
適当にやるからおもろいんでんがな
――可朝さんと初めて出会ったのは、いつですか。
「初めて一緒に仕事をしたのは1964年です。梅田の阪神百貨店の1階に、当時はラジオ大阪のサテライトスタジオがありましてね。月曜日から木曜日まで、このサテスタで『即席リレー小話 ハイ本番』という番組を生放送していました。私はこの番組の台本を書いてたんです」
――その生放送に可朝さんが出演されていたのですね。
「そうなんです。出演者は日替わりでね。笑福亭仁鶴、可朝やん、二代目・桂春蝶、桂小春(現 四代目・桂福團治)の落語家4人がその日の新聞記事を題材とした小話を語る構成です。勢いのある若手ばかりで、みんな人気がありましたよ。なかでも可朝やんはズバ抜けて個性的やったですね」
――自由奔放な発言や行動で知られる可朝さんですが、やはり若手の頃から個性的だったのですね。
「とにかく落語がうまい。さすがのちに人間国宝となる桂米朝のもとで修業をしただけのことはあります。『住吉駕籠(すみよしかご)』という上方の古典落語があるんですが、もう絶品なんです。ところがテレビやラジオはね……何度〈可朝やん、あんたもうちょっと真面目にやりなはれ〉と諭したことか。すると可朝やんは〈落語やないねんから、こんなもん一所懸命やってどないしまんねん。適当にやるからおもろいんでんがな〉と、こう返してきよる」
――私も幼少期に可朝さんをテレビで観て〈こんなにふざけた大人が本当にいるんだ〉と驚きました。でも、そこがおもしろかったです。
「そうなんですよ。実際ね、肩の力が抜けていて、その姿勢がお茶の間にウケていました。私も可朝やんの考え方にずいぶんと影響を受けましたよ。〈そない真面目にやらんでもええな。それよりも自分が楽しまないと〉とね。可朝やんに共感できたからこそ、放送作家の仕事を何十年も続けてこられた部分もあるんやないかな」

国会議員に立候補したのは可朝やんなりの遊びなんです
――その後、可朝さんは1969年にテイチクレコードから“嘆きのボイン”をリリースし、80万枚の大ヒットとなります。月亭可朝時代の到来ですね。
「あの頃の可朝やんはほんま、ええ意味で適当でしたね。“嘆きのボイン”はギターの弾き語りなんやけど、コードなんて1つか2つくらいしか憶えてない。まともに弾いてないんです。それでもお客さんは大笑いやし、80万枚の大ヒットやからね。あの軽妙な感じが時代から求められたんです」
――1971年には参院選に立候補し、〈一夫多妻制〉と〈銭湯の男湯と女湯の隔てをなくす〉を公約としていました※。
「弟子に選挙カーを運転させて〈六甲山のてっぺんへ行け〉と命令するんです。弟子が〈師匠、山の頂上なんて人がいてしまへんがな。人がおらんところへ行っても選挙活動になりまへんで〉と言い返すと、〈アホ! それでええねん。選挙演説を人に見られたら恥ずかしいやないか〉と怒る。ハナから国会議員になる気なんかないんですよ。立候補したのは可朝やんなりの遊びなんです」
――遊びの度が過ぎて、1979年には野球賭博で逮捕されました。
「警察で取り調べを受けているとき〈世の中から金を巻き上げる悪い奴が胴元や。ワシは奴らの資金源から金を奪い返したんやから、ワシはむしろ正義やないかい〉と、こんなふうに抗弁してたくらいです。博打が好きで、〈大勝負の際に必要やから〉と家の権利書をつねに自家用車に常備しているほどのめりこんでいましたね」