デイヴィッド・トゥープ自伝
自身の半生をタイムトラヴェルする
デイヴィッド・トゥープは、60年代後半からアシッド・フォーク、実験音楽、即興音楽、フィールド・レコーディング、サウンド・アート、ダブ、アヴァン・ポップ、アンビエント、エレクトロなどの広範にわたる音楽/音響ジャンルという、さながら〈音の海〉を、広く、深く、探索してきた英国の音楽家、 批評家、キュレーターである。
最初に日本で彼の名前が広く知られるようになったのは、ブライアン・イーノが1975年に設立した実験音楽レーベル〈オブスキュア(Obscure)〉からリリースされた、マックス・イーストレイとのスプリットアルバム『新しい楽器と再発見された楽器(New And Rediscovered Musical Instruments)』(1975年)によってである。また、デイヴィッド・カニンガムによるフライング・リザーズにスティーヴ・ベレスフォードとともに参加したり、自身のレーベル〈クォーツ(Quartz)〉からフィールド・レコーディングや実験音楽作品をリリースしたりなどによって、80年代の初頭にトゥープのインタヴューや紹介記事が雑誌に掲載されたりもした。そうしたことから、トゥープは、イーノやカニングハムといった音楽家たちと同様のインテリジェンスをもった音楽家のひとりとして知られるようになったと言えるだろう。
その後、1984年に最初の単著「Rap Attack」を上梓してから10年余を経て、1995年に著述家としてさらに注目を集めるようになる。それが「Ocean Of Sound: Aether Talk, Ambient Sound And Imaginary Worlds」であり、同時に発表されたトゥープによって編纂された同名のコンピレーション・アルバムとともに、その後のポピュラー音楽を起点とするあらゆる音楽への接続と混交を誘発する、新しい音楽の聴き方を示唆する契機となった。そうした著作によって現在まで、音楽家としても批評家としても、トゥープの存在は確固たるものとなっていると言えるだろう。
以後も、トゥープは多くの著作をものしているが、現在翻訳された著書は「Ocean Of Sound」(「音の海—エーテルトーク、アンビエント・サウンド、イマジナリー・ワールド」 水声社、2008年)のみとなっている。これまでもトゥープの著作が、翻訳の話が持ち上がりながらも実現してこなかったことには、トゥープの文章を日本語に翻訳することが非常にむずかしいことがある。しかし、学際的な専門的語彙が頻出する、その情報量はその多様な音楽活動とおなじく、トゥープの博覧強記ぶりをよく表わすものであり、それこそがトゥープの著作の魅力でもある。
トゥープは、自宅に日本風の庭園を作ってしまうほどの親日家としても知られるが、舞踏家の石井満隆との共演など、70年代の初期に始まる日本人アーティストとの共演も現在まで続くものである。あるいは、80年代にはホーキ・カズコを中心にした在英日本人によるグループ、フランク・チキンズのプロデュースなど、日本との関係には縁深いものがある。それは、たとえば雅楽を聴き日本の音楽に触れたことから発展して、庭園や食事、80 年代の文化などにまで一貫して関心を持ち続けていることにも表れている。特に70年代の初頭にイギリスに来た雅楽のグループの演奏を観たことはとても重要なきっかけになったと言う。近年でも、中島吏英や池田謙といった若い世代のアーティストとの共演も積極的に行なっている。
現在トゥープは、ロンドン・カレッジ・オブ・コミュニケーションで教授として即興についての実技を受け持っている。曰く、即興を教えるのはとても難しいことで、意識しているのは、即興が生まれるような状況を作ること。即興を行なうことは、みんながそれぞれのやり方を自分で見つけるしかない。彼は、どういう風にそのやり方を見つけられるかをガイドする。たとえば、紙を触ったり擦ったりしながら時間について意識してみたり、といった人生にとっての基本的なものに気づきを与えることなど。ヴァイオリンを学んだ人は、ヴァイオリンを演奏することにとらわれすぎてヴァイオリンという楽器そのものがどういうものか考えるのをやめてしまう。しかし、そういう演奏することのもっと基本的なところに立ち返ってみることが大事なのだと言う。
今回の来日もまた、東京藝術大学(2017年4月14日)の招きによる、特別講演〈聴取にもとづく実践の境界〉のためのものだった。また、ロンドン芸術大学に学んだ実験音楽家、サウンド・アーティストの北條知子(講演の企画者でもある)とラヘル・クラフトとのパフォーマンスを行なった。
その講演で、トゥープは薄葉紙を観客に配布し、それを各自が音を発する媒体として自由に音を出すことを促した。彼は「ちょっと前に娘から孫が銀紙で遊んでいる映像がたまたま送られてきたんです。私が紙でそういうことをしているのを知らずに送ってきたんですが」と言って、じつは観客もまた赤ん坊のように純粋に音を出すことを楽しむことで、たとえば、自分が身につけた音楽的なスキルや習慣を忘れさせるような時間をもたらしたのだった。