ティト・ジャクソンが死去した。

ティト・ジャクソンが2024年9月15日に亡くなったことは、米情報番組の「エンターテイメント・トゥナイト」で報じられた。ティトの息子3人によるグループ、3TのInstagramアカウントによる投稿も訃報を伝えている。ニューヨーク・ポストによると、ティトはニューメキシコ州からオクラホマ州へ車での移動中に心臓発作で亡くなったという。70歳だった。

トリアーノ・アダリル・ジャクソンことティト・ジャクソンは1953年、インディアナ州ゲーリー生まれ。10人いるジャクソン家の子どものうち上から3番目で、弟・妹にマイケルやジャネットなどがいる。ジャクソン家の父ジョセフは働きながらバンドでの活動もおこなっており、ティトは8歳の時に親の目を盗んで父のギターの演奏を始めたそうだ。ある日、弦を切ってしまったことで父にバレたものの、腕を認められてギターを買い与えられた。

ジャッキー、ティト、ジャーメインの3兄弟はレイノー・ジョーンズ、ミルトン・ハイトを加えたメンバーでジャクソン・ブラザーズを結成したのち、マーロンとマイケルも1964年にグループへ加入した。ジャクソン5とグループ名を改めて地元で活動を開始し、1967年にスティールタウンと契約、シングル“Big Boy”でデビューする。

そして1969年にモータウンとサインするやいなや、“I Want You Back”“ABC”“The Love You Save”“I’ll Be There”と全米ナンバーワンヒット曲を連発した。ジャクソン5は、アイドル的なボーイバンド/少年コーラスグループの先駆けとして時代を切り開いていく。一方でティトはギタリストとしての才能を認められながらも、モータウンはジャクソン5のレコーディングでギターを弾くことを禁じていたそうだ。

ジャクソン5は、モータウンとの軋轢から1975年にエピック/CBSへ移籍、ジャクソンズに改名する。ギャンブル&ハフのプロデュースで再デビューすると、ティトは作曲やギターの演奏も積極的におこなうようになり、グループは低迷期を経て再び上り調子に。しかし1984年、マイケルがソロ活動の大成功によって脱退してしまい、マーロンもソロ活動に注力するため離脱、ジャクソンズは1989年に活動休止へ陥った。

その後、ティトらジャクソン兄弟6人は1997年にロックンロールの殿堂入りを果たし、2001年のマイケルのソロ活動30周年記念公演でジャクソンズは再結成。2012年にジャッキー、ティト、ジャーメイン、マーロンの4人で再々結成したあとは、ライブ活動を続けていた。

ティトは、2003年にブルースの演奏を始め、2016年にビッグ・ダディ・ケインをフィーチャーしたシングル“Get It Baby”で本格的にソロデビュー。ソロアルバムとして1st『Tito Time』(2016年)、2nd『Under Your Spell』(2021年)を発表している。2023年にリリースしたブラジルのシンガーソングライター、ナタリア・ダミニとの共演曲“Attitude”が彼の最期の作品になった。

ティトは、日本との関係が深いことでも知られている。2010年以降は来日公演をたびたび開催しており、西寺郷太とノーナ・リーヴスが『Tito Time』に参加したほか、ティトが西寺のアルバム『テンプル・ストリート』(2014年)に客演したことも話題になった。

ティトの訃報を受け、西寺はXに下記の投稿をしている。

ジャクソン5としてシーンを席巻したのち、ジャクソンズとしても成功を収め、晩年はソロ活動に邁進したティト。音楽史に大きな足跡を遺した才能に追悼の意を表したい。