「ここ」と「よそ」を同時に生きる
そこはダムの放水路のあたりなのだろう、バカでかい空間が広がるど真ん中にひとりの男が立っていると、放水口から大量の水がドバドバと放出されて辺りは水であふれかえり唖然とする。いったいこのシーンはどうやって撮ったのか、ハリウッド大作なら当然CGということになるだろうがたかだかひとりの有名アーティストの、いわば個人プロジェクトの作品である。そこまでのCGができるはずもなく、しかし本物のダムだったとしたら公共の施設がこんな危ない非常識なことをさせるはずはない。ではいったいどうやったらこんなことができるのか、どう見てもこれは本物にしか見えないのだが。
とまあ、そんなことを思わせるやばいシーンは予告編にもしっかり収められているので確認していただきたいのだが、これほど極端ではないにしろとにかくこの6時間の作品はそんな驚愕プチ驚愕プチプチ驚愕なシーンに満ちていて、いったい自分が何を観ていてどこにいるのかよくわからなくなる。対外的な説明としては「ピューリッツァー賞を2度も受賞した米国の作家、ノーマン・メイラー(1923-2007)の小説を下敷きに、彼の死後再生や転生と古代エジプト神話が交錯する物語」ということになるのだが、もちろん確かにそうであるもののまずはそこで行われていることや起きてしまっていること生まれつつある何か破壊されつつある何かの驚くべき確かさ、つまり、変化や運動の強さに圧倒されるばかりである。
それはおそらく、結果的にそこに描かれることになったあれこれがそこまで描かれることになった経緯や過程などが丸ごとそこに現れ出ているからではないかと思われる。通常の映画はそれを避けてきた。普通には撮れないものや状況を何事もなかったかのように描き出し、その軽々とした描写のスタンスで観客を魅了するのが映画の原則でもあった。しかしもちろん本作の監督であるマシュー・バーニーはいわゆる映画人ではないわけだから、そんな映画の原則を平気で乗り越えてしまうわけである。
たとえばダムでの撮影のためにどれだけのことが行われたのか、あるいは溶鉱炉での撮影を実現するためにどんな苦労があったのかカメラは溶けなかったのか、破壊される車のシーンでは関係者にどんな説明があったのかなど、そんな「映画」の外の現実が、丸ごと束になってこの映画の画面の中にさまざまな形で現れていると言ったらいいか。これは「映画外」によってのみ作られている映画なのだとさえ言いたくなる。目の前のこの現実すべてをまるで映画のセットのように扱って地球丸ごと映画にしてやろうという壮大な野心。霊界が黒いシミとなって現実界にあふれ出してくるというホラー映画があったが、この映画は現実界が霊界に押し寄せてそこで更なる現実を作り上げようとしているようでもある。
われわれは今ここを生きているのと同時にいつかどこかを生きているのだとふと思う。「わたしの外」のわたしの人生を、われわれはこの映画に観ることになる。自分の輪郭が膨張し幾重にも重なりあっていく、そんなゴージャスな人生を生きてみたいと思わないか? この映画はそんなふうにわれわれを誘っている。
映像オペラ「RIVER OF FUNDAMENT」
制作・監督:マシュー・バーニー
音楽:ジョナサン・べプラー
第1幕(1時間55分)第2幕(1時間48分)第3幕(1時間35分)
提供:トモ・スズキ・ジャパン (2014年/アメリカ/358分/4K DCP/4,096 x 2,160(1.89:1)/7.1chサラウンド/英語・日本語字幕)
会場:大阪市中央公会堂(国指定重要文化財)
◎9/1日/(日)13:00開場/13:30~ 途中2回休憩
www.tomosuzuki.com/rof2019osaka