METでのコム デ ギャルソン展——世界に向かって扉が開いた
ニューヨークのメトロポリタン美術館コスチューム・インスティテュートでのコム デ ギャルソン展が5月4日についに幕を上げた。ついに、と書いたのは、去年の9月初めにこのニュースを見て以来、どんな展覧会になるのか、妄想をふくらませてきたからである。なにしろ、日本国内では、美術館でのコム デ ギャルソンの個展はまだ一度も行われていないのだ。もっとも美術館で開催するのにふさわしいファッションデザイナーなのに、どうして、とコム デ ギャルソンを知る人なら思うだろう。一方に日本の美術館の体質の問題があるかもしれないし、一方にコム デ ギャルソンというブランドの特異性もあり、企画がまとまらなかったのだろうけれど、メトロポリタン美術館では、それが実現した。
キュレーションは私が勝手に思い描いていた川久保玲本人ではなく、メトロポリタン美術館の主任キュレーター、前任のハロルド・コーダの後を継いでこのポストに就任して2年目1966年生まれのアンドリュー・ボルトン(Andrew Bolton)により、“Rei Kawakubo/Comme des Garçons:Art of the In-Between”(川久保玲/コム デ ギャルソン:間の技)と名付けたコム デ ギャルソンの1981年から2017年までのコレクションから抜粋した140体の服が展示されている。それは、これまで折につけて川久保が拒否してきた“回顧展=retrospective”とは異なるのだろうか。日本のファッションウェブサイト「The Fashion Post」に掲載されたインタヴュー(2017年4月21日掲載)で、アンドリュー・ボルトンは、「そもそも彼女は回顧展なんてやりたい人ではなかった。だから、正直いって実現できるとは思ってなかったんです。彼女にとっては自分の過去を振り返ることも、そして作品が解釈されることも全く意味がない、だから僕の提案はひとつも受け入れられなくて、完全に拒絶されたように感じたこともありました。彼女は生まれながらにして究極のパンクで常に挑発的な人でもあるから、企画を進めていく上ではお互いのコンフォートゾーンに踏み込むような場面もありましたね」と答えている。
このボルトンの発言はそのまま、かつて雑誌『high fashion』や『装苑』の編集者時代にコム デ ギャルソンの特集を企画するとき、私がいつも突き当たった当惑と重なる。過去の作品を回顧されることも、作品を解釈されることも、作品を批評されることもコム デ ギャルソンは望まない、と何度も聞かされた。そこにあるのは、ファッション・メディアに対する不信感なのだろうか。あるいは、ファッションというのは、常に動き、流れていくものだから、過ぎ去ったものは、すでに古い。ファッションの本質は、生きのいい状態でしか理解できないもので、回顧展なんて冗談じゃない、というメッセージなのだろうか?
ともあれ、アンドリュー・ボルトンは、世界で最も手強いデザイナーの展覧会を現実のものにした。
実際にニューヨークに行っていない私にとって、本論をまとめるためには、ウェブにせよ、紙媒体にせよ、メディアからの情報が欠かせないのだが、その辺を解説した記事には一向に出会えずにいた。大抵は、コム デ ギャルソンがMETで展覧会を開催しているが、ファッション部門で現存デザイナーが取り上げられるのは、1983年のイヴ・サンローラン以来、オープニングレセプションには、ファッション界、アート界、芸能界の重要人物が続々と訪れたというような記事ばかり。
そんな時、待ちわびていた展覧会カタログの海外便がようやく届いた。これを読んで、いろいろな謎が消えていった。
まず、この展覧会が開かれたきっかけは、川久保玲が、自分が亡くなる前に、コム デ ギャルソンの仕事を、美術館での展覧会という形できちんと後世に残したいという気持ちがあり、それをできれば、ファッションやデザイン専門の美術館ではなく、一般の美術館で開催したいと考えたことが始まりだということ。それがどうしてMETだったのかは書かれていない。METの権威や影響力も確かにあるかもしれないが、川久保とボルトンとの間に、リチャード・マーティン、ハロルド・コーダという人物を置いてみると、必然性が見えてくる。1987年、コム デ ギャルソンの名前が、欧米のファッション界を震撼させ始めた時代、アンドリュー・ボルトンにとっては師のハロルド・コーダのさらに先輩の美術史家リチャード・マーティン(1947~1999)は、在籍していたFIT(ニューヨーク・ファッション工科大学)の美術館で、「Three Women:Madeleine Vionnet,Claire McCardell,Rei Kawakubo」というおそらくコム デ ギャルソンを取り上げた初めての、そしてエポックメイキングな展覧会を企画した。時代も国籍も異なる3人のデザイナーを、衣服によって女性を解放するという視点を持った作家として並置してみせたことで川久保玲は、歴史的な評価を得た。リチャード・マーティンはその後METに移り、METで、その晩年(52歳で逝去)を旺盛なキュレーション活動で閉じたのだった
ボルトンにとっても、コム デ ギャルソンの展覧会というのは、別格のものであったはずで、それだけに川久保のオファーに応えるべく、無理難題をかいくぐって、開催に到りついたのだろう。
このカタログが画期的だと思う最大の理由は、この展覧会のために世界的な写真家によって撮り下ろされた写真が惜しげなく掲載されていること以上に、寡黙とされる川久保玲の言葉がふんだんに掲載されていることだ。コム デ ギャルソンの広報室の面目躍如の感があるが、パリコレクションにデビューした1981年以来、国内外の様々な新聞、雑誌ほかに掲載された記事や川久保のインタヴュー記事をほぼもれなくファイリングしてきたものを、ボルトンは最大限に活用したのだ。作品については、シーズンごとに欧米のメディアが川久保のコメント付きでレヴューを掲載する。そこから川久保の言葉を抜き出し、作品写真に添える。かくして、新たにインタヴューを取ることなく、その時代ごとの言葉を集めると総体としては寡黙どころでない雄弁な解説、ほとんど「語録」がうまれる。年譜についても川久保の解説という形になっている。これらは本人が語っているのだから「解釈」ではない。なんという頭の良さだろう!
本書には、合わせて、川久保とボルトンとの対話と、冒頭には、キュレーターとしてのフォーマルな解説(これはどう見ても解釈であるが)が掲載されている。
対談の中で、川久保は「Body Meets Dress,Dress Meets Body」(いわゆるコブドレス、1997春夏)は、コレクションの中でももっとも不満が少ないものの一つだった、と打ち明けている。その理由は、当時見たことのない新しさを提案できたからだという。
この「Body Meets Dress,,,,」が発表された当時は、久々にコム デ ギャルソンが爆弾を仕掛けたような反響があり、これを美しいと見るか、異様と見るかはその後もファッション界の話題になった。フォルムの特異性から、街中にこのファッションを身にまとった人が溢れることはなかったが、これを即座にダンス『SCENARIO』(1997)の衣装に取り入れたマース・カニングハムの影響力もあり、このコレクションを機に、コム デ ギャルソンは、アートや建築など他分野からもさらに強く関心を持たれるようになっていった。見たことのない新しさは、アートに通じる力を内蔵する。
MET本館の中の衣装研究所の真っ白い空間で行われている展覧会でも、着飾るための服を超えた、力を秘めた作品に出会えることだろう。川久保自身が考案した、円柱形を中心としたいろいろなフォームの小建築を集めて会場は構成され、それぞれの中で、年代順ではない、キーワード毎に再編集されたコレクションがいわば動かないショーを披露する様は壮観だ。キーワードは9つ、Absence/Presence、Design/Not design、Fashion/Anti-Fashion、Model/Multiple、High/Low、Then/Now、Self/Other、Object/Subject、Clothes/Not Clothes という対立概念を組み合わせたものになっている。この概念の再編集によって、コム デ ギャルソンというブランドは、時代とともに流れ古びていくブランドではないことが、驚きとともに立ち上ってくる。白亜の劇場のような会場を照らし出すのは、陰影のないまばゆい蛍光灯群だ。この蛍光灯も初めてショップを作って以来川久保が好んで使う照明だ。
常に、「作った服=作品を通して見てほしい」と語り、インタヴューを固辞することの多かった川久保玲であるが、アンドリュー・ボルトンという理解者の協力によって、その閉じたように見えた世界の扉が少し開いた。そこから、コム デ ギャルソンの全体性が感じられるに違いない。
EHIBITION INFORMATION
『Rei Kawakubo/Comme des Garçons Art of the In-Between』
期間:開催中~9/4(月)まで
会場:メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
www.metmuseum.org/ReiKawakubo
川久保玲(Rei Kawakubo)
1942年生まれ。ファッションデザイナー。1973年にコム デ ギャルソンを設立し、現在に至るまで代表取締役社長を務める。現在、ニューヨークのメトロポリタン美術館の服飾部門コスチュームインスティテュートが行う特別展『Rei Kawakubo/Comme des Garçons Art of the In-Between』が開催されている。存命のデザイナーをテーマにしたのは、1983年のイブ・サンローラン展以来2人目。
寄稿者プロフィール
西谷真理子(Mariko Nishitani)
1950年兵庫県生まれ。1974年東京都立大学卒業後、文化出版局に入社。1980-82年パリ支局勤務。「装苑」「ハイファッション」他に在籍し、2011年退職。編著に『感じる服 考える服』(以文社)『ファッションは語りはじめた』『相対性コム デ ギャルソン論』(ともにフィルムアート社)。2013年より、京都精華大学ポピュラーカルチャー学部ファッションコース特任教授。