倍速で再生したギターと多重録音によるアルバム『I/o(イ・オ)』(1978年)を発表し、その余りにも独創性に満ちた音楽性で世界的に評価されている天才音楽家、新津章夫(1952~2002年)。彼が1973~1984年に残した未発表音源を編集した2種のCD『EARLY MINIMALISM 1973-78』『LATE MINIMALISM 1981-84』とLP『HOAX FOR ELECTRIC GUITAR』が公式リリースされた。そこで、幼い頃からその姿を見てきた実弟で本作の監修者である新津隆夫氏に話を訊いた(2025年9月、オンラインで)。
ジミヘンから加藤和彦まで、新津章夫のルーツ
――新津章夫さんのプロフィールに出てくる〈バッハとジミ・ヘンドリックスの中道を行く〉という言葉が印象的です。これこそが彼の音楽観を象徴しているように感じます。章夫氏はジミ・ヘンドリックスの『Electric Ladyland』のエンジニアリングの凄さについて熱弁を振るっていたとのことですが、どのような点を特に評価されていたのでしょうか?
「特にステレオの音像をどう作るかを心がけていました。今から見たらレトロな印象でしょうが、ビートルズも初期はモノラルだったように、70年代はまだ左右のチャンネルから独自に音が出るのは新鮮だったんです。ロックでは音像をステージの楽器の配置そのままにするのが基本でしたが、『Electric Ladyland』ではギターの音が右に左に飛び交うとか、右でギターの音が鳴ってて、左はその送り(エコー残響音)だけにするなどのアソビが多く聴かれました。
今回の新津章夫の未発表音源集(『LATE MINIMALISM 1981-84』)では、当人がとてもこだわりをもっていた“未来永劫 Part 2”を2テイク入れていますが、そのディスク2に収録しているテイクはバロック調のアルペジオが右チャンネルで強調して聞こえます。兄は1曲仕上げる時には何テイクか作り、いうなれば周囲に味見してもらっていました」
――同じく章夫さんの言としてある〈すべてのメロディはバッハの「平均律クラヴィーア曲集」の中に見つけられる〉という考え方は、彼の音楽の太い幹となっていたそうですね。この考えに至る具体的な経緯や、彼がバッハから得たインスピレーションについて、何かエピソードがあればお聞かせください。
「兄も元々いわゆるギターキッズなので〈指癖〉というのがあります。気に入ったフレーズばかり弾いていると、それが手癖になるのです。B.B. キングのトレードマークである人差し指ビブラートのように。しかし、それは同時に多重録音で5人、6人ものギタリストに〈扮して〉演奏を重ねていく場合にはマイナスになります。いくら音質を変えようとも、結局は同じギタリストが弾いているんだなってわかるからです。
ベーシストのスタンリー・クラークは若い時にサックスのフレーズをコピーして練習していたといいます。若いベーシストが有名なベーシストのコピーをするのは自然なことですが、しかし、それを続けていても独自のスタイルやフレーズは生まれません。コピーはどこまでいってもコピーですから。
新津章夫は若い時にジェフ・ベックやバーニー・ケッセルやジミヘンやジョー・パスから奏法、フレーズを学びましたが、同時にバッハを演奏することで自分の手癖にはない運指の使い方、フレットボード全体への広い視野などを身に着けるよう努力していました」

――ザ・フォーク・クルセダーズの“帰って来たヨッパライ”(1967年)が大好きだったというエピソードは、彼の倍速ギターの着想の原点になったとのことですが、この曲を聴いた当時の思い出について、もう少し詳しくお聞かせいただけますか?
「加藤和彦さんは、60年代では日本の先駆者でありジャンルを超えて誰もが尊敬する人でした。加藤さんがやることにはみんなが注目をしていたのです。兄自身は音楽をやる以前から小型のテープレコーダーを持っていて、街の音を録音したり、それを編集したりするのが好きでしたから、“帰って来たヨッパライ”を聴いて、すぐにどうやって作っているのかがわかったそうです。このテクニックを自分の音楽に取り入れてみたら面白いだろうなと。模索していた過程で倍速ギターのアイディアを考え付きました。
ただ倍速ギターは通常の演奏を2倍の速度で再生するので、音が上がるだけでなく減衰音は逆に2分の1の長さになり、ピッキングミスなどは誇張されます。それを何度もテストを繰り返しながら、ひとつのテクニックとして昇華させたのです。倍速ギターの演奏としては、有名なところではホルガー・シューカイの“Persian Love”がありますね」

テープの多重録音と独自の音響、ギターによる実験
――初期の音源は、ソニー製の2チャンネルオープンリールレコーダーと、わずかな楽器と機材で録音されたとのことですが、それらを使って、どのように多重録音の技術を磨いていったのでしょうか? 特に、ピンポン録音や逆再生などの手法は、どのようにして見つけ出されたのですか?
「私たちは3人兄弟で、長兄は20歳の時に父親と喧嘩してギター1本持って家を飛び出したのですが、何年かしてバンドをやめる決意をした時に機材を全部、次男の章夫に渡したのです。メインで使っていたフェンダー・テレキャスターの1969年モデル、ソニーのオープンリールレコーダー、ファズとワウワウ――当時のロックは、ペダル類はこの2つだけでしたけど、そして、スネアとシンバル。
ピンポン録音というのは当時のステレオレコーダーでは基本中の基本で、まずひとつのチャンネルにギターを録音。それをバックにしながら次のギターをもうひとつのチャンネルに録音し、さらにその2本のギターが重なった音をバックにして……というやり方で重ねる度に元の音は消されますから、失敗が許されません」
――具体的には、どんなMTRを使っていましたか?
「当初は2チャンネルのステレオオープンリールデッキのピンポン録音でしたが、限界を感じ、レコード会社に送った『I/o』のデモテープではソニーのTC-4860という4チャンネルオープンリールデッキを使用しています。
1970年代半ば、プロ機材を除けばMTRと呼べるようなものは、このソニー製とTEAC製のA-3340しかなかったのですが、TEAC製はソニー製の2倍以上の値段がしたので、欧州放浪旅行で貯金を使い果たした新津章夫は買うことができませんでした。
もっとも大きな違いは、TEAC製にはサイマルシンク機能が付いていたことです。テープデッキには磁気テープに記録された信号を消去するためのヘッド、音を記録するためのヘッド、そして、再生するためのヘッドの3つが付いていますが、それぞれのヘッドは少しスペースを置いて取り付けられています。再生ヘッドと記録ヘッドには距離があるため、多重録音であらかじめ録音した音を聴いて、それに重ねようとするとヘッドの距離の分、時間的な差ができてしまいます。サイマルシンク機能とは、その時間的なギャップをなくす機能です。先に録音した音を聴きながら、次の楽器の音を録音すると、きちんとシンクロするので宅録には欠かせないものです。
ところがソニー製には多重録音になくてはならないサイマルシンク機能がない。そもそもソニー製は4チャンネルオーディオの観賞用という目的が強かったのです。これは多重録音には致命的なハンディとなりますが、このサイマルシンク機能のないオープンデッキこそが、その後の新津章夫の音作りに大きな影響を残します。ソニー製のデッキのヘッド配置は消去、録音、再生の順番だったため、たとえば、最初に1チャンネルにリズムギターを録音し、次に2チャンネルにリードギターを録音しようとすると〈♪ジャン……ジャン〉という具合に時差ができてしまいます。この音を3チャンネル、4チャンネルに次々流し込んでいくとテープ式エコーと同じ効果が得られるのです。
第1集のCD(『EARLY MINIMALISM 1973-78』)に収録されている“ハイデルベルグ”は、ギターは3本しか重ねていないシンプルな構成ということもあり、このエコー効果が発揮されています」
――最初の多重録音が、このCDの1曲目に収めたものですね。21歳の時の録音ということで。
「その曲は、ギターのハーモニクスで始まりますが、元々は5音でした。しかし、オーバーダビングを重ねているうちにミスして最初の音を消してしまったのです。また、“どんつく”と名付けた曲(兄は、オリジナル曲はすべて番号のみで曲名を付けなかったので、兄弟間では印象的なベース音から〈どんつく〉と呼んでいました)ではイントロを4小節消してしまいました」

――お兄様は、ギターにはまったくこだわりがなかったとのことですね。しかし、チューニングの安定性だけを重視し、アームを取り外すなどの工夫をされていたそうですが、音色やサウンドについては、どのようにしてご自身の理想を追求されていたのでしょうか?
「さすがに国産のボロいギターしかもっていなかった兄のもとにフェンダーが転がり込んできた時には、兄も喜んでいました。当時はプロでも簡単に買えるものではなかったですから。なので、最初の頃の多重録音は、ほとんどがテレキャスターの素の音です。
しかし、多重録音の技術を高め、ギターを3本、4本と重ねられるようになってから、同じ演奏者が同じ音で録音することに限界を感じて、様々な実験を始めました。たとえば、ジャズ風の曲ではフラットワウンドというジャズギター用の特殊な弦を買ってきてテレキャスターに張りました。第1集のCDでは、“ワルツ 01”や“ドイツの印象”などがそうです。“インディア”で、弦にプラスチック板やクリップを挟んで妙な倍音を作ったのは、私の友達から借りた無名ブランドのセミアコギターです。セミアコなので共鳴音がよりエスニックさを醸し出しました」
――CDのライナーノーツでは、オープンリールテープの速度を逆に利用した〈シューッ!〉という効果音や、今おっしゃったブリッジに下敷きを挟んでシタール風の音を出す方法など、ユニークな手法が多数紹介されています。こうした斬新なアイディアは、どのように生まれていたのですか? 試行錯誤の過程について、何か思い出深いエピソードはありますか?
「フェンダーを手に入れるまでは我が家にあった楽器といえば、モラレスというモズライトのコピー、HOTAKAというブランドのアコギ、そして、長兄が親から買ってもらったヤイリのガットギターだけでした。あとなぜかボンゴがありましたね。
それだけで何かを作ろうとするとアイディアが必要です。ギター1本と歌だけならまだしもインストですから。最初の頃はベースがなかったからギターの5弦と6弦でベースラインを録音したり、甥っ子のオモチャの鈴をパーカッションにしてみたり、段ボールをスティックで叩いてみるとか、考えられる限りのものは音源にしようとしていました」

新津章夫がYMOのギタリストだった世界線
――1978年のアルバム『I/o』中の曲で、また、今回のCD第1集にもそのデモが収められた“光のオルゴール”は、元々、バロック以降の12音階の音楽は4度の転調を3回すると元のキーに戻るというロジックの遊びから始まった、とライナーにあります。この曲が、なぜ〈オルゴール風〉というイメージに変化したのか、そのきっかけについてお伺いできますか?
「“光のオルゴール”は、最初のスタイルはドラムやベースも入ったディキシーランドジャズ風のノーテンキな曲調でした。曲名もなく“No. 15”とマスターテープには書かれていました。倍速ギターの録音技術の確立には成功したものの、ではそれをどのように音楽に活かしたらいいか、というアイディアは当初は兄になかったんです。
ひとつのきっかけは、70年代に大ブームを起こした〈イージーリスニング〉というジャンル。代表的なところでは、ポール・モーリアやレイモン・ルフェーブルといったフランスのオーケストラが奏でる主に映画音楽などの人畜無害な音楽を研究し始めたんです。
個性の塊である兄の音楽とは対極のようで、方法論としていかに兄の音楽が聴き手から距離を置かれず、警戒感を持たれず、音楽を聴いてもらえるか? そう考えた時にオルゴールと結びついたわけですが、楽曲番号“No. 15”が“光のオルゴール”となったのは、『I/o』のプロデューサー、三浦光紀さん(ベルウッド・レコードの設立者)、担当ディレクターである伊藤洋一さん(YMOのマネージャーを経て、本作の発売元であるブリッジの代表。同社の元になった音楽事務所オレンジ・パラドックスは『I/o』の収録曲名に因む)、スーパーバイザーだった音楽ライターの岩田由記夫さんたちのアイディアが大きかったです」
――聞いた話だと、章夫さんはYMOのギタリストとして最初に候補に挙がったらしいですね?
「はい、伊藤さんに〈なぜYMOのギターに新津章夫を選ばなかったのか?〉と訊いたことがあるのですが、〈新津は孤高の人だからね〉との返事でした。岩田さんによると、三浦さんが兄に〈今度、細野(晴臣)さんがYMOというグループを作ろうとしているが、そのギタリストにならないか?〉と誘ったところ、兄から断ったそうです。
新津章夫がYMOのギタリストだった世界線は興味がありますよね。伊藤さんによると、YMOはフロント2人の強烈な個性のぶつかり合いを(高橋)幸宏さんがまとめていたとのことで、そこに新津章夫なんて入ったら(笑)、ですよね。ただ、伊藤さんが坂本(龍一)さんに兄の曲を聴かせたところ、坂本さんは興味を持ったそうで、インクスティック(六本木にあったライブハウス)のライブを見に来ていたことがあります」

――“コズミック・トレイン”や“未来永劫”は、ドイツ旅行での経験が原点になったとのことです。ドイツで体験した風景や音が、お兄様のクリエイティビティにどのように影響を与えたのか、具体的なお話をお聞かせください。
「一番大きかったものは、教会の鐘の音や日曜日に漏れ聞こえてくる讃美歌などだと思います。また、駅のインフォメーションコールや電話のベルの音など、生活にある様々な音がすべて日本のものとは違ったことが大きいと思います。
今ではYouTube、Instagramなど、海外のちょっとした音、町の喧騒などがいくらでもリアルに手に入りますが、70年代は、たとえば『兼高かおる世界の旅』なんてテレビの旅行番組が大人気で、海外の情報は、それこそお金を出さないと手に入らない時代でしたから。自分の目で見て、耳で聴いて、歩いてみて発見すること、すべてが新鮮だったのだと思います。
今回のCDに収録した“ハイデルベルグ”という曲は、まさにハイデルベルクという町を歩いて、どこからともなく聞こえてきた鐘の音がイントロになっています」
――2ndアルバム『Pet SteP』(1982年)のタイトル曲は“手のひらを太陽に”のメロディを元にされているとのことですが、童謡や駅の案内のベルなど、日常の中に隠れている音から着想を得ることが多かったのはなぜだとお考えですか?
「兄は子供の頃から図鑑を見るのが好きで、我が家には『玉川こども百科』という子供用に編集された百科事典がありまして、一人暮らしを始めた時にはその事典を全巻持って出たくらいです。それは玉川学園が編集したもので、文字通り100巻ありまして、兄は特に乗り物や生き物の図鑑をよく見ていました。そういう子供の好奇心を満たしてくれる視覚情報が音に変換されたものが、兄の音楽の一部になっています。
そういった図鑑、事典から得た知識の影響なのか、兄はエッシャーのだまし絵、クラインの壺やメビウスの輪、シンメトリーとパラドックス、そして、アンチクライマックス、回文、円周率、視覚や論理、言葉など、あらゆるものの中に、平気な顔をして混じり込んでいる座敷童子のような〈不思議〉が大好きでした。本人は自分の音楽を〈まやかし音楽〉と呼んでいましたが、これは異常なまでの照れ屋であるがゆえの照れ隠し的表現に他なりません」

せめて彼が努力した分だけ、音楽が評価されて報われたら
――デビューアルバム『I/o』と、それに続く『Pet SteP』では、音楽の方向性が大きく変わりました。細野晴臣をアドバイザーに迎えた『Pet SteP』が、本人にとって、納得のできないアルバムだったとのことですね。これについて、もう少し詳しくお聞かせいただけますか?
「兄の音楽には大きく分けて2つの面があります。ひとつは音の実験。もうひとつはロマンティシズム。“オレンジ・パラドックス”“ブラック・ホール”のような実験音楽を作る一方で、“未来永劫”や“迷宮の森”のようなロマンティックな曲も奏でる。『Pet SteP』はどちらかというとロマン主義に全振りしたアルバムだったため、『I/o』のファンからは低い評価しか得られませんでしたが、無印良品のBGMで兄の音楽を知ってくれた新しいファンを獲得することはできました。
兄が納得できていなかったのは、まず、タイトル曲“Pet SteP”のオリジナルが制作会議で〈1分は短すぎる〉と却下されたこと。結果、3分バージョンで再録音しましたが、いかにも水で薄めたスープ感が強かったです。もうひとつは“未来永劫 Part 2”が選に洩れたこと。これにより『I/o』との関連性が切られました。
細野晴臣さんは兄が尊敬するミュージシャンであり、『I/o』制作どころか、他の曲を聴いても細野さんのベースラインからヒントを得たなとわかるものが多いくらいのファンでしたが、兄は基本的に人の意見は聞き入れません。そもそも論として、〈細野さんをアドバイザーに〉という制作側の発想が間違っていたんです。
日本フォノグラムの『I/o』の制作スタッフはそのままジャパン・レコード(現・徳間ジャパン)に移籍しましたが、継続して『Pet SteP』の制作にかかわった人はいませんでした。そのことも大きかったと思います」
――今回の未発表音源集には、本来作りたかったという“Pet SteP”の1分に満たないオリジナルバージョンが収録されています。これを聴いて、隆夫さんはどのような想いを抱かれましたか?
「この“Pet SteP”は、兄のこだわりのすべてを詰め込んだ曲です。まずタイトルが回文になっているという点。前から読んでも〈Pestep〉、後ろから読んでも〈Petstep〉。これは音にするなら“オレンジ・パラドックス”と一緒。そして、子供の頃から大好きだった曲“手のひらを太陽に”のサビ部分のオマージュ。さらに、倍速ギターとチェロの融合。それらを58秒にまとめ、〈記号化〉しています。
“迷宮の森”が12分を超える大作である一方で、1分足らずの曲の中にすべての要素を入れる。これも兄のプランのひとつだったんです。曲を作る時にメロディが美しいとか、コード進行がどうとか、そういう作り方はしない。言葉に置き換えたロジックの面白さ、あるいは視覚的不思議さ、そういうものが着想の原点なんです」
――“未来永劫 Part 2”は、尊敬していたフィル・スペクターのウォールオブサウンドを試みたとのことですね。銭湯の奥で演奏しているような音の広がり、このサウンドを実現するために、どのような工夫をされていたのでしょうか?
「“未来永劫 Part 2”制作時には、機材面の大きな変化としてデジタルディレイ、デジタルリバーブを手に入れたことがありました。それまでは、多重録音に使っていたソニーの4チャンネルレコーダーやローランドのテープ式エコーRE-201を使っていましたが、アナログゆえコントロールが大変でした。ギリギリいっぱいの反響音を出そうとするとハウるんです。“未来永劫 Part 2”を聴いていただければわかりますが、音の奥行きの深さがハンパない。残響にこだわった音作りをしてきた新津章夫としては、これ以上にない出来栄えなんです」
――今回改めてお兄様の遺された膨大な音源と向き合い、CDとLPの発売に至るまでの経緯、そして今の率直な気持ちをお聞かせください。
「青天の霹靂というのがぴったりで、まず2023年のクリスマスに徳間ジャパンから『I/o』を横尾忠則さんのジャケット含めてLPで完全復刻したいと連絡をもらった時には、正直、オレオレ詐欺の一種なのかと警戒しました(笑)。
2005年に発表した『SCIENCE CLASSICS』というCDは、兄が亡くなる間際まで取り組んでいた制作途中のアルバムだったものなので、これを完成させるのは私の役目だと思っていました。ですが、もう1枚『I/o』から『Winter Wonderland』(1985年)のアウトテイクを出したかったけど、『SCIENCE CLASSICS』のセールスが思わしくなかったため中断され、そのまま立ち消えになっていましたから。
コロナ禍では私の生活そのものが痛めつけられたので、さすがにトランクルームを借りてまで兄の音源等を保管することに限界を迎えていました。2023年の夏に日本へ帰国した際には、すべて処分するつもりだったのです。
それが徳間ジャパンからの復刻に続き、PヴァインのコンピレーションCD(『How We Walk on the Moon』、2024年)に『Pet SteP』の“リヨン”を提供してほしいという話が届き、そして、今回のこの話ですから、〈ああ、捨てなくてよかった〉と安堵したものです。兄はレコードセールスには恵まれなかったけど、せめて彼が努力した分だけ、音楽が評価されて報われたらなぁと思っています」
RELEASE INFORMATION

リリース日:2025年9月17日(水)
品番:BRIDGE420
仕様:2枚組CD
価格:4,268円(税込)
TRACKLIST
Disc 1
1. 最初の多重録音
2. インディア 01
4. インディア 02
3. ワルツ 01
5. バラッド 01
7. バラッド 02
6. どんつく
8. ガット・抒情
9. ホタカ
10. インディア 02(1975)
11. バラッド 01(1975)
12. ボサノバ・オクターブ
13. 光のオルゴール(プロト・タイプ)
14. ドイツの印象
15. バッハ:インヴェンション12番 イ長調
16. バッハ:インヴェンション14番 変ロ長調
17. バッハ:インヴェンション13番 イ短調
18. バッハ:インヴェンション 4番 ニ短調
19. バッハ:インヴェンション 4番 ニ短調
20. バッハ:平均律クラヴィーア曲集 第2巻 20番 フーガ
Disc 2
1. コズミック・トレイン
2. 未来永劫
3. シロス・リンダーホフ
4. ハイデルベルグ 1976
5. ハイデルベルグ 1977 Fast
6. ハイデルベルグ 1977 Slow
7.光のオルゴール
8. ルートヴィヒ2世
9. バッハ:プレリュードB短調
10. ブラック・ホール
11. 迷宮の森(プロト・タイプ)
12. 迷宮の森(インスピレーション)
13. 天気雨
解説:新津隆夫
編集・マスタリング:George Mori
デザイン:ダダオ

リリース日:2025年10月1日(水)
品番:BRIDGE422
仕様:2枚組CD
価格:4,268円(税込)
TRACKLIST
Disc 1
1. 未来永劫 Part 2
2. 金平糖の踊り テクノ編(くるみ割り人形より)
3. ダイヤモンドダスト
4. チェロと倍速ギターの為の小品~音楽の歓び
5. クラマエ 338
6. PetSteP オリジナル
7. Mina
8. 湘南の漣
9. プレリュード
10. アストロ行進曲
11. アサクサ 113
12. D.B.
13. マティアスによろしく
14. シロス・リンダーホフ
15. 最期の言葉
16. PetSteP ジングル
Disc 2
1.「くらしの経済」テーマ
2. ネッセ・フランセーズ・ネイキッド
3. リヨン・テイク1
4. リヨン・テイク2
5. リヨン・リズムトラック
6. N氏のナイーブ・ネイキッド
7. 未来永劫 Part 2(テスト・ミックス)
8. ネッセ・フランセーズ ’83
9. FMレコパル・ラジオCM・SE
10. 曼荼羅 1
11. 曼荼羅 2
12. 曼荼羅 3
13. 曼荼羅 4
14. 曼荼羅 5
15. 曼荼羅 6
16. マイケル
解説:新津隆夫
編集・マスタリング:George Mori
デザイン:ダダオ

リリース日:2025年10月22日(水)
品番:BRIDGE424
仕様:LP
価格:4,455円(税込)
TRACKLIST
Side A
1. From Eternity To Schaffhausen Information - Demo
未来永劫
2. Thumpin
どんつく
3. Heidelberg - Demo 1 -
ハイデルベルグ 1
4. India style 02 - 1975 -
インディア 02(1975)
5. Ludwig II - Demo -
ルートヴィヒ2世
6. The Earliest Overdub Demo
最初の多重録音
Side B
1. Forest Of Maze - Ideation and Testing -
迷宮の森(インスピレーション)
2. Shonan Wave Waltz
湘南の漣
3. Black Hole - Before Effect Processing -
ブラック・ホール
4. Mandalas Take 4
曼荼羅 4
5. Mandalas Take 1
曼荼羅 1
6. Space Symphony Inspired by Timo Laine
ティモ・レインの影響により宇宙瞑想系
解説:新津隆夫
編集・マスタリング:George Mori
デザイン:ダダオ
PROFILE: 新津章夫
10代のはじめよりギターを弾き始め、J. S. バッハとジミ・ヘンドリックスを師とし、全ての奏法を極める。1976年、自室にプロ用のミキシングコンソールを持ち込み、3年半かけ、エンジニアリングを含めすべてをまったくの独りで『I/o』(日本フォノグラム、1978年)を完成させる。無印良品のスタート時(1980年)に店内BGMをともに手がけ、細野晴臣をアドバイザーに迎えた『Pet SteP』(ジャパン・レコード、1982年)、『Winter Wonderland』(SWITCH 45 R.P.M.、1985年)を発表。1980年代半ば、音楽の世界から身を引く。『I/o』が「ギター・マガジン」2017年8月号の〈ニッポンの偉大なギター名盤100〉に選ばれ、「和レアリック・ディスクガイド」(ele-king books、2019年)に『I/o』と『Pet SteP』が取り上げられるなど評価され続けている。『I/o』の発売当時、新津章夫は「今にコンピューターで音楽を創る時代になる。そんな時代がやってきた時、ギター1本とわずかな楽器でこんな馬鹿な音楽を創ったヤツがいたって笑ってもらいたいんだよね。でも、その未来のミュージシャンたちにギターと多重録音だけで、このアルバムと同じ音は絶対に作れっこないという自信はあるけどね」と、常々語っていたという。
PROFILE: 新津隆夫
コラムニスト、ジャーナリスト。イタリア在住。