この春から放送がスタートしたNHK連続テレビ小説「あんぱん」が話題だ。漫画家・やなせたかしと妻・小松暢をモデルに、何者でもなかった男女が幾多の荒波を乗り越え、やがて国民的キャラクター〈アンパンマン〉を生み出していくまでの物語が、今田美桜と北村匠海の共演で描かれている。父親の急死、そして母親の再婚に伴い伯父の家に預けられた過去など、複雑な家庭環境で育ったやなせの実話が反映された濃密な人間ドラマは今後、戦争の時代へと突入し、さらに大きなうねりを見せていくことになる。

そんな激動の人生と、それがどのように「アンパンマン」の誕生に影響を与えたのかは、やなせ自身が過去に著書のなかで明かしているほか、朝ドラの放映に合わせて伝記や特集本も数多く発売されている。この記事では、そんな書籍を中心に「あんぱん」と併せて読みたい作品を紹介しよう。
まず、本人が75歳の時に刊行した自叙伝「アンパンマンの遺書」は、今改めて注目したい一冊だ。

「あんぱん」に登場する出自のエピソードから、ドラマとは異なる妻との本当の馴れ初め、軍隊での体験と弟を亡くした戦争の記憶、長きにわたる無名時代の苦悩、そして遂に訪れた「アンパンマン」での成功とその裏で悲しみのどん底へと突き落された愛妻との死別まで、波瀾万丈にして数奇な歩みが、時にドキッとするような赤裸々な告白も含めて飾らず、ユーモラスに綴られている。
とりわけページ数が割かれているのが、漫画家、絵本作家、イラストレーター、詩人、デザイナー、編集者、舞台美術家、演出家、コピーライター、作詞・作曲家、シナリオライターと、多様な肩書を持つに至ったやなせの流転の職業ヒストリーについてだ。「アンパンマン」という確固たる名刺を得る以前のやなせが、同時代の漫画家たちの活躍を横目に、焦燥感や嫉妬心、屈辱感に苛まれながらも、〈何でもやってみる精神〉でさまざまなフィールドに飛び込んでいくその姿勢は、〈なんのために生まれて なにをして生きるのか〉という「アンパンマン」の哲学へと結実している。
また、作詞家としての代表作“手のひらを太陽に”(1961年)へと繋がっていく突然の永六輔の来訪や、アニメーション映画「千夜一夜物語」「やさしいライオン」の誕生へと至る手塚治虫からの突然の電話など、傑物たちにその能力を買われ、やなせの人生が度々思いがけない方向へと舵を切っていくのが面白い。

そんな二人をはじめ、いずみたく、宮城まり子、立川談志など幅広い仕事を通じて出会った数々の著名人との交流が述懐されているが、特に「あんぱん」に関連して興味深いのが向田邦子だ。かつて映画雑誌でシネエッセイを連載していたやなせの前に編集者として現れた向田。まだ脚本家として名を馳せる前のことだ。気が合い、しばらく交流が続いたが、その後向田は飛行機事故でこの世を去ってしまった。
「あんぱん」ではヒロイン・のぶの実家が石屋という設定で、祖母役を浅田美代子が演じているが、これは向田の名作「寺内貫太郎一家」のオマージュに違いない。石が倒れて子どもがケガをしそうになるシーンでは、一瞬、梶芽衣子の顔が浮かんだ人も少なくないはずだ。そんな向田を含めた多くの才人とのエピソードからも、やなせのユニークな性格や人望の厚さが浮かび上がってくる。

ちなみに「あんぱん」ではMrs. GREEN APPLEの大森元貴がいずみたくをモデルにした作曲家・いせたくや役で出演することが発表されているが、手塚治虫や永六輔らの登場とそのキャスティングにも期待したいところだ。