「平凡な風景が意味のあるものに変わる。陳腐でつまらない景色が美しく光り輝く真珠になる。音楽でね」。劇中、ニューヨークの町中を2人で夜通し互いのiPodのプレイリストを聴きながら歩きまわるシーンで、マーク・ラファロ演じるダンが音楽の素晴らしさをキーラ・ナイトレイ演じるグレタに向けて語った一言だ。これこそ、この『はじまりのうた』という映画のテーマが端的に表現されている場面。そして、グレタはダンやバンド・メンバーたちと一緒になって、時には川でボートに乗りながら、時には地下鉄のホームで警官の目を盗んで、時には夜のビルの屋上で周囲の苦情を浴びながら生き生きとした歌を聞かせる。そこには笑顔しかない。レコーディングするお金がないから仕方なく町の中で録音するという苦肉の策が、最初は心を閉ざしていたグレタの気持ちを次第にやわらげていくのだ。
『はじまりのうた』は『ONCE ダブリンの街角で』をヒットさせたアイルランドの映画監督ジョン・カーニーがメガホンをとった最新作。グレタ役をつとめる人気女優、キーラ・ナイトレイ(『危険なメソッド』『アンナ・カレーニナ』他)が初めてギターや歌を披露していることが公開前から話題になっていたが、見た目はむさくるしいが音楽へのピュアな愛情を傾けるダン役のマーク・ラファロとの丁々発止の会話は、実際のミュージシャンとプロデューサーさながらのリアリティがある。長い手足を生かしたしなやかな演奏シーンも注目だし、最初はボーイッシュな格好で歌っていたグレタが徐々にガーリィな雰囲気を増して、表情が輝いていく様子も見物だ。
舞台はニューヨーク。未知なる可能性が多く渦巻いている町であり、運がよければスターに、悪ければそのまま才能が埋もれてしまう町。時代こそ60年代だったが同じライヴ・ハウスのシーンに始まる、今年日本公開されたコーエン兄弟監督作品『インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌』でも描かれたように、音楽で夢を掴もうとする若者が今も昔も目指す町だ。ストーリーはいたってシンプル。ミュージシャンの恋人と作った歌が当たって夢のような生活をニューヨークでしていたグレタが、恋人の浮気をきっかけに家を飛び出し、旧友に誘われて飛び入りで歌ったライヴ・ハウスで出会ったダンと共に手作りでアルバムを制作、それを境に2人の新たな人生が開かれていく、というもの。だが、その簡素な展開の中に、音楽ファンなら思わず一緒に会話の中に入りたくなるような場面が多く潜んでいる。
例えば、彼女の歌を聴いてひらめきを感じたダンとグレタがバーで議論を重ねるシーン。その男の子のような格好をやめて可愛い格好をした方がいいと言うダンに対し、音楽は見た目じゃない、みんな本物を求めていると主張するグレタ。「君が本物だと思うアーティストは誰だ?」と問うダンに向け、きっぱりと「ディラン」とグレタは答える。するとダンはこう切り返すのだ。「あいつこそ印象重視だ。髪型、サングラスを10年ごとに変えてる」。実に鋭い考察! けれど、「ランディ・ニューマン」と続けて名を挙げるグレタに「そこは賛成」と言って素直にビールで乾杯する2人…。ここに、自らもかつてはアイルランドのロック・バンド、ザ・フレイムスの一員だったことがあるジョン・カーニー監督の音楽好きとしての的確な批評眼を垣間見せる瞬間が、ある。ディランやランディ・ニューマンの名前が飛び出すマニアックな会話によって、あるいは冒頭でも紹介した、夜通し音楽を聴きながら町中を歩き回るシーンでフランク・シナトラやスティーヴィー・ワンダーの曲を使用することによって、「平凡な風景が意味のあるものに変わる。陳腐でつまらない景色が美しく光り輝く真珠になる。音楽でね」という主張をしっかりと伝えているのだ。これは熱いメッセージと演奏が魅力だったザ・フレイムスで辛酸舐めてきたカーニー監督ならではの哲学だろう。
曲そのものの良さ以上に、アレンジも重要という意見をグレタが元カレに伝える場面も一考を促されるシーンだ。どんなにウェルメイドであってもココロのない演奏はつまらない。町中の雑踏も大らかに演奏に取り込んで素晴らしい音楽に仕立ててしまったグレタだからこその主張。そんなグレタの言葉に心を動かされる元カレ役が、世界的に人気を博しているマルーン5のアダム・レヴィーンだったり、モス・デフことヤシーン・ベイやシーロー・グリーンらショウビズ界で人気のアーティストが脇役で出演しているのも、そういう意味では何やら象徴的だ。
音楽を主に担当しているのはかつてニュー・ラディカルズの一員だったグレッグ・アレキサンダー。『ONCE ダブリンの街角で』で主役を演じたグレン・ハンサード(カーニー監督の盟友でもあったザ・フレイムズの元ヴォーカリスト)が提供したフォーキーでポップな曲も心に残るし、劇中のバンド・メンバーにチェロやヴァイオリン担当がいるのも今の時代のバンドっぽくて興味深い。あの場面の元ネタはこれ!というような楽しみ方ももちろんOK。音楽に触れる間口が一気に広がる包容力ある、でも頑固な主張を持った作品だ。
MOVIE INFORMATION
映画「はじまりのうた」
音楽がつなぐ予想外の出会いと、最高の「はじまり」の物語
監督・脚本 ジョン・カーニー『ONCE ダブリンの街角で』
音楽:グレッグ・アレキサンダー
キーラ・ナイトレイ『パイレーツ・オブ・カリビアン』/マーク・ラファロ『アベンジャーズ』アダム・レヴィーン『マルーン 5』/ヘイリー・スタインフェルド/ジェームズ・コーデン/ヤシーン・ベイ 『モス・デフ』/シーロー・グリーン/キャサリン・キーナー/他
◎2/7(土)よりシネクイント、新宿ピカデリー他 全国ロードショー
配給:ポニーキャニオン (2013 年 アメリカ 104 分)