1980年6月21日にシングル“哀愁でいと(NEW YORK CITY NIGHTS)”で音楽の世界に飛び込んだ田原俊彦が、今年、デビュー45周年を迎える。昭和ポップスのリバイバルも追い風となり、時代を超え、世代を超えてその魅力が伝播し続けるなか、2025年7月16日(水)には、「ザ・ベストテン」「日本レコード大賞」「8時だョ!全員集合」などTBSの番組アーカイブからパフォーマンス映像を厳選したDVD/Blu-ray「KING OF IDOL HISTORY in TBS Vol.1」がリリースされる。

今回、そんな永遠のアイドルにして稀代のエンターテイナーをリアルタイムで目撃してきた音楽ライターの桑原シローに、田原俊彦の歌はなぜこれほど人々の心を掴むのか、その理由を数々の名曲を通して紐解いてもらった。 *Mikiki編集部


 

ファッショナブルな世界を華麗に表現する〈ダンサブルTOSHI〉

トシちゃん、初孫誕生おめでとう! まず言いたかったのがこれ。年齢的に違和感はないけれど、TOSHIが〈じ~じ〉になったなんて、なんだかホロリとさせられるじゃないか。それを記念して、というわけではないが、田原俊彦という名のコスモ(小宇宙)を解説するテキストを今回書いてみたい。45年にも及ぶ彼の長い歌手活動を振り返るにあたって、ここでは小惑星に名前を付けるがごとく、4つほどの柱を設けて代表的な楽曲を振り分けてみたいと思うのだが、アルバムの収録曲にまで言及していたら広い銀河の迷子になってしまいそうなので、取り上げるのはすべてシングル曲に絞ることとする。

彼の音楽の主要な構成成分とも言える〈ダンス〉。記念すべきデビューシングル“哀愁でいと(NEW YORK CITY NIGHTS)”(1980年)からして振り付けの部分が他の要素を圧倒的にリードするような作りになっていたし、何よりもエンターテインメント1丁目1番地で輝き続ける人生の活路を拓いたのがダンスへの飽くなき探求心だった。

初期のディスコティーク系では“恋=DO!”(1981年)や“誘惑スレスレ”(1982年)などに彼ならではの独自性が見て取れるが、ぜひ注目したいのは14枚目のシングル“シャワーな気分”(1983年)。筒美京平が作曲したソウルフルなポップチューン(クイーンの“Back Chat”からのインスパイア度高し)において彼は、お師匠さんであるマイコー(マイケル・ジャクソン)からのインフルエンスをこれまでになく開けっぴろげにしてみせている。とにかくここでのしなやかでファッショナブルな身のこなしは歌謡曲の領域において容易に目に触れられる類いのものではなく、いたいけなファンたちをドギマギさせたのだった。

ダンサブルなナンバーを通じてトレンドの最先端をいくTOSHIの姿を浮かび上がらせた作品でいうと、新進気鋭のシンガーソングライターだった久保田利伸を起用した“It’s BAD”(1985年)も特筆すべき1曲だろう。ここで披露するラップ調の歌唱はヒップホップのスタイルがもっとも早く歌謡界に登場した事例として認識されている。

そのほかにも、フィリップ・ベイリー&フィル・コリンズのヒット曲“Easy Lover”を彷彿とさせる“堕ちないでマドンナ”(1985年)などダンサブルなサウンドを通じてファッショナブルな世界観を華麗に表現していくTOSHI。エキゾティックなエレクトロビートと妖しく戯れる“ジャングルJungle”(1990年)もこの系統の最高峰であることは間違いないし、作詞:いとうせいこう、作曲:金子隆博のハイパーなファンクチューン“ダンシング・ビースト”(1993年)なども最高の成果のひとつと言えるだろう。