スレイヤーの3rdアルバム『Reign In Blood』がリリースから40周年を迎えた。スラッシュメタル、ひいてはメタルの大名盤である本作の重要性や音楽的な魅力とは? 音楽ライター増田勇一に解説してもらった。 *Mikiki編集部

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SLAYER 『Reign In Blood』 Def Jam/American(1986)

 

スラッシュメタルをメジャーに解き放つ、決定的作品が登場した86年

スレイヤーの第3作『Reign In Blood』は、このバンドが何たるかを決定づける1枚となった。1986年10月にアメリカで発売されたこの作品の、全米アルバムチャート(ビルボード)における最高94位という実績は、前2作が100位圏内に1週も顔を出さずに終わったことを踏まえれば大きな前進ではあったが、さほど輝かしいものとはいえない。ただ、のちにゴールドディスク獲得に至っている事実からは、この作品がじっくりと時間をかけながら支持を拡げ、彼らの存在を世に浸透させていったことがうかがえる。

今から40年前にあたる1986年には、ボン・ジョヴィの第3作『Slippery When Wet』に代表される、ハードロックの裾野を広げるようなメガヒット作がいくつか生まれているが、一方でそれは、その少し前までアンダーグラウンドな存在に過ぎなかったスラッシュメタルの先駆的存在たちがメジャーなフィールドへと解き放たれ、各々のアイデンティティ確立を示すかのような決定的作品を世に放っていた時期でもあった。

同年3月にはメタリカの第3作『Master Of Puppets』が、9月にはメガデスの第2作『Peace Sells... But Who’s Buying?』が、そしてさらに翌年3月にはアンスラックスの第3作『Among The Living』がリリースされている。のちにこの領域における四天王と崇められるようになるバンドたちの決定的な作品が、まるで足並みを揃えるかのようにこの時期に登場しているのだ。

 

リック・ルービンが無駄を取り除き、露わにしたスレイヤーの本質

この時期のスレイヤーにとって重要な転機となったのが、リック・ルービンとの出会いだったことは疑いようもない。本作は実際、彼をプロデューサーに据えながら完成され、彼自身の運営するデフ・ジャム・レコーディングスからリリースされている。

当時のルービンは、ヒップホップ界隈においてはビースティ・ボーイズやLL・クール・J、RUN-D.M.C.などとの仕事ですでによく知られていたが、ロック、ことにメタルの領域に縁があったとはいえない存在だった。それゆえに彼のもとでのアルバム制作や、従来のレーベル(メタル・ブレイド)を離れての同社への移籍には、当初はバンド内でも否定的意見が出ていたようだ。そんな中、ルービンと関わりを持つことについてひときわ積極的だったのがドラマーのデイヴ・ロンバードだったとの話もある。

のちにレッド・ホット・チリ・ペッパーズからジョニー・キャッシュ、AC/DCに至るまでと関わるようになり、ごく最近でいえばザ・ストロークスの最新作も手掛けているルービンは、サウンド作りの達人というよりも、バンド/アーティスト自身に本来あるべき姿勢について再認識させ、当事者自身の本心、本質に直結した作品を形にすることに長けた人物として認識されていることだろう。

そうしたルービンの視座のあり方については、彼の自著である「リック・ルービンの創作術」における記述内容からもうかがえる。敢えて大雑把にいうならば、プロデューサーとしての彼がまず取り除こうとするのが、当事者たちの精神面における邪念、サウンド面における無駄ということになるだろう。

 

問題視もされたメタル史の最重要作に満ちる、殺傷力と破壊力

実際、『Reign In Blood』はこの上なく簡潔なアルバムである。前2作の時点で打ち出されていたバンドの本質をより強力に打ち出そうとするうえで、ルービンとスレイヤーは何かを足そうとするのではなく、むしろ引き算の発想で取り組んでいる。全10曲(のちのリイシュー時にはボーナストラックを追加収録)、トータル29分にも満たないそのコンパクトな作風は、まさに無駄を削ぎ落して彼らのありのままの姿をパッケージしようとした結果だといえるし、CD時代到来に伴って1時間を超える収録量のアルバムが増えていた当時の傾向を考えると、時流に逆行していたともいえる。

しかし、そこに余分な装飾や演出、バランスをとるための捨て駒的な楽曲が一切皆無であるからこそ、このバンドならではの特質と、この地点に至るまでの経験により培われていた殺傷力の高さが少しも損なわれることなく発揮されることになった。具体的にいえば、リバーブの力を借りて空気感を醸し出すことを求めるよりも、ネイキッドな音のままぶつかり合うことで生まれる破壊力をそのまま活かすことのほうが、少なくともこの種の音楽においては有効だということが、本作で証明されたということでもある。

とはいえ2026年の現在に触れても刺激的きわまりないこの作品は、40年前の音楽シーンにおいては当然ながら異端/邪道扱いされたものだし、アルバムの幕開けを飾っている“Angel Of Death”の歌詞内容が問題視され、大手レコード会社から配給を拒否されるという事態に陥ったりもした。不穏な空気をまとったアートワークが、そうした流れに少しばかり拍車をかけたことも否めない。ただ、〈捨てる神あれば拾う神あり〉ではないが、このバンドの特異さが当時の主流への対抗勢力になり得ると信じた関係者たちも少なからずいたことで、このどす黒く血なまぐさい名盤が無事に世に出ることになったのだった。

そして結果、本作はメタル史における最重要作のひとつとして語り継がれてきた。スレイヤーの代表作をひとつ選ぶとなれば、やはりこの第3作を挙げないわけにはいかない。実際、ファンからもっとも熱い支持を集めてきたのが本作であることも間違いない。それは、このバンドのライブの歴史において最多回数演奏されてきた楽曲の上位2曲が、本作のオープニング曲である“Angel Of Death”とクロージング曲にあたる“Raining Blood”であるという事実にも裏付けられている。このアルバムで提示されたたたずまいこそがスレイヤーを象徴するものとなり、これ以降にメタルの細分化、尖鋭化が進んでいく中での、ひとつの理想/基準として意識されるようになったといっても過言ではないだろう。

 

絶頂に立ちながら、リスナーをふたたび驚嘆させた次作

ただ、自分たちにとっての然るべきスタイルを発明し、それを確立することはきわめて重要だが、そこに自ら嵌まり込んでしまうと、そこに埋没してしまうことにもなり兼ねない。前出のルービンの著書の中には〈どんなに革新的なアイディアでも、ルールになってしまう恐れがある。また、革新的アイディアはそれ自体が目的になる危険性も秘めている〉という記述がある。その意味においては、この時点でのスレイヤーは画期的なものを生み出した歴史的瞬間に立ってはいたが、そこを絶頂としながら転げ落ちていく危険性を孕んだ地点に行き着いていたのだともいえる。

しかし、いうまでもなく、彼らがそうした深い闇に堕ちていくことはなかった。速くて残虐な曲しか入っていないこの作品の登場から1年9ヵ月後、第4作『South Of Heaven』が届けられると、我々はふたたび驚嘆させられることになった。なにしろそのアルバムの幕開けを飾っていた表題曲は、かつて聴いたことのない〈スレイヤーの遅い曲〉だったのだから。