
テープの多重録音と独自の音響、ギターによる実験
――初期の音源は、ソニー製の2チャンネルオープンリールレコーダーと、わずかな楽器と機材で録音されたとのことですが、それらを使って、どのように多重録音の技術を磨いていったのでしょうか? 特に、ピンポン録音や逆再生などの手法は、どのようにして見つけ出されたのですか?
「私たちは3人兄弟で、長兄は20歳の時に父親と喧嘩してギター1本持って家を飛び出したのですが、何年かしてバンドをやめる決意をした時に機材を全部、次男の章夫に渡したのです。メインで使っていたフェンダー・テレキャスターの1969年モデル、ソニーのオープンリールレコーダー、ファズとワウワウ――当時のロックは、ペダル類はこの2つだけでしたけど、そして、スネアとシンバル。
ピンポン録音というのは当時のステレオレコーダーでは基本中の基本で、まずひとつのチャンネルにギターを録音。それをバックにしながら次のギターをもうひとつのチャンネルに録音し、さらにその2本のギターが重なった音をバックにして……というやり方で重ねる度に元の音は消されますから、失敗が許されません」
――具体的には、どんなMTRを使っていましたか?
「当初は2チャンネルのステレオオープンリールデッキのピンポン録音でしたが、限界を感じ、レコード会社に送った『I/o』のデモテープではソニーのTC-4860という4チャンネルオープンリールデッキを使用しています。
1970年代半ば、プロ機材を除けばMTRと呼べるようなものは、このソニー製とTEAC製のA-3340しかなかったのですが、TEAC製はソニー製の2倍以上の値段がしたので、欧州放浪旅行で貯金を使い果たした新津章夫は買うことができませんでした。
もっとも大きな違いは、TEAC製にはサイマルシンク機能が付いていたことです。テープデッキには磁気テープに記録された信号を消去するためのヘッド、音を記録するためのヘッド、そして、再生するためのヘッドの3つが付いていますが、それぞれのヘッドは少しスペースを置いて取り付けられています。再生ヘッドと記録ヘッドには距離があるため、多重録音であらかじめ録音した音を聴いて、それに重ねようとするとヘッドの距離の分、時間的な差ができてしまいます。サイマルシンク機能とは、その時間的なギャップをなくす機能です。先に録音した音を聴きながら、次の楽器の音を録音すると、きちんとシンクロするので宅録には欠かせないものです。
ところがソニー製には多重録音になくてはならないサイマルシンク機能がない。そもそもソニー製は4チャンネルオーディオの観賞用という目的が強かったのです。これは多重録音には致命的なハンディとなりますが、このサイマルシンク機能のないオープンデッキこそが、その後の新津章夫の音作りに大きな影響を残します。ソニー製のデッキのヘッド配置は消去、録音、再生の順番だったため、たとえば、最初に1チャンネルにリズムギターを録音し、次に2チャンネルにリードギターを録音しようとすると〈♪ジャン……ジャン〉という具合に時差ができてしまいます。この音を3チャンネル、4チャンネルに次々流し込んでいくとテープ式エコーと同じ効果が得られるのです。
第1集のCD(『EARLY MINIMALISM 1973-78』)に収録されている“ハイデルベルグ”は、ギターは3本しか重ねていないシンプルな構成ということもあり、このエコー効果が発揮されています」
――最初の多重録音が、このCDの1曲目に収めたものですね。21歳の時の録音ということで。
「その曲は、ギターのハーモニクスで始まりますが、元々は5音でした。しかし、オーバーダビングを重ねているうちにミスして最初の音を消してしまったのです。また、“どんつく”と名付けた曲(兄は、オリジナル曲はすべて番号のみで曲名を付けなかったので、兄弟間では印象的なベース音から〈どんつく〉と呼んでいました)ではイントロを4小節消してしまいました」

――お兄様は、ギターにはまったくこだわりがなかったとのことですね。しかし、チューニングの安定性だけを重視し、アームを取り外すなどの工夫をされていたそうですが、音色やサウンドについては、どのようにしてご自身の理想を追求されていたのでしょうか?
「さすがに国産のボロいギターしかもっていなかった兄のもとにフェンダーが転がり込んできた時には、兄も喜んでいました。当時はプロでも簡単に買えるものではなかったですから。なので、最初の頃の多重録音は、ほとんどがテレキャスターの素の音です。
しかし、多重録音の技術を高め、ギターを3本、4本と重ねられるようになってから、同じ演奏者が同じ音で録音することに限界を感じて、様々な実験を始めました。たとえば、ジャズ風の曲ではフラットワウンドというジャズギター用の特殊な弦を買ってきてテレキャスターに張りました。第1集のCDでは、“ワルツ 01”や“ドイツの印象”などがそうです。“インディア”で、弦にプラスチック板やクリップを挟んで妙な倍音を作ったのは、私の友達から借りた無名ブランドのセミアコギターです。セミアコなので共鳴音がよりエスニックさを醸し出しました」
――CDのライナーノーツでは、オープンリールテープの速度を逆に利用した〈シューッ!〉という効果音や、今おっしゃったブリッジに下敷きを挟んでシタール風の音を出す方法など、ユニークな手法が多数紹介されています。こうした斬新なアイディアは、どのように生まれていたのですか? 試行錯誤の過程について、何か思い出深いエピソードはありますか?
「フェンダーを手に入れるまでは我が家にあった楽器といえば、モラレスというモズライトのコピー、HOTAKAというブランドのアコギ、そして、長兄が親から買ってもらったヤイリのガットギターだけでした。あとなぜかボンゴがありましたね。
それだけで何かを作ろうとするとアイディアが必要です。ギター1本と歌だけならまだしもインストですから。最初の頃はベースがなかったからギターの5弦と6弦でベースラインを録音したり、甥っ子のオモチャの鈴をパーカッションにしてみたり、段ボールをスティックで叩いてみるとか、考えられる限りのものは音源にしようとしていました」