ユーラシア大陸最深部で輝くバイカル湖沿いに東西に伸びるブリヤート共和国。旧ソ連邦を構成したこの神秘の国で生まれ育ち、NYタイムスで「シベリアのビョーク」と評されるなど近年欧米で注目されているのが、先日初来日公演をおこなった女性歌手ナムガル・ルハサラノワだ。ブリヤートの伝統音楽をベースにロック的アレンジを加えたサウンドは、隣接するモンゴルやトゥヴァの音楽との類似点も多く、彼女のバンド「ナムガル」でも、ブリヤートの撥弦楽器チャンザの他、馬頭琴や琴のヤタガなどモンゴル系民族楽器が用いられている。そして歌は、大草原をわたる風のように朗々と天高く舞い上がる。ちなみにナムガルとはチベット語で「白い雲」という意味。聞けば彼女、実際に遊牧民の子として育ったのだという。
「モンゴルとの国境近く、周りには広大なステップが広がる小さな村で1965年に生まれた。父は音楽好きで、いつも自宅で民謡を歌っていた。祖母も羊の毛を紡ぎながら民謡を歌い、私に教えてくれた。それらが私の音楽の土台になっている」
ナムガルが幼少時のソ連時代は、アマチュア音楽家の公演活動が盛んで、彼女もコーラスに参加したり、友達とデュオを組んで歌ったりしていたという。そして、地元の音楽大学でヤタガを学んだ後、ブリヤート交響楽団の専属歌手になったが、歌っていたのは民謡ではなく、主にブリヤートのポップ・ソング(西洋的メロディにブリヤート語の歌詞が乗ったもの)やソ連風フォークロアだった。
「ソ連時代は、純粋な民謡ではなく、官製のソ連風フォークロアが大きな地位を占めていた。立ち姿からしてロシア民謡に無理やり似せた感じのもの。もちろん私にはつまらなかった。私が祖母たちから習った純粋な民謡が美しいものとして改めて見直されるようになったのは、やはりソ連崩壊後のこと。その傾向は加速的に強まってゆき、現在は衣装とかダンスなども含めて、特に若い人たちの間での人気は高い」
その後ナムガルは、モスクワの名門校グネーシン音楽アカデミーで改めて歌を学び、卒業後に結成したのが、現在の「ナムガル」の前身バンドだ。彼らは過去2枚のアルバムを発表しており、日本ではその編集盤『ステップの遊牧民』が出ている。
「日本の観客はブリヤートと波長が似ている。感情をわーっと全部表に出さないで、内側から熱くこみ上げてくるような感じ。中国人とも朝鮮人ともかなり違う感じ。だから今回は、地元で歌っているような緊張感があり、それが逆にうれしかったわ」
身のこなしや口調の柔和さが印象に残る女性である。