
今年4月に最新作『Songbook』をリリースしたシンガー・ソングライター、ミア・ドイ・トッドの来日公演が6月10日(金)にパークホテル東京 アートラウンジで開催される。スコット・ヘレンやホセ・ゴンザレス、カルロス・ニーニョやミシェル・ゴンドリーといった人気ミュージシャン/著名人ともコラボを重ねてきたLAシーンを代表する歌い手が、今回はアコースティック・セットで登場。開放感のあるホテル・ラウンジで、レイドバックした心地良い歌声を満喫できるはずだ。そんな彼女のキャリアは90年代後半からスタートしており、サウンドの変遷を重ねながら上質なアルバムを多数リリースしてきた。今回は来日を記念して、ミアの活動を長年追いかけてきた音楽評論家の渡辺亨氏に、その数奇な歩みを改めて紹介してもらった。 *Mikiki編集部
2002年にUSコロムビアからリリースされたミア・ドイ・トッドの本邦初上陸盤『The Golden State』には、“Hijikata”という彼女の自作曲が収められている。日本語で表わすと〈土方〉、“Hijikata”は土方巽(ひじかたたつみ)へのオマージュだ。土方巽は、独自の暗黒舞踏を確立した舞踏家/振付師/演出家。アントニー&ザ・ジョンソンズ『I Am A Bird Now』(2005年)のジャケットを飾っている舞踏家の大野一雄は、この土方巽に影響を与えた一人で、2人はコラボレーションによる公演を行ったこともある。
ミアの母親は日系アメリカ人で、父親はアイルランド系アメリカ人。彼女は75年に、この両親の間にLA近郊のシルヴァーレイクで生まれ、土井美亜という日本名も持っている。自分が日本人の血を引いているからといって、日本の芸術文化、ましてや舞踏(Butoh)に興味を持つとは限らない。しかし、ミアはわりと早い時期からアジアの芸術文化に興味を持っていたようで、コネチカット州にある名門イェール大学で東アジア学を専攻している。イェール大学の図書館は全米2位の蔵書数を誇り、日本に関する文献や日本語の文献も豊富だ。
ミアは大学在学中から独学でマスターしたギターで曲を作り、地元の小さなクラブやコーヒーショップで歌いはじめた。そして、LAに戻ったあとの97年にクリスマス・レコーズというインディー・レーベルからアルバム『Ewe And The Eye』をリリースした。その後98年にミアは来日し、日本で約1年間舞踏を学んでいる。『The Golden State』のリリースに合わせてUSコロムビアが作成したプレスシートには、〈大野一雄と田中泯(たなかみん)に師事した〉と書かれていたので、東京にある大野一雄舞踏研究所で舞踏を学んだのだろう。
ミアが音楽活動に本腰を入れはじめたのは日本から帰国後のことで、99年にセカンド・アルバム『Come Out Of Your Mine』をリリース。2001年には、シティ・ゼン(City Zen)という自主レーベルから3作目『Zeroone』をリリース。この『Zeroone』には“Hijikata Tatsumi”という曲が収められているが、これは“Hijikata”のオリジナル・ヴァージョンだ。ミアの存在はインディー・ロックのシーンで徐々に広まり、やがて彼女はメジャーのコロムビアと契約するに至った。そのメジャー第1弾が前述の『The Golden State』で、収録曲はすべてミアの自作。ただし“Hijikata”をはじめ、インディー・レーベルからリリースされた楽曲のリメイクが半数以上を占めている。つまり『The Golden State』は、これ以前の活動の集大成といった性格が強い。
『The Golden State』にはミッチェル・フルームとイヴ・ボーヴェ、そしてミアの3人がプロデューサーとしてクレジットされている。ミッチェルは、主にエンジニアのチャド・ブレイクとチームを組んで、ロス・ロボスやエルヴィス・コステロ、スザンヌ・ヴェガ、チボ・マットなど数々のアーティストを手掛けてきたプロデューサー兼キーボード奏者。90年代~2000年代にかけて、もっとも先鋭的だったプロデューサーの一人だ。そしてイヴ・ボーヴェは、かつてアトランティックのA&Rマンとして、リイシュー・アルバムに加えて、マデリン・ペルーやオル・ダラ、ジェイムズ・カーターなどの作品も手掛けていた人物。アトランティックからリリースされたミッチェルのソロ・アルバム『Dopamine』(98年) も彼の仕事である。こんなイヴがコロムビアのA&Rマンとして同レーベルにスカウトしたのが、ミア・ドイ・トッドやバッド・プラス、デレク・トラックス・バンドだ。
『The Golden State』は、残念ながらレコード会社が期待したほどのヒットにならなかった。ただし、清楚なヴォーカルとギターの弾き語りを基調としたフォーキーなスタイルでありながらも、ポスト・ロックの音響系に近しく、しかも魅惑的なエキゾティシズムを漂わせた独特の作風は、この時点である程度確立されている。同作の日本盤ライナー・ノーツで僕が引き合いに出した唯一のアーティストは、アルゼンチンのフアナ・モリーナだったと書けば、いかにミアがこの当時から異彩を放っていたかということが伝わるはずだ。
この『The Golden State』までを第1期とするなら、通算5枚目のアルバム『Manzanita』(2005年)以降は第2期と言っていいだろう。『Manzanita』を境に、ミアはタウン・アンド・カントリーのジョシュ・エイブラムスや、ヴィオラ兼ヴァイオリン奏者のミゲル・アットウッド・ファーガソンなどと知り合い、ビルド・アンド・アーク周辺のミュージシャンを中心とした新しい人脈を築いていく。
ミアとミゲルに加えて、カルロス・ニーニョもプロデュースに名を連ねている『GEA』(2008年)は、その最初の大きな成果だ。このアルバムで注目すべき点は、キューバの詩人アルマンド・スアレス・コビアンの詩に基づく“Esperar Es Caro”という曲が収められていること。ミアがどんなきっかけでこのキューバの現代詩人の作品に目をつけたのかわからないが、ラテン・アメリカへの眼差しは、『Cosmic Ocean Ship』(2011年)と『Floresta』(2014年)といった2枚の素晴らしいアルバムに引き継がれていく。
『Cosmic Ocean Ship』には、自作曲に加えて、ブラジルのバーデン・パウエル&ヴィニシウス・ヂ・モライスによる“Canto De Lemanja”と、チリのビオレータ・パラ“Gracias A La Vida”が取り上げられている。しかも、どちらも原語で歌われている。“Canto De Lemanja”は、バーデンとヴィニシウスによる歴史的名盤『Os Afro Sambas』(66年)に収録されている曲。〈人生よありがとう〉という邦題で知られる後者は、74年にジョーン・バエズが原語でカヴァーしたことから、アメリカでも広く知られている。が、この2曲の選曲には唸らされた。
『Floresta』は、サンパウロ・アンダーグラウンドでの活動で知られるブラジル人パーカッション奏者のマウリシオ・パウロなどと一緒にブラジル・ツアーをした際に、サンパウロで録音されたアルバム。サンパウロは、ブラジルでもっとも多くの日系人が住んでいる都市だ。『Floresta』はブラジル音楽のカヴァー・アルバムだが、これもまず選曲がすごい。ドリヴァル・カイミやカエターノ・ヴェローゾ、ミルトン・ナシメントなどの曲に加えて、ブラジル人で初めてアルゼンチンのアタウアルパ・ユパンキの詩に曲をつけた音楽家として知られるデルシオ・マルケスの“Segredos Vegetais”や、カンデイアのサンバ“Preciso Me Encontrar”が取り上げられているのだから。このような幅広い選曲だけとっても、『Floresta』は、アメリカ人によるブラジル音楽へのアプローチとしては、かなり画期的なアルバムと断言できる秀作だ。なお、コンピレーション『Red Hot+Rio 2』(2011年)には、前述した“Canto De Lemanja”に加えて、スウェーデン人のホセ・ゴンザレスとのコラボレーションによるロー・ボルジェスのカヴァーが収録されている。
ここまで述べてきたように、ミアは〈(アメリカ合衆国の)外部への視線〉を持ち合わせており、アジアやラテン・アメリカへの関心を自分の音楽活動に反映させてきた。そもそもカリフォルニアは西洋と東洋が出会い、さまざまな文化が混じり合う場所である。そしてLA周辺には、ヒスパニックやアジア系の人々がたくさん住んでおり、彼女自身が日系人なので、ヒスパニックや日本の文化に触れる機会は多いだろう。が、だからといって、ミアと同じような広い視座を獲得できるわけではないし、マルチカルチュラルな音楽を生み出せるわけでもない。換言すると、ミア・ドイ・トッドは、〈北半球のアメリカ〉と〈南半球のアメリカ〉、そして〈日本(東アジア)〉が交わる円の中にいる。この点がミュージシャンとしてのミアの最大の魅力でもあり、こんなアメリカ人女性ミュージシャンは他に思いあたらない。フアナ・モリーナのようにアルゼンチンやブラジル、あるいは欧州のラテンやアフリカ系ミュージシャンのなかには、彼女に近しい才媛が何人かいるけれど。

最新作『Songbook』は、ミアの夫でターン・オン・ザ・サンライトでの活動でも知られるギタリストのジェシー・ピーターソンや、トータスのドラマーであるジョン・ヘンダーソンなどの協力を得てLAで録音された、日本独自企画によるカヴァー・アルバム。ほぼ全編が欧米のロック~シンガー・ソングライターによる楽曲のカヴァーで、ジョニ・ミッチェルやネッド・ドヒニー、プリンス、TVオン・ザ・レディオなどのナンバーが、70年代ロックに通じるレイドバックしたバンド・サウンドに乗せて歌われている。ただし、ブラジル音楽のリズムやエレクトロニカの要素が採り入れられた曲もあり、これまでのアルバムとの連続性も随所に感じられる。
そんな『Songbook』には、日本のシンガー・ソングライターのカヴァーが1曲だけ含まれている。細野晴臣がプロデュースした、金延幸子のファースト・アルバム『み空』(72年)に収録されている“あなたから遠くへ”だ。この選曲はミアからの提案だというから驚かざるを得ないが、彼女は日本語が話せないにもかかわらず、きちんとした日本語で歌っている。ミアは6月10日(金)に東京で、一度きりのアコースティック・ライヴを行う予定だが、きっとこの“あなたから遠くへ”がひとつのハイライトとなるだろう。
“あなたから遠くへ”を聴いて、ふと思い出した。金延幸子は『み空』を録音した後、来日していたロック評論家のポール・ウィリアムズ(66年にロック雑誌「Crawdaddy!」を創刊した人物でもある)に見初められて、ひかり号のような速さで電撃結婚。『み空』がリリースされる前にアメリカへ移住してしまったのだ。何を隠そう、金延幸子とポール・ウィリアムズの間に生まれたのが、ミア・ドイ・トッドである……とプロフィールを捏造したくなった。
Mia Doi Todd Acoustic Live
@DJ PARK NIGHT presented by dublab.jp & rings
日時:6月10日(金)18:00~22:00
会場:パークホテル東京 アートラウンジ
共演:Elimori Duo(小西英理&森俊也)
DJ:AZZURRO、DJ Funnel、DJ Sato
料金:2,000円(1D別)
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