルを教わり、マーラは1952年にジミーのバンドのライブでアポロ・シアターのステージに立った。
マーラは、ポツダムのニューヨーク州ティーチャーズ・カレッジで音楽を学んだが中退。その後、ジャズクラブで歌いはじめ、63年にトランペッターのハワード・マギーと活動を始めたが、バンドを脱退した。
そして66年にチェスと契約を果たし、69年にチェス傘下のカデットからデビューした。この頃の曲で、ザ・フィフス・ディメンションのカバーである“California Soul”(69年作『The Spice Of Life』収録曲)は、のちにUKのレアグルーヴシーンで注目を集め、名唱・名演として知られるようになる。
72年にブルーノートに移籍し、75年に名盤として知られる『Who Is This Bitch, Anyway?』を発表した。ロバータ・フラックの名曲をカバーした“Feel Like Makin’ Love”などを含む同作は、特に上述したUKレアグルーヴや日本の音楽シーンで高く評価され、人気が高い。日本では松任谷正隆に強い影響を及ぼしたことは有名だが、シティポップや渋谷系のアーティストをインスパイアし、レアグルーヴDJやヒップホッププロデューサーなどに愛された作品として現在も聴き継がれている。
77年にはコロムビアへ移り、アルバム『Sweet Beginnings』を発表。ナンシー・ウィルソンのカバーでジェリー・ゴフィン&キャロル・キングが作曲した“Go Away Little Boy”を含むメドレー“Yu Ma / Go Away Little Boy”が、ビルボードのR&Bチャートでヒットした。その後のディスコ全盛期には、ダイアナ・ロスのカバー“Touch Me In The Morning”(79年)をヒットさせている。
生前最期のソロアルバムは2003年の『Lookin’ For Love』になったが、前年の2002年、東京でのコンサートを収録したライブアルバム『Live In Tokyo』を発表するなど、晩年に至るまでやはり日本での人気が根強くあったシンガーだった。『Who Is This Bitch, Anyway?』のリユニオンツアーとして、録音メンバーのチャック・レイニー(ベース)、デイヴィッド・T・ウォーカー(ギター)、ラリー・ナッシュ(キーボード)、ハーヴィー・メイソン(ドラムス)とともに、たびたび来日公演もおこなっている。2016年には最後の来日ツアーとして、宮崎のフェスティバル〈UMK SEAGAIA JamNight 2016 ~40th anniversary~〉に出演、ビルボードライブ大阪と同東京でも歌った。
偉大な〈声〉はこの世を去ってしまったが、伝説的な『Who Is This Bitch, Anyway?』を含む彼女のレコードの遺産は永遠だ。