コラム

ミシェル・ゴンドリーやホセ・ゴンザレスも虜に! 来日迫るLAの歌姫ミア・ドイ・トッド(Mia Doi Todd)が紡いできた先鋭的なエキゾティシズム

ミシェル・ゴンドリーやホセ・ゴンザレスも虜に! 来日迫るLAの歌姫ミア・ドイ・トッド(Mia Doi Todd)が紡いできた先鋭的なエキゾティシズム

今年4月に最新作『Songbook』をリリースしたシンガー・ソングライター、ミア・ドイ・トッドの来日公演が2016年6月10日(金)にパークホテル東京 アートラウンジで開催される。スコット・ヘレンやホセ・ゴンザレス、カルロス・ニーニョやミシェル・ゴンドリーといった人気ミュージシャン/著名人ともコラボを重ねてきたLAシーンを代表する歌い手が、今回はアコースティック・セットで登場。開放感のあるホテル・ラウンジで、レイドバックした心地良い歌声を満喫できるはずだ。

そんな彼女のキャリアは90年代後半からスタートしており、サウンドの変遷を重ねながら上質なアルバムを多数リリースしてきた。今回は来日を記念して、ミアの活動を長年追いかけてきた音楽評論家の渡辺亨氏に、その数奇な歩みを改めて紹介してもらった。 *Mikiki編集部

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2002年にUSコロムビアからリリースされたミア・ドイ・トッドの本邦初上陸盤『The Golden State』には、“Hijikata”という彼女の自作曲が収められている。日本語で表わすと〈土方〉、“Hijikata”は土方巽(ひじかたたつみ)へのオマージュだ。土方巽は、独自の暗黒舞踏を確立した舞踏家/振付師/演出家。アントニー&ザ・ジョンソンズ『I Am A Bird Now』(2005年)のジャケットを飾っている舞踏家の大野一雄は、この土方巽に影響を与えた一人で、2人はコラボレーションによる公演を行ったこともある。

ミアの母親は日系アメリカ人で、父親はアイルランド系アメリカ人。彼女は75年に、この両親の間にLA近郊のシルヴァーレイクで生まれ、土井美亜という日本名も持っている。自分が日本人の血を引いているからといって、日本の芸術文化、ましてや舞踏(Butoh)に興味を持つとは限らない。しかし、ミアはわりと早い時期からアジアの芸術文化に興味を持っていたようで、コネチカット州にある名門イェール大学で東アジア学を専攻している。イェール大学の図書館は全米2位の蔵書数を誇り、日本に関する文献や日本語の文献も豊富だ。

ミアは大学在学中から独学でマスターしたギターで曲を作り、地元の小さなクラブやコーヒーショップで歌いはじめた。そして、LAに戻ったあとの97年にクリスマス・レコーズというインディー・レーベルからアルバム『Ewe And The Eye』をリリースした。その後98年にミアは来日し、日本で約1年間舞踏を学んでいる。『The Golden State』のリリースに合わせてUSコロムビアが作成したプレスシートには、〈大野一雄と田中泯(たなかみん)に師事した〉と書かれていたので、東京にある大野一雄舞踏研究所で舞踏を学んだのだろう。

ミアが音楽活動に本腰を入れはじめたのは日本から帰国後のことで、99年にセカンド・アルバム『Come Out Of Your Mine』をリリース。2001年には、シティ・ゼン(City Zen)という自主レーベルから3作目『Zeroone』をリリース。この『Zeroone』には“Hijikata Tatsumi”という曲が収められているが、これは“Hijikata”のオリジナル・ヴァージョンだ。ミアの存在はインディー・ロックのシーンで徐々に広まり、やがて彼女はメジャーのコロムビアと契約するに至った。そのメジャー第1弾が前述の『The Golden State』で、収録曲はすべてミアの自作。ただし“Hijikata”をはじめ、インディー・レーベルからリリースされた楽曲のリメイクが半数以上を占めている。つまり『The Golden State』は、これ以前の活動の集大成といった性格が強い。

『Come Out Of Your Mine』収録曲“Spring”。ミシェル・ゴンドリー監督の映画「ムード・インディゴ うたかたの日々」(2013年)でも使われた

『Zeroone』収録曲“Hijikata Tatsumi”

『The Golden State』にはミッチェル・フルームとイヴ・ボーヴェ、そしてミアの3人がプロデューサーとしてクレジットされている。ミッチェルは、主にエンジニアのチャド・ブレイクとチームを組んで、ロス・ロボスやエルヴィス・コステロ、スザンヌ・ヴェガ、チボ・マットなど数々のアーティストを手掛けてきたプロデューサー兼キーボード奏者。90年代~2000年代にかけて、もっとも先鋭的だったプロデューサーの一人だ。そしてイヴ・ボーヴェは、かつてアトランティックのA&Rマンとして、リイシュー・アルバムに加えて、マデリン・ペルーやオル・ダラ、ジェイムズ・カーターなどの作品も手掛けていた人物。アトランティックからリリースされたミッチェルのソロ・アルバム『Dopamine』(98年) も彼の仕事である。こんなイヴがコロムビアのA&Rマンとして同レーベルにスカウトしたのが、ミア・ドイ・トッドやバッド・プラス、デレク・トラックス・バンドだ。

『The Golden State』は、残念ながらレコード会社が期待したほどのヒットにならなかった。ただし、清楚なヴォーカルとギターの弾き語りを基調としたフォーキーなスタイルでありながらも、ポスト・ロックの音響系に近しく、しかも魅惑的なエキゾティシズムを漂わせた独特の作風は、この時点である程度確立されている。同作の日本盤ライナー・ノーツで僕が引き合いに出した唯一のアーティストは、アルゼンチンのフアナ・モリーナだったと書けば、いかにミアがこの当時から異彩を放っていたかということが伝わるはずだ。

『The Golden State』収録曲“Like A Knife”

ミアがフィーチャーされたデンテルの2001年作『Life Is Full Of Possibilities』収録曲“Anywhere Anyone”。神秘的な歌声は同時代のエレクトロニカ系アーティストにも愛された
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