〈フィクション〉というメイクを落として歌にした〈本当の気持ち〉。個人的な思いを吐露した極上のポップソングが導くのは、聴き手それぞれのストーリーで――
本当の気持ちを書きたい
シンガー・ソングライター、杏沙子のセカンド・アルバム『ノーメイク、ストーリー』は、そのタイトルが示唆するように、〈素顔〉〈生の感情〉がこれまで以上に反映された作品となった。

2018年の夏にミニ・アルバム「花火の魔法」でメジャー・デビューを飾った彼女。両親の影響で松田聖子、槇原敬之、DREAMS COME TRUEといった80~90年代の邦楽を聴いて育ち、作詞家・松本隆からの影響を公言している彼女は(大学の卒論のテーマが〈松本隆論〉だったという)、みずからのルーツに根差したオーセンティックな日本語のポップスを志向してきた。その中心にあったのは、映画のワンシーンのような描写とストーリー性を反映させた歌詞。それを洗練されたメロディーに乗せることで、質の高いポップソングを導いてきたのだ。前作アルバム『フェルマータ』は、良質なJ-Popのメソッドを受け継ぐソングライティング・センス、そして、叙情性と愛らしさを同時に感じさせるヴォーカルによって、耳の肥えた音楽ファンの間で高く評価されている。
そんな彼女の作風に変化が感じられたのは、昨年8月にリリースされたシングル“ファーストフライト”だった。ドラマL「ランウェイ24」の主題歌として書き下ろされたこの曲で、彼女は夢や目標を追い求めているときの〈自分にしか見えない心の中の風景〉を描いたという。想像や空想の世界ではなく、自身のリアルな感情を歌にするという創作における広がりが、本作『ノーメイク、ストーリー』に繋がっていることは間違いないだろう。
「前作『フェルマータ』の制作の最後に書いた“とっとりのうた”(彼女の出身地の思い出を綴った曲)、その後に出した“ファーストフライト”がきっかけだったと思います。それまでは自分のなかにある気持ちを曲にしてこなかったんですよ。フィクションというか、小説や映画のような感覚で歌詞を書くのが好きだったので。今もそういう方法は好きなんですが、去年くらいから〈本当の気持ちを書きたい〉と思うようになって。〈リアルに存在する感情〉を歌ったほうが聴いてくれる人との距離が近くなるということをその2曲で感じて、選ぶ言葉も変わってきました。以前は原稿用紙に向かうような感じだったのですが、今回のアルバムに入っている曲は、Twitterでつぶやいているような生々しい言葉が多いんじゃないかなって」。
自分自身がキュンとしないと
今回の新作『ノーメイク、ストーリー』は、〈私を見て!〉というストレートな願望を放つアップ“Look At Me!!”で幕を開ける。杏沙子自身のなかに自然に浮かび上がってきた言葉がもとになったというこの曲には、彼女が経験したリアルな感情の揺れ、そして、強い決意が反映されている。
「心が動いたときに出てきた言葉をメモしてて、それが先行する形で曲になることが多いんですよ。作っている段階ではハッキリわかってなくても、曲が出来上がって、〈こういうことを感じていたのか〉と気付くこともあって。“Look At Me!!”はまさにそういう曲ですね。私はもともと、〈自分を見て!〉みたいなガツガツした人がちょっと苦手だったんですよ(笑)。〈本当の欲望は隠したほうがキレイ〉というタイプだったんですけど、それでは自分のことを伝えられないし、私が本当にいいと思っている曲も聴いてもらえないなと思うようになって。今は〈自分から掴みにいかないと、何も得られない〉という気持ちが強いし、それは“Look At Me!!”にもすごく出てますね」。
また、〈夢を持って就いた仕事を辞める〉という彼女の親友のエピソードから生まれた“東京一時停止ボタン”も、このアルバムの起点になった曲の一つだ。
「高校のときからの大親友で、一緒のタイミングで上京してきて。彼女が仕事を辞めて苦しんでいる様子と、〈全部止まればいいのに〉という言葉が心に残って、どうしても曲にせざるを得なかったんです。じつは3年くらい前に作った曲なんですけど、フィクションとして書いた他の曲と馴染まなくて。今だから出せる曲だと思います」。
〈好きな人に会った後の、一人きりの長い夜〉を描いた“クレンジング”、恋が終わった夜の呟きから生まれたという“見る目ないなぁ”などのラヴソングも印象的。どちらも実体験がベースになっているそうだが、彼女の音楽制作を支えている山本隆二のアレンジによって、質の高い楽曲に仕立てられている。
「質が高いかどうかは自分では正直わからないけど(笑)、曲を書いてみて、自分自身がキュンとするというか、〈いいな〉と思わないとディレクターには送らないんですよ。たとえば“見る目ないなぁ”は、実際に〈見る目ないなぁ、見る目ないなぁ、見る目ないなぁ〉と口ずさみながら歩いてたのがきっかけなんですけど、そのときに〈いい曲になるかも〉というワクワクがあって。そういう自分のなかのラインは大事にしてますね。アレンジに関しては、もちろん自分のなかのイメージもあるんだけど、アレンジャーの皆さんの力がすごく大きいです。山本隆二さんのアレンジは、〈そうそう、そういう感じにしたかったんです!〉ということが多くて。“クレンジング”も、ちょっと酔ってフワフワしている気分だったり、この曲の元になった、実際に感じた一人の夜の雰囲気を上手く音にしてもらってますね」。
聴き手のなかで物語に
杏沙子とはメジャー・デビュー前から交流がある幕須介人が編曲した軽快なスカのビートと〈変わりたい〉という切実な思いがひとつになった“変身”、突如として別れてしまった友人のカップルのエピソードを起伏に富んだアップ・チューンに仕上げた“ジェットコースター”(編曲は横山裕章)も、〈リアルな感情 × 的を射たポップ・サウンド〉による化学反応が楽しめる楽曲だ。
「“変身”のアレンジを聴いたときは、〈えっ、スカ?〉ってちょっと驚きました(笑)。歌の内容はだいぶシリアスだったから、最初は〈こんな陽気なサウンドで合うのかな?〉と思ったけど、出来上がってみると“変身”がちゃんと音になってましたね。“ジェットコースター”は、別れる日にジェットコースターに乗りに行った友達の話がもとになっていて。横山さんは歌詞を読んでからアレンジを決める方で、この曲も歌詞の雰囲気を上手く取り入れてもらってます」。
宮川弾のクラシカルで切ない旋律と、「〈何かが静かに終わって、何かが始まる〉という情景」を映した歌詞が重なる“outro”、幕須介人の作詞/作曲による独特の浮遊感と官能性に溢れたミディアム“交点”など、作家陣とのコラボレーションによる楽曲もいいアクセントを生み出している。〈リアルに存在する気持ちを歌にする〉というモードで編まれた『ノーメイク、ストーリー』は、彼女自身のとっても意義深い作品になったようだ。
「自分のなかの流行もあると思いますが、今は〈本物の気持ち〉を書くのが楽しいし、自分にも刺さるんですよね。“ファーストフライト”もそうで、ずっと自分の心に残っているし、何度も救われて、お守りみたいな曲になっているんです。感情に従ってやりたいことを素直にやることで、もっともっと本当の気持ちに近づけるんじゃないかなって。ただ、物語として昇華することも、ずっと持っているテーマなんですよ。今回のアルバムは自分自身のことを書いた曲ばかりですけど、聴いてくれる方のなかで物語として楽しんでもらえたら嬉しいですね」。
個人的な思いから生まれた楽曲が、リスナーそれぞれのなかの新たな物語に繋がる。『ノーメイク、ストーリー』には、そんなポップスの理想の形が息づいているのだと思う。
杏沙子の作品。
杏沙子から広がるノーメイクな音楽ストーリーたち
〈おいしいとこだけわたしにください!〉なんて、なかなか表に出せないハングリー・スピリットをグルーヴィーに披露する“Look At Me!!”。冒頭から嬉しい驚きに見舞われる『ノーメイク、ストーリー』だが、どれほど弾けようとも特有の品の良さを纏っているのが杏沙子流のポップソング。ここでは、その洗練の背景から広がる音楽を紹介しよう。まず、映像喚起力の高い詞におけるルーツにあるのは本文にも登場する松本隆が手掛けた諸作。なかでも母親経由で杏沙子がよく耳にしていたという松田聖子の作品では、ナイアガラやはっぴいえんど周辺の作家陣が集結した『風立ちぬ』以降、切なく揺れる女心を綴った詞を長きに渡って贈っていた。また、メロディー作りで影響を受けているというaikoは、キャッチーながら風変わりな展開を見せる旋律はもちろん、とりわけ女性にとって共感度の高い詞世界も杏沙子との共通点と言えるだろう。
また、杏沙子のノーメイクな歌にシネマティックな音を誂えたアレンジャー陣の関与作にも注目したいところ。女子のあるあるを物語性の高い詞世界/ユーモラスな設定で描く吉澤嘉代子の作品には横山裕章が、架空の映画サントラを歌う男女ユニット、電影と少年CQの新作には作曲で幕須介人が、可憐な歌声を持つ声優アーティスト、諸星すみれの初作には宮川弾がそれぞれ参加している。そして、山本隆二(とディレクターの安藤雄司)は安藤裕子のプロダクションを初期から15年以上に渡り支え続けた存在だ。名作揃いだが、ここでは松田聖子へのオマージュ曲も収めた一枚をピック。さらに山本は坂本真綾作品でも多くの仕事を残しており、当人書き下ろしのショート・ストーリーを軸とするコンセプト作では、象徴となる表題曲の編曲を担当。たおやかな輝きを放つサウンドで、清廉な世界観を後押ししている。 *bounce編集部