ニューヨーク・ドールズのデヴィッド・ヨハンセンが死去した。75歳だった。
米ニューヨーク・タイムズの報道によると、ヨハンセンは2月28日、生まれ故郷であるニューヨークのスタテン島の自宅にて息を引き取ったという。米ローリング・ストーンの記事によれば、ヨハンセンは妻のマーラ・ヘネシーと義娘のリアに手を握られ、音楽と花と愛に囲まれて亡くなったそうだ。
ヨハンセンはステージ4の癌と脳腫瘍を長年患っていたほか、昨年11月に転倒して背中を骨折したのち寝たきりの状態になっていると先日報道されたばかり。彼の家族は、ヨハンセンの介護に必要な資金を集めるため、Sweet Relief Musicians Fund(医療や経済的支援が必要となったミュージシャンをサポートする非営利の慈善団体)を通じて寄付を募っていた。
デヴィッド・ヨハンセンは1950年1月9日、ニューヨークのスタテン島で生まれた。1972年、ジョニー・サンダースらが結成したニューヨーク・ドールズのボーカリストとして加入。メンバーの入れ替わりを繰り返しながら、ヨハンセン、サンダース(ギター)、シルヴェイン・シルヴェイン(ギター)、アーサー“キラー”ケイン(ベース)、ジェリー・ノーラン(ドラムス)の5人となり、バンドは黄金期を迎える。
1973年にはプロデューサーにトッド・ラングレンを招き、1stアルバム『New York Dolls』をリリース。アルバムジャケットをはじめ、メンバーの中性的なビジュアルは当時大きな衝撃をもたらした。翌年には2ndアルバム『Too Much Too Soon』を発表するが、1975年の初来日時にサンダースとノーランが脱退。バンドはドールズ名義で活動を続けるも、1977年に解散した。
その後、ヨハンセンはソロキャリアを本格的にスタートさせ、『David Johansen』(1978年)、『In Style』(1979年)など数々のアルバムを発表。また、バスター・ポインデクスター名義でリリースしたアルバム『Buster Poindexter』(1987年)の収録曲“Hot, Hot, Hot”がヒットした。それまでのロックシンガー的なイメージから一転、ラテンやカリプなどを取り入れたスタイルは新たなリスナーを獲得した。
ヨハンセンは俳優としても活躍し、ビル・マーレイらが主演した映画「3人のゴースト」(1988年)、ミック・ジャガーも出演した「フリージャック」(1992年)などで演技を披露している。
2000年代に入るとヨハンセンはデヴィッド・ヨハンセン&ハリー・スミス名義でアルバム『David Johansen And The Harry Smiths』(2000年)を制作。同アルバムはブライアン・クーニン、カーミット・ドリスコルなどジャズミュージシャンを起用し、カントリーやブルースにフォーカスを当てた作品として高く評価された。
2004年にはニューヨーク・ドールズの再結成に参加、同年には来日公演も行われた。2006年、バンドは32年ぶりとなるスタジオアルバム『One Day It Will Please Us To Remember Even This』をリリース。2009年には再びトッド・ラングレンをプロデューサーに迎えた4thアルバム『Cause I Sez So』を発表し話題となった。
2023年、マーティン・スコセッシとデヴィッド・テデスキが監督を務めたヨハンセンのドキュメンタリー映画「Personality Crisis: One Night Only」が公開された。
プロトパンク、グラムロックの先駆的存在であるニューヨーク・ドールズのフロントマンとして活躍し、一人のミュージシャン/表現者としてさまざまな一面を見せてくれたデヴィッド・ヨハンセン。ニューヨーク・ドールズの黄金期を築いたメンバー全員が旅立ってしまった事実は悲しいが、ヨハンセンが歩んだ音楽人生は今後何度も語り継がれていくだろう。