先日リリースされたばかりのニューアルバム『FYOP』が話題のB’z。2025年にファン層を広げ、脚光を浴びた彼らの重要作の一つが1995年作『LOOSE』だ。本作のリリ-スから30周年を記念して、音楽面を掘り下げてみよう。 *Mikiki編集部
ターニングポイントで最高傑作の一つ『LOOSE』
2024年末、「第75回NHK紅白歌合戦」でのパフォーマンスが大きな話題になり、2025年に入ってからファンクラブ会員が増加するなど、若者を含む新たなリスナーが増加したB’z。1988年にデビューしてから37年、ギタリストの松本孝弘とボーカリストの稲葉浩志の2人の歴史に、ここに来て新たな章が追加された。
その長いキャリアにおいて何度かの転機を迎えてきたB’zだが、ここでは発表から30周年を迎えた名盤『LOOSE』を振り返ってみたい。本作はターニングポイントの一つと見做され、最高傑作に推すファンもいる、2人のディスコグラフィにおいて重要なアルバムだからだ。
〈B’zは2人〉という原点回帰宣言
1990年リリースのシングル“太陽のKomachi Angel”でオリコンチャートの週間1位を初めて獲得して以来、J-POP界のトップに躍り出て、“愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない”(1993年)などのミリオンヒットを生んできたB’z。彼らの1990年代前半は、揺るぎない人気と地位を築いた頃だと言える。
それゆえに1995年の彼らは世間的なイメージもどんどん肥大化し、巨大な存在になっていたことだろう(『LOOSE』に収録された“敵がいなけりゃ”の歌詞の皮肉は、彼らが置かれた状況と無関係ではないはず)。その内情は推して知るべしだが、デビュー当初と比べ、ビジネス面を含めてレーベルやマネージメントから2人に懸けられる期待が大きくなったこと、責任や制約も小さくなかったことは想像に難くない。そしてもちろん、ファンの期待も同様だ。
それでもB’zは、『RUN』(1992年)や2枚組の大作『The 7th Blues』(1994年)といったロック色を強めた挑戦的なアルバムを作り上げていった。それらに続く『LOOSE』は、〈B’zは2人〉という原点に立ち返って制作された作品として知られている。当時、B’zの成功への道程はほとんど頂点に達していたと言っていいが、そんななかでの〈B’zは2人〉という原点回帰宣言は、いま思えばかなり重みを帯びており、意義深いように感じる。
B+U+M解体による制作体制とサウンドの変化
本作の最も大きな変化であり挑戦は、B+U+Mを解体したことだった。B+U+MとはB’zの2人と明石昌夫、野村昌之、寺島良一、田中一光、畠山勝紀といったメンバーからなる音楽制作集団で、その名前は1990年の4thシングル“BE THERE”からCDにクレジットされてきた。つまり彼らはグループの最初の黄金期をともに築き上げ、サウンド作りの要になってきた母体をここで捨て去り、リセットしたのだ。サウンド、音楽性や音楽的な志向を変えること。これはかなり大きな決断だったはず。しかしこの判断こそが以降の〈B’zサウンド〉をさらに濃密に、力強く作り上げていくために必要なことだったのは、歴史が証明している。
B+U+Mのクレジットが最後に明記されたのは、1994年11月21日リリースのシングル“MOTEL”。同曲は『LOOSE』に収録されず、オリジナルアルバムに入らない宙に浮いたシングルになったが、それはやはりB+U+Mとともに作った曲だったからだろう。“MOTEL”はもちろん悪い曲ではないものの、エコーやリバーブがかけられたボーカルやドラムの響きに重みがあり、ストリングスやコーラスが重ねられたドラマティックなサウンドが特徴である。軽やかで自由な色合いが強く、生々しいサウンドが軸になっている『LOOSE』のトラックリストにはあまり馴染まない。同曲を本作に収録しないという判断は、『LOOSE』に音楽的な統一感をもたらしたと言える。

