Photo by 横井一江

副島輝人という評論家批評

 個人的な副島さんとのおつきあいのこと(楽屋裏の話)を書くのも憚られ、思い出に彩られた美しい追悼文をここに発表するのもどうも恥ずかしい。さてでは何を書こうか。悩んだあげく、ここはひとつ、副島輝人という評論家批評を書こうかと思い立った。彼は流行り廃りに関係なく生涯変わらずご自分の好きな音楽を追いかけ続けてこられた貴重な人物・憧れの人生であり、それ故評論家批評されるにふさわしい実践的評論家であったと思うからだ。彼にとても感化された私にとっては、それが最も適切な追悼文になるかもしれないな、などと思ったのだった。

副島輝人 『日本フリージャズ史』 青土社(2002)

 評論家批評と言ってはみたものの、そもそも彼を評論家と呼んでいいのかプロデューサーと呼んでいいのか、そこから悩んでみようと思う。彼の評論活動は音を聴いて文字化するにとどまらず、常にその実践=プロデューシング(ライブの企画制作やフェスのブッキング、レコード制作や制作企画のレーベルへの持ち込み、メールスのフィルム上映やトークなど)を通した評論であった。その実践そのものが結果としてひとつの評論・批評になっていたと言ってもいい。プロデュースあっての評論、評論あってのプロデュース、みたいな。その活動は、ちいさいながらもひとつの重要なメディアだった。副島さんがいいと思った音楽を人々に「伝える」こと。彼は人生をこれに賭けていた。メールスのフィルム上映会やライブ企画など、大入りの時もあれば客数2、3人の時もある。でも一本筋が通っていることは確実に伝わってくる。この音楽のすごさを現場で共有したいという欲望。伝えたいという欲望。彼の心の奥底にはその炎が生涯灯っていた。

イヴェント〈第4回 D1ドラム選手権〉に際しての副島輝人による開会宣言

 世に出た副島輝人の著作(『現代ジャズの潮流』『日本フリージャズ史』『世界フリージャズ記』)はいずれも副島評論の集大成だ。現場で鳴っている音、繰り広げられるパフォーマンス、そしてその渦中に居合わせた彼の主観の論理化。どこを切り取っても徹底的に現場主義と彼の「好み」に貫かれている。世に謂われる評論の客観性など私にとってはどうでもいいことであって、そういったアカデミズム・コンプレックス丸出しの〈客観的評論〉とは正反対の副島評論は、読者にフリー・ジャズ(やその種の音楽)のリアリズムをこれでもかと叩き付ける。少なくとも私にとってはある種「救い」のようなものであったのだ。それは「好きなことだけやれ」と言って憚らなかった彼ならではの説得力であり、評論作業とプロデュースを同時に全うした者のみが獲得できたリアリズムでもある。(ちなみに〈好きなことだけやれ〉は亡くなる直前に副島さん自ら録音したテープがお通夜で流れた時に、私が勝手に「最後の副島輝人訓示」として受け取ったものだ。)

副島輝人 『世界フリージャズ記』 青土社(2013)

 彼の「好きを伝える」はつねに自己完結している。社会性を多少なりとも持つ限りこれはなかなか難しいことであり、たいていの場合は自己完結せずに揺らいだりする。しかし彼にとっては社会性と芸術はある部分では相容れないものであったのだろう。悪く言えば頑固オヤジ。でもそういう評論家だからこそ刺激的で面白い。私の周りには生前の彼とモメた人は何人もいる(実は私も何度もモメた)。結局論争はどちらも譲らないまま平行線。結論が出ないまま時が経ちある時彼とライブハウスで再会すると「よぉ」と言ってニコッと笑ってくれる。心中「この頑固オヤジめ」と思うのだが、なんとなく彼の嬉々としてライブを観ている姿に、結論はどうでも良くなってくる。「好き」が痛いほど伝わってくるからだ。そういう評論家だった。世界のフリー・ジャズ界/前衛音楽界は本当に重要な人物を失ったとつくづく思うのである。
(評論家批評・完)

大友良英×副島輝人の渋谷アップリンクでの対談の模様

以下私信。

副島さん、10年前くらいだったか、あなたが禁煙を始めたとき私は「年寄りになってからそういう無理をするとダメですよ! うちのオヤジも歳とってから酒やめてすぐ死んだんですから」と言い、その数週間後に再会した時とてもおいしそうに晴れ晴れとタバコを吸ってらっしゃいましたよね。そんなこともあって私は副島さんは死なないと思っておりました。だから生前お世話になったことに関するお礼も言えないまま、突然の訃報に驚いてお通夜に出席したら、完全自己プロデュースのお通夜ではありませんか! 最期はご自身をプロデュースして、ご自身を評論して浮き世を去る。実にカッコいい最期でした。副島さん、あなたの残してくれたさまざまなものやこと。私が引き継ぐひとりになろうと思います。いや、こういうふうに思っている人がたくさんいます。それは副島さんが残してくれた、ものやこととはまた違った財産なんです。本当にお世話になりました。残されたわれわれの仕事を見守っていてください。
(本文中「彼」と表記することにものすごい違和感を感じつつ。)

 

副島輝人(そえじま・てると)[1931- 2014]

1931年生まれ。日本のフリージャズ誕生時から現場に密着した評論家・プロデューサーとして「ニュージャズ・ホール」の解説・運営や「フリージャズ大祭」等様々なイヴェントを企画。海外の前衛ジャズシーンの紹介とともに日本の尖鋭的ミュージシャンの海外公演プロデュースをてがけ、画期的交流を生み出してきた。著書『日本フリージャズ史』『世界フリージャズ史』(青土社)『現代ジャズの潮流』(丸善ブックス)。