©2019 YOKOGAO FILM PARTNERS & COMME DES CINEMAS

恋愛の闘争性によってヒロインにもたらされる亀裂が、現代日本社会における女性の「脆弱性=傷つきやすさ」を浮き彫りにする。

 屋外からガラス越しに内部をうかがい、一瞬、逡巡するようなしぐさを示すことで、映画を見る者にほんの少しの違和感を残し、ひとりの中年女性が美容院の扉を開く。はじめてその店を利用する彼女は予約の際にある男性美容師を指名しているらしい。鏡に向かって座る彼女を捉えるショットでは、以前にお会いしてましたっけ……と当初は顔も見えないままの美容師から訊ねられるが、死んだ主人とあなたが同じ名前だからついつい懐かしくて、と女性の応えは本気とも冗談ともつかない。美容師からも称えられる長くて美しい黒髪を明るいブラウンに染める決意をしたのは、以前の仕事を辞めて心機一転したいからだ、との彼女の発言に呼応して、認知症も患うらしき老人女性をかつての彼女が訪問看護する姿も短く映し出されるが、それは単に市子という名の女性のかつての仕事を観客に示すための便宜上の挿入ではなく、この後に展開される本作全体の緻密な構成を予告するものである。

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 この最新作のスリリングな構成に関して深田晃司監督は、チェコ出身のノーベル賞作家であるミラン・クンデラの小説『冗談』を参考にしたと語り、僕らは周到に仕掛けられたサスペンスをもはらむ映画的戦略の渦中に一気に引きずり込まれる。すなわち本作では、市子が訪問看護師として働いていた「過去」と、何らかの理由で――その理由を「過去」のパートがじわじわと明らかにする――その職を辞さざるを得なくなって以降の「現在」が複雑に交錯するかたちで、しかし基本的には時系列順に並行して語られることになるのだ。市子が冒頭のシーンで髪型を変え、染めるのは、同じ女性(市子)がヒロインとなる二つのパートの区別を明確にする経済性をも意識してのことだろう。しかしそれでも、映画を見る僕らはある種の当惑や不気味さの印象に苛まれることになる。髪型やその色で峻別可能になった「過去」と「現在」の市子は本当に同じ一人の女性なのだろうか? 「過去」の市子は生真面目すぎるほどに職務に忠実で、性的なニュアンスをほとんど欠いた女性だが、「現在」の彼女は少し異常な行動や表情も垣間見せる。あるいは、先に言及した、やや存在感の希薄な男性美容師にある狙いをもって接近する「現在」の彼女は、どこかファム・ファタール(宿命の女=悪女)めいた雰囲気を纏い、つまりは性的な要素も濃厚な女性である。僕らは一本の映画(物語)において、同じ顔(=身体)ではあるが別個の人格を抱えた二人の女性と出会うのであり、要するに本作は、キム・ノヴァックが変則的なかたちで一人二役を演じたヒッチコックの偉大な映画『めまい』に連なる映画史上の系譜に自らを明確に位置づける。そして僕らはそれらの映画から自身の存在を根底から揺るがしかねない疑惑に直面するのだ。同じ顔や身体の人間が一つの人格(アイデンティティ=キャラクター)に収斂されるという僕らの「常識」に果たして根拠はあるのだろうか……と。

 ある種の歪んだ恋愛が市子の「過去」と「現在」に亀裂をもたらす。どうして人は愛する存在であるはずの他者を時に残酷なまでに傷つけるのか? ほぼ誰もが経験済みのことだろうが、僕らは恋に落ちた他者を自分のものにしたいと望む。他の誰でもなく、自分だけのものになって欲しいと願う。そこからそもそも恋愛は歪んだものとならざるを得ないのかもしれない。恋愛の対象を自分の所有物とし、支配下に置くこと、つまりは相手の自由の剥奪を僕らは望まざるを得ないのだから……。こうして恋愛は支配と被支配をめぐる生存闘争の様相を帯び、本作が僕らを戦慄へと導く要因のひとつに、恋愛における闘争的な局面が赤裸々となることが挙げられる。

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 だからこそ、ヒロインの市子は深田監督の代表作『淵に立つ』でも際立った存在感を示した筒井真理子によって演じられる必要があった。実際、本作での筒井ほど、vulnerability(ヴァルネラビリティ)の概念をスクリーン上から発散する存在も稀ではないか。「脆弱性」や「傷つきやすさ」と一般的に訳され、近年のIT会社では外部からのウィルスなどの攻撃に対するセキュリティ上の脆弱さ、といった意味合いで使われることも多い概念である。むしろ自立への意志が旺盛な働く女性であるにもかかわらず、だからこそ、本作での市子(筒井)は「脆弱性=傷つきやさ」そのものであり、誰の庇護も受けることができない。決して気弱な女性ではない市子は、それでもいったん外部から攻撃を受けると脆弱で傷つきやすく、だからさらなる攻撃を誘発し、前述の恋愛感情に潜む支配欲を最大限に引き出す結果を招きかねない存在なのだ。しかし、そんな市子が抱える脆弱性は、彼女個人の問題を超えて女性の活躍が高らかに謳われる現代日本社会にそれでも残存するであろう女性の立場の脆弱性を僕らに想起させるのではないか。「強い女性」を描く映画こそフェミニズム映画であると誤解してはならない。大胆かつ緻密な映画的仕掛けに貫かれた本作は、ある女性が抱える脆弱性や傷つきやすさ、そこから導き出される攻撃誘発性を主題に据え、つまりはあえて「弱い女性」を描くことで生み落とされた現代日本のフェミニズム映画の傑作としても驚嘆に値するのだ。

 


「よこがお」
監督・脚本=深田晃司
音楽=小野川浩幸
出演=筒井真理子 市川実日子 池松壮亮/須藤蓮 小川未祐/吹越満
yokogao-movie.jp
7/26(金)より、角川シネマ有楽町、テアトル新宿他全国ロードショー