マックス・ロメオが2025年4月11日に死去した。
マックス・ロメオが亡くなったことは、彼のInstagramアカウントで発表された。投稿された画像には、マックスの写真とともに〈深い悲しみのなか、愛するマックスの訃報をお伝えいたします。みなさまから頂いた温かい愛情とお悔やみの言葉に深く感謝申し上げます。また現在はプライバシーへの配慮にご協力くださいますよう、お願いいたします。伝説は死なない〉というコメントが付されている。死因などは明かされていないが、ダンスホールマグの取材によると心臓合併症によるものだという。80歳だった。
マックス・ロメオことマックスウェル・リヴィングストン・スミスは1944年、ジャマイカのセント・アン教区生まれのレゲエミュージシャン。14歳から砂糖農園で働いていたが、18歳で地元のコンテストで優勝し、首都キングストンに移住して音楽家としてのキャリアを歩みはじめた。
1965年にバンド、ジ・エモーションズを結成。名レーベル、カルトーンのセールスも担当しながら活動し、1966年の“(Buy You) A Rainbow”をはじめヒット曲をリリースしていく。マックスはソロアーティストとしても活動を始めたが軌道に乗らず、さらに新しいバンド、ザ・ヒッピー・ボーイズも結成。
その後、1968年にソロシングル“Wet Dream”がジャマイカとイギリスでヒット、ソロデビューアルバム『A Dream』も発表した。しかし“Wet Dream”が性的な歌詞だとされ、英BBCラジオでの放送禁止やイギリスツアー中に複数の会場で演奏を禁止されるなどの憂き目に遭う。
1970年にはレーベル兼サウンドシステムのロマックスを設立したがうまくいかず、1971年に2ndアルバム『Let The Power Fall』をリリース。政治的な色合いを強めた同作からは、表題曲が人民国家党(PNP)の1972年の選挙におけるテーマソングに選ばれた。
そして、リー・“スクラッチ”・ペリーのプロデュースでアルバム『Revelation Time』を1975年に発表。続けて1976年には政治と宗教をテーマにし、名曲“Chase The Devil”“One Step Forward”などを収録したジ・アップセッターズとのアルバム『War Ina Babylon』もリリース、同作はマックスの最高傑作とされ、現在もレゲエの名盤として聴き継がれている。しかし、マックスとリー・ペリーと仲たがいしてしまうことになる。
1978年に米ニューヨークに移り、ミュージカル「Reggae」の作曲を担当、主演も務めた。1980年には、ザ・ローリング・ストーンズのアルバム『Emotional Rescue』の収録曲“Dance”に参加。翌1981年、ストーンズのキース・リチャーズがマックスのアルバム『Holding Out My Love To You』の共同プロデュースを担当、北米市場に進出しようと試みたが成功しなかった。
1990年代に入るとマックスは注目されなくなり、ニューヨークの電気店で働きはじめたという。しかしイギリスに渡ってジャー・シャカやマフィア&フラクシーとのアルバム制作をおこない、2014年にはロミナル(息子ロナウドとロマーリオのデュオ)とコラボレーションアルバム『Father And Sons』をリリースした。なお娘アザナ・スミスも音楽活動をおこなっている。
ボブ・マーリーとともにルーツロックレゲエの黄金期を築き上げ、政治との関りを含めて当時の音楽シーンや社会に影響を及ぼし、ジャマイカ文化のレジェンドとなったマックス・ロメオ。この世を去ったあとも、マックスの歌声は不滅だ。