ニュー・シンプリシティ、その音の姿。

 アレクシス・フレンチは「音楽を聴くと、その姿が見える」という。不思議な共感覚の持ち主のようだ。

 身近に音を聴いて色を感じるという人がいた。音楽が流れると「今、赤、黄、緑‥。」とまるで目の前に花が開いていくように音楽を聴いている。誰とも共有できそうもないその感覚の不思議さを羨ましく思うと同時にその孤独に侘しさも感じた。彼も音楽を聴くたびに目にした音の姿を楽しみ、しかし、自分にしか訪れることのないそのヴィジョンに孤独を感じていたのではないだろうか。

 だから彼の音楽を聴くと、私には決して像を結ぶことがない音の姿の方に向かって音が波紋のように広がっていくように感じるのだろう。湖に落ちた水滴の波紋が岸に届いたかどうかを誰も見届けることができないのと同じように。隣り合わせた和音の響きの反射が、つぶやきのような短いメロディを輝かせる。そんな印象的な語り口の音楽を書き爪弾く詩人のような作曲家はすでに2006年の『ピアノ・ダイアリーズ』以来、たくさんのアルバムを発表してきた。

ALEXIS FFRENCH Evolution ソニー(2018)

 今回の『Evolution(進化)』にも収録された作品それぞれに、詩的な、哲学的な内省的なタイトルがつけられている。《目覚め》、《赦し》。その文学的な身振りに多少戸惑う人もいるかもしれない。しかしたとえば《明日への詩》を聴いてあなたが思い出すのは、サミュエル・ベケットの「幸せな日々」という戯曲、老夫婦の晩年を描いたコメディのことかもしれない。不条理な設定にベケットが描いたのは夫婦の晩年に現れる幸せな日々の思い出だったーーというように、シンプルなセッテイングの音楽と曲名に記された短い言葉が、その言葉のもつとても深い記憶を響かせる。

 音楽の姿をたくさん見てきたアレクシスがこのアルバムで進化させたのは、音楽の姿なのだろうが、わたしにはその姿は見えない。柔らかいホールの響きに包まれたアレクシスという人の形をした、美しい音楽だけが通り過ぎていく。