コラム

金沢21世紀美術館〈アイ・チョー・クリスティン 霊性と寓意〉 日本の美術館での初個展を開くアジア女性作家が描く世界

Oil on canvas 170×200cm ©Ay Tjoe Christine, courtesy of Ota Fine Arts

ある時代の転換
~日本の美術館での初個展を開くアジア女性作家が描く世界

 4月28日から金沢21世紀美術館でスタートする〈アイ・チョー・クリスティン 霊性と寓意〉展は、ある時代の転換に接する美術展かもしれない。

 アイ・チョー・クリスティンは1973年生まれの女性。インドネシアの西ジャワ州バンドン出身、中華系インドネシア人の商家に生まれ、バンドン工科大学の美術学部を卒業後はテキスタイル・デザイナーとして活動した。アーティストとしてのキャリアを本格的にスタートしたのは2000年頃。初期には大学で学んだ版画制作の技術を反映させた銅版画やドローイングを手がけ、やがて色彩豊かな油彩画、彫刻、インスタレーションも発表するようになる。

 現代美術を扱う海外の美術館と比較したとき、日本の美術館がミッドキャリアのアーティストの個展を行うことはまだまだ稀だ。ましてそれが女性作家、さらにアジア圏の作家となればチャンスはさらに限定される。だから筆者も、アイ・チョーが金沢21世紀美術館で個展を行うとはじめて聞いたときはとても驚かされた。しかしながら、ASEAN(東南アジア諸国連合)の経済が急速に成長し、中国を中心とした強固なネットワークを築きつつある現在を鑑みれば、この大抜擢もけっして意外とは言えないだろう。

 近現代の美術は、各時代の社会状況と強く紐付きながら勢力図を目まぐるしく塗り替えてきた歴史を持つ。例えば芸術文化の中心であったフランス・パリは、2つの世界大戦を経てその座をアメリカ・ニューヨークに奪われた。1960年代の経済成長期には、草間彌生やオノ・ヨーコら前提的な美術家たちが、日本からニューヨークへと進出し、アメリカ美術界に新風を起こした。そういった芸術動向のさまざまな変化を経て、まさに今はアジアが台頭する時代、そして #me too 運動が象徴する女性の時代なのだろう。

 これに近い急速な状況の変化を、おそらくアイ・チョーは身をもって体験してきたはずだ。具象的で政治的なメッセージを直裁に訴える傾向の顕著なインドネシアのアートシーンで、個人的な記憶や身の回りの出来事を題材にする彼女は少数派のアーティストだったという。1965年に起きた50万人を超える共産党系住民の大虐殺やスハルト元大統領による独裁体制など、暗い時代を長く経験してきた同国において、90年代以降の芸術が扱う主題が政治性を強めるのは必然的な流れだった。だからこそ、色鮮やかな魚、アメリカ産のアニメキャラクター、顔文字などを画面一面に散りばめた軽やかで柔らかなアイ・チョーの世界観はすぐには受け入れられなかった、ということだろう。インドネシアや周辺国での芸術受容の状況が変化しつつあることも、時代が転換する証なのだ。

 ここまでは、アイ・チョー・クリスティンというアーティストの歩みを、インドネシア現代史や芸術動向の転換点と照応させて紹介してきた。しかし、転換への意識はけっして未来にのみ向かっているのではないことを付け加えておきたい。2010年に制作された断頭台を模したインスタレーション《Lama Sabakhtani #01》は、『マタイ福音書』にある「なぜわたしを見捨てたのか(レマ、サバクタニ)」から名付けられている。おそらくここにはインドネシア社会における中華系インドネシア人の特殊な境遇が反映している。1945年の独立を経て、同国は「多様性のなかの統一」を謳い、誰もが等しくインドネシア人として生きることを国是とした。しかし、そこにはアイ・チョーが属する華人コミュニティーの居場所はなかった。華人系企業が国内の経済成長を牽引しているにもかかわらず、人々は政治活動から排除され、ときに命の危険にさらされることもあった。

 アイ・チョーが作品を通して眼差しを向ける転換とは、ながらくインドネシア国内では触れられることのなかった、もう一つの暗部でもある。東南アジアのみならず、欧米にも広がる華人のネットワークが国家を超えた新たな経済圏を構築するなかで、時代は大きく変化している。それはアーティスト個人による歴史の批判的読み替えとしてのみならず、よりダイナミックな時代の胎動と通じているのだ。

 


アイ・チョー・クリスティン(Ay Tjoe Christine)

1973年、バンドン(インドネシア)に生まれる。1997年バンドン工科大学を卒業。テキスタイルデザイナーとして働いた後、2000年頃から創作活動を開始した。以降、インドネシアをはじめとする東南アジアで定期的に個展を開催する一方、ニューヨーク、ロンドン、ベルリン、北京などの国際展にも多数出品している。2001年、フィリップ・モリス・インドネシアン・アートアワードで入賞したのを皮切りに、2009年には香港アートフェアにおいてSCMPアート・フューチャー・プライズを受賞、また2015年にはプルデンシャル・アイ・アワード(絵画部門)を受賞するなど、着実にアーティストとしての地歩を築いている。

 


EXHIBITION INFORMATION

『アイ・チョー・クリスティン 霊性と寓意』
○4/28(土)~8/19(日)
休場日:毎週月曜日(ただし4/30、7/16、8/13は開場)7/17
会場:金沢21世紀美術館 展示室7~12、14

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