新曲6曲で新たな姿をMUZEに見せる2ndアルバム
1stアルバム『Parade』(2024年)のリリースから約2年、MAZZELから2ndアルバム『Banquet』が届けられた。待望の新作がどんな作品なのか? 本作を深掘りし、レビューしてみよう。
『Banquet』は、日本テレビ10月期ドラマ「セラピーゲーム」のエンディングテーマに起用されヒット中の儚くも美しいラブバラード“Only You”をはじめ、過去最高難易度のダンスでスキルを見せつけた“J.O.K.E.R.”、和とストリートの要素を掛け合わせた斬新なサウンドで聴かせる“DANGER”など、前作の発表以降にリリースした話題曲を収録した、聴き応え十分の充実作だ。
さらに新曲は、6曲も加えられている。近年、J-POPのアルバムは既発曲を並べ替えただけのベスト盤になりがちな風潮があるが、MAZZELは〈せっかくアルバムを作るのだから〉とまだ見ぬ新しい姿をMUZEにたっぷりと見せてくれている。フラゲ日にCDを買って聴く楽しみ、配信開始時間にアルバムの再生ボタンを押すワクワク感をファンにもたらしてくれる旺盛なサービス精神が、アルバムで音楽を聴くことが好きなリスナーとしては非常に嬉しい。
ライブの光景と〈かっこいいMAZZEL〉を伝える音楽の宴
〈MAZZELらしいカラフルさが詰まった楽曲の数々を収録し〉、〈更なる進化への期待が高まる作品〉、そして〈聴く人全てにHAPPYを届ける”特別な一皿”となっている〉と、本作はプレスリリースで説明されている。まさにそのとおりだと思いつつ、私が初めて聴いたときの印象は〈ライブの光景がまざまざと浮かび上がる〉というものだった。映像がなくても、歌い踊る8人の姿やステージや照明の演出、暗い会場で盛り上がるMUZEの熱気――そんな画が脳裏に浮かび、コンサートの空気すら漂ってきた気がしたのだ。それは〈MAZZEL 2nd One Man Tour 2025 “Royal Straight Flush”〉で体験した熱が未だに冷めていないからかもしれないが、とにかく新曲がどんなパフォーマンスで披露されるのか、ライブで早く見たい聴きたい、と収録曲や曲順から思わせられる。
彼らのカラフルさ=多様さのなかには、アイドル性やかわいさ、華やかさ、エンターテインメント性も含まれている。しかしこれはあくまでも私見だが、アルバムからは全体的に〈クールでかっこいい、あるいはシックでセクシーなMAZZEL〉という側面が強く伝わってくる。黒がベースになったジャケット、収録曲“BANQUET BANG”から取っているのだろうアルバムタイトル(〈宴会〉〈ごちそう〉などの意味)、そして同曲のミュージックビデオなどからもその印象を受け取った。“J.O.K.E.R.”や“King Kila Game”といったアグレッシブな曲をアルバムの流れで聴いたときのイメージに引っ張られているのかもしれない。
息苦しい現代を前向きに切り抜ける挑発的なシングル“BANQUET BANG”
さてここからは、アルバム曲に焦点を絞って書いていきたい。
まずは、開幕曲の“BANQUET BANG”。先行配信されたこのシングルは、まさに〈かっこいいMAZZEL〉にハートを撃ち抜かれる曲だ。
作曲はTaka Perry、LOAR、SKY-HIの3人。音楽性やプロダクションについては、Taka Perryによるセルフ解説動画がかなり詳しいのでぜひチェックしてほしい。アコースティックギターを効果的に用いたこと、ホーンやストリングスを重ねたこと、サビではジャージークラブのビートになること、さりげなくカントリー風のスライドギターを入れていることなど、曲作りの工夫がかなり興味深い。2回目のサビで2小節だけビートをハーフタイムにし後半の盛り上がりを強調している点、ブリッジは音数を減らしてエモーショナルにしている点は、まさに演出家の手腕。終盤、TAKUTOが単独で〈Here comes MAZZEL〉とキメるたった1小節には強烈なインパクトがあり、痺れる。
アルバムのタイトルトラックと言っていいこの曲の歌詞は、かなり挑発的だ。過去や未来といった時制、時流などは気にせず、刹那的にいまこの瞬間を楽しみ、全力で自分らしくあること――そんな一瞬の宴を謳歌することがコアメッセージだろう。
NAOYAが歌う〈君らしい君でいればいい〉は、この曲のメッセージの一つであるのと同時に、彼が歌うからこその意味が宿っている。TAKUTOとRYUKIが掛け合いを聴かせる〈勝者とか王者/すぐ落ちぶれてくジェットコースター/世渡りばかりの巧者/陰口は蜜の味だそうだ/息苦しいこの世は/結局楽しめるかどうか/人の目が気になるのなら片っ端から/All on fire〉は、名声や評価が急速に激しくアップダウンするいまの社会、SNSで相互監視し合う現代人の有り様を射貫く。
再びNAOYAのパートで歌われる〈どうせ100年後には/何もかも忘れてる〉というラインは、巨視的な規模で物事を捉えればあらゆる些末なことがくだらなく思える、というポジティブさの発露だ。だからこそMAZZELは、この一瞬を〈果てるまで〉〈踊れ歌え〉と聴き手に訴える。投げやりにも聞こえるが、現代の息苦しさを前向きに切り抜ける方策をMAZZELの音楽は教えてくれている。
