画像提供:サントリーホール
孫悟空とシャーマンが導く道教オペラの世界
タン・ドゥンの「TEA 〜茶は魂の鏡〜」は異色のオペラである。〈茶〉をテーマにすること自体オペラとしてまず異例である。日本の皇子と唐の皇女の間に展開する悲劇的な愛という設定も珍しい。しかしそれ以上に興味深いのは、中国古来の道教の影が全体に見え隠れしていることで、それがこの作品を〈道教オペラ〉と呼びうるような独特なものにしている。
日本では〈茶道〉といえば禅である。鎌倉時代に禅僧栄西が茶を伝えたことによって禅の儀式として発達した。日本の茶の湯を体験したタン・ドゥンも、そこに〈魂の鏡〉を見たと述べている。しかしその一方で、〈茶〉はより古い時代から中国で信仰されてきた道教の世界も映し出す。道教は仏教が伝来する以前に中国に起こった民族的信仰で、岡倉天心も「茶の本」のなかで茶の湯が道教と深い関係にあることを述べている。
オペラの冒頭、京都の古寺のシーンでは、僧侶となった主人公が空の茶碗で茶を飲む。なぜ茶碗は空なのか。タン・ドゥンは中国の南部を旅した時に、ある高名な尼僧が初めての客に空の茶碗を差し出し、自らも空の茶碗から茶を飲んだことを語り、そこに中国の茶の精神を見出している。道教の祖とされる老子は「器が空虚なところにこそ器としての働きがある」と述べた(「老子」第11章)。目に見える器だけにとらわれてはならない、見えないものに真実があるという教えであろう。空の茶碗は繰り返し登場し、オペラの中で中心的な役割を担っている。作曲者が伝えたい茶の精神とはこのことではないだろうか。
タン・ドゥンが幼少期を過ごした湖南省の地域では、村の儀式は道教のシャーマン(霊媒師)によって執り行われていた。タン・ドゥンは1990年のアジア音楽祭で来日した際に、特異な発声による声のソロを自ら歌って「オン・タオイズム(道教について)」(1985)を披露した。祖母の葬儀に出席するために帰郷したのをきっかけに書いた作品で、この道教の儀式は忘れていた幼少時代を甦らせることになったという。
道教とのつながりは、劇中劇として挿入される「猿王」にも見られる。このオペラの台本作家シュ・インは、オランダの映画監督フランク・シェファーのドキュメンタリー映像「Tan Dun TEA 茶」で、タン・ドゥンが幼少期に見た影絵芝居「猿王」をオペラに採り入れるよう望んだと述べている。猿王つまり孫悟空は子供たちに人気のあるキャラクターであるとともに、道教の神としても信仰されている。この話は挿話というだけではなくて、物語全体の構成にも関わっている。「西遊記」では三蔵法師が孫悟空らを連れ、経典を求めて天竺へと旅をするが、このオペラでも日本の皇子聖嚮と唐の皇女蘭が本物の「茶経」を求めて南方への旅に出る。そして最後に「茶経」をめぐる諍いの中で蘭が弟に刺されて死ぬ場面で、唐の皇帝は娘の死を悲しんで「私とお前は永遠に『猿王』を演じるのだ」と歌う。「猿王」はオペラ「TEA」の背景を担う重要な物語なのである。
「故郷の村では石、雲、風、葉、人間、全てに霊が宿っていた」とタン・ドゥンは言い、シャーマンが物語や対話、音楽を通じて様々な種類の霊を表現していたことを明らかにしている。万物に霊が宿るという日本人にとっても馴染み深い考え方は、オペラの音楽や音づくりにも反映されている。屈原の詩をもとにした初期のオペラ「九歌」(1989)では、独特の発声による声とともに皮、木、竹、絹、金属、陶器といった自然の素材による様々な楽器の音が鳴り響く。中国の楽器は〈八音〉と呼ばれる分類法によって素材の種類で区別される。タン・ドゥンの楽器の使い方はそうした考え方を反映しており、彼自身このように自然の素材によって鳴り響く音楽を〈オーガニック・ミュージック〉と呼んでいる。
「TEA」は3幕で構成されており、各幕にはそれぞれ〈水、火〉〈紙〉〈陶器、石〉という自然の素材に関わるタイトルが付けられている。歌手とともに重要なのは3人のソロの打楽器奏者で、第1幕ではボウルに入った水を叩いたり、掬い上げるなどして、まるでシャーマンのように変幻自在に水の音を繰り出していく。第2幕では紙を揺らすなど、様々な方法で音を出す。オーケストラのメンバーが楽譜をめくる紙の音も、風の音、木のざわめきとして鳴り響く。そして第3幕では陶器の楽器が叩かれ、合唱隊によって石が打ち鳴らされる。このようなオーガニックで霊的な響きが歌やオーケストラとともにつくる多層的な空間は、このオペラの大きな醍醐味となっている。
オペラ「TEA 〜茶は魂の鏡〜」はサントリーホールの開館40周年を記念して上演される。2002年にホールの委嘱作品として世界初演され、2006年に再演されたオペラで、これが20年ぶりの上演となる。今回は演出に中国出身の映画監督で舞台演出家のシャーウッド・フーを起用し、サントリーホールの空間を古代ギリシアの円形劇場に見立てた新しい演出を行う。タン・ドゥンは、茶経を読む人として登場し、指揮を始める。孫悟空とシャーマンによって導かれるこの異色の道教オペラは、諸々の霊が蠢く遙かなる精神世界へと私たちを誘ってくれるであろう。
LIVE INFORMATION
サントリーホール開館40周年記念
ホール・オペラ® タン・ドゥン:『TEA ~茶は魂の鏡~』(全3幕・日本語&英語字幕付)
2026年7月3日(金)サントリーホール 大ホール
開場/開演:18:20/19:00
2026年7月4日(土)サントリーホール 大ホール
開場/開演:16:20/17:00
■曲目
タン・ドゥン:オペラ『TEA ~茶は魂の鏡~』(全3幕・日本語&英語字幕付)
作曲・指揮:タン・ドゥン
演出:シャーウッド・フー
装置:タン・ドゥン/シャーウッド・フー
衣裳:桜井久美
予定上演時間 約2時間15分(休憩1回)
https://www.suntory.co.jp/suntoryhall/schedule/detail/20260704_M_2.html