田内洵也の11月19日リリースのタワーレコード限定シングル“深川のアッコちゃん(produced by 夏 螢介 a.k.a. KUWATA KEISUKE)”はすでに〈時代を超えて愛される歌〉の予感のする作品である。人間味あふれる歌声からはせつなさや懐かしさ、いとしさなど、ピュアな感情が伝わってくる。町の匂いや人の営みのぬくもり、時の流れの重さまでもが描かれているところも大きな魅力になっている。だから、聴けば聴くほど染みてきて、さまざまな風景とシンクロし、昭和・平成・令和というさまざまな時代とリンクしていく。

曲名には、〈夏 螢介 a.k.a. KUWATA KEISUKE〉とある。サザンオールスターズの桑田佳祐が、都内の音楽バーで〈流し〉として活動していた田内の歌と出会い、惚れ込んだことがきっかけとなって、今回のプロデュースが実現し、田内の歌の世界の魅力を見事に引き出している。

この曲ではモチーフとして河津桜が登場する。田内洵也を寒い季節を乗り越えて咲く河津桜に例えるならば、プロデューサーの桑田はその開花を促進する早春の太陽の光のような存在だろう。田内洵也のプロフィールとこれまでの活動、そして“深川のアッコちゃん”制作のエピソードまで、じっくり話を聞いた。

田内洵也 『深川のアッコちゃん(produced by 夏 螢介 a.k.a. KUWATA KEISUKE)』 深川レコード(2025)

 

原点は中学時代から歌っていた路上ライブ

――音楽との出会いを教えてください。

「小学6年生の時に、3歳上の姉が近所のレコードショップで買ってきたビートルズのベスト盤『1』を聴き、“Let It Be”が流れてきた瞬間に衝撃を受け、音楽の素晴らしさに目覚めました。

その後、中学3年間は父親の仕事の関係でタイで過ごして、バンコクのストリートでたくさんの生バンドがビートルズやイーグルスなどの洋楽のカバーを演奏しているのを見て、生演奏の迫力と楽しさに魅了されました。自分もあんな風に演奏したいと思い、タイに行って数ヶ月後にはギターを始めて、ストリートで演奏するようになりました」

――ギターはどのように練習したのですか?

「ギターとビートルズのコード譜は買ったものの、家族も弾けず、まわりに弾ける人がいなかったので、最初はどうやって弾いたらいいのか、わかりませんでした。でも、当時、通っていた日本人学校が自由な校風で音楽好きの人が多く、担任の理科の先生がブラスバンドも教えていた方で、〈学校にギターとコード譜を持って来なよ。教えるから〉って言ってくださって、コードの押さえ方や読み方を教えていただきました。それさえわかれば、あとは自分ひとりでも練習できるので、2ヶ月くらい練習して、ストリートで歌うようになりました」

――バンコクのストリートと日本の路上の違いは?

「日本は通行人相手の路上ライブが多いですが、タイでは、ほぼ観光客相手の街中でのライブなんですよ。それで生活している人も多いようで、みなさん、とても上手です」

――路上で歌うのに、勇気はいりませんでしたか?

「自然に歌えました。タイって南国のせいか、空気が緩やかでオープンなので、中学生が歌っていても変な目で見られないんですよ。週に2日、1回あたり3時間くらい歌っていました。ギターケースにお金を入れてくれる観光客もいて、マクドナルドを買えるぐらいにはなるので、演奏を終えたあとは、ハンバーガーを食べて帰っていました。歌っていると、声を掛けてもらうこともあり、いろいろな国の人たちと交流できる楽しさもありました。その経験が自分のプレイの原点になっています」

――その当時のレパートリーは、ビートルズが中心ですか?

「ビートルズも演奏しましたが、J-POPなど、コードブックに載っている曲は手当たり次第全部やっていました」

――リスナーとしてはどのような音楽を聴いていたのですか?

「中学1年の時にタイに遊びに来た叔母さんが、桑田佳祐さんの『TOP OF THE POPS』とサザンオールスターズの『世に万葉の花が咲くなり』を買ってきてくれて、桑田さんの音楽と出会いました。“真夜中のダンディー”などめちゃくちゃ大人の世界でとても刺激的で、いきなり洗礼を浴びました(笑)。

それからはローリング・ストーンズを聴き、さらにブルース、カントリーなどルーツを遡って聴くようになりました」