展覧会図録とメディアのありかたを考えてみる

 美術館独自の編集による図録は、その美術館に行くことの意味を再確認させてくれる。担当キュレイターがアーティストとともにじっくりと組みたてた図版とことばが、特別展同様、ほかのところではみることが、体験することができないものの――正確にいえば、特別展ともまた異なった独自の――記録となる。

 アーティゾン美術館では石橋財団コレクションとアーティストとの〈ジャム・セッション〉展が2020年以来おこなわれており、現在〈毛利悠子 ― ピュシスについて〉を開催中。館内の空間を生かし、モニターがあったりモノがあったり楽器があったり、暗室(のようなもの)がしつらえられたり、スロープや階段をつかったり、展示そのものがひとつの〈自然(ピュシス)〉のようでもある。ハイテクとアナログが、自然と人工物が、ともにあるだけでなく、連動する。あ、音が……と、その方向に足をむけても、もう、しばらくはない。明滅する光もまた。無機物なのに、気配、はある。視覚を、聴覚を、体感を、生活しているときのように、動員している。絵をみるのと日々の暮らしのなかでのみるのとは違っているが、ここでは、それが交差する。

内海潤也, 田所夏子(石橋財団アーティゾン美術館) 『「ジャム・セッション 石橋財団コレクション × 毛利悠子 – ピュシスについて」カタログ』 公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館(2024)

 図録には、さらにべつの〈みる〉がある。毛利作品でありながら、個々のデヴァイスであったり、デュシャンやブランクーシ、藤島武二やコーネルの作品とともにある毛利作品であったり、個々がべつにあったり。会場では気づけないような個々の作品のクローズアップ写真もまた。展示会場には作品についてのキャプションもないが、図録には多くのことばがある。タイトルがあり、キュレイター・内海潤也の(また毛利悠子じしんの)文章がある。出品作品の展示歴も明記されているのは貴重。この作品は、こういうところにあったのか、あそこで動いていた、音をだしていた、と時空が図録のなかで、みているもののなかで、重層する。

 アート/美術作品は残る。移動も可能だ。でも、ひとつの展覧会はある一時期だけの、一過性のものだ。ライヴやコンサートとおなじようなもの。ましてや音や空間とともにあるならなおのこと。作品と時と場所との交差点の記録=記憶。だからこそ、図録をもあらためて注目できたら。

※展覧会会場及び同館オンラインショップのみの販売となります。

 


EXHIBITION INFORMATION
「ジャム・セッション 石橋財団コレクション × 毛利悠子 – ピュシスについて」

期間:開催中~2025年2月9日(日)10:00~18:00(毎週金曜日は20:00まで) *入館は閉館の30分前まで
休館日:月曜日(1月13日は開館、12月28日~1月3日、1月14日)
https://www.artizon.museum/exhibition/detail/575