©Szilveszter Mako

制御と崩壊の間に存在し、整然と混沌を抱えた新作『V』が完成――鬼才が考える現代的なヴォーカル・ジャズの在り方とは?

 「このアルバムを制作していた時、世界は特に重苦しく感じられた――戦争、孤独、集団的な悲しみ。そうした現実を無視したくはなかったけれど、希望のないものも作りたくなかった。そこにはまだ美しさ、滑稽さ、そして愛が存在していて、ジャズは本質的に常にそれを理解してきたのだと思う」。

 ジャズとクラシックのバックグラウンドを持ち、独特の美意識に満たされた作品で注目されてきたナイアが、NYの名門ジャズ・レーベル、キャンディドと契約して『V』をリリースした。平凡な言い回しに頼る必要がないほど、多彩な音楽の影響を自身の中に消化してきた彼女だが、優雅な翳りを帯びたヴォーカリゼーションと個性的な曲作りのセンスは、古風な洗練のようで現代的なエレガンスを湛えた音楽を生み出している。

 マサチューセッツ州ニーダムで生まれたナイアは、音楽的な家系に育った母親の影響でピアノに触れ、13歳から歌と演奏を始めたという。14歳の時にはバークリー音楽大学のサマー・プログラムに招待され、高校卒業後はNYに移ってニュースクール大学でジャズ・ヴォーカルを専攻。この時代にはワイクリフ・ジョンと出会って彼の“Sweetest Girl (Dollar Bill)”(2007年)に参加している(が、後にナイアが脚光を浴びた際に気づいた人は少なかっただろう)。

 その後はLAに拠点を移して活動し、ロビン・ハンニバルと組んで2014年にデビューEP『Generation Blue』を発表する。当時のハンニバルはクアドロンとライで注目されており、ナイアがアトランティックから『I』(2017年)でメジャー・デビューした際も同系統のアーティストが登場してきたように映ったものだ。が、自身の芸術性に忠実なナイアにとって、そこでのシャーデー風味な聴かせ方は選択肢のひとつだったのだろう。次作『II: La Bella Vita』(2020年)からは自主制作に移行してオルタナティヴR&B〜ジャズ的な作風を深め、ブランディー・ヤンガーやデューク・デュモンらの作品に客演しつつマイペースに作品を発表。そして5作目という位置付けになるのがこのたびの『V』というわけである。

NIIA 『V』 Niiarocco/Candid(2025)

 これまでもスーパーポジションやガブリエル・ガルソン・モンターノらと作品を作ってきたが、今回はローレンス・ロスマンとスペンサー・ザーンをプロデューサーに起用。ロスマンはオルタナ〜インディー・ロック系の仕事が多いLAのエンジニア/プロデューサーで、ザーンはドーン・リチャードとのコラボ作でも知られるマルチ演奏家だ。

 “Fucking Happy”での幕開けから穏やかな演奏の煌めきのなかをシアトリカルで麗しい歌唱が流れていく。ホーンに寄り添ってスキャットで舞う“Ronny Cammareri”からもわかるように、今作のアレンジの下地はより明快にジャズだ。“Throw My Head Out The Window”“Pianos And Great Danes”のように解放的なアップもあれば、モダンなソウル・ポップの“Dice”もあって、アレンジは幅広く展開されるが、そこには「1961年を装わずに」ジャズ・シンガーがこの時代に存在できる空間を作りたいという意志がある。

 「伝統的なヴォーカル・ジャズの多くはノスタルジアに傾倒するか、現代の複雑な感情の在り方を避けがちだけど、私はそのギャップを埋めようとしている。〈ジャズ=博物館〉としての捉え方には興味がなくて、むしろ、その言語を変形させて、いままでに語られたことのない物語を語ること――私はその可能性に興味がある」。

左から、ナイアの2017年作『I』(Atlantic)、デューク・デュモンの2020年作『Duality』(Virgin EMI)、ブランディー・ヤンガーの2025年作『Gadabout Season』(Impulse!)、ドーン・リチャード&スペンサー・ザーンの2024年作『Quiet In A World Full Of Noise』(Merge)