〈フィクション〉というメイクを落として歌にした〈本当の気持ち〉。個人的な思いを吐露した極上のポップソングが導くのは、聴き手それぞれのストーリーで――

本当の気持ちを書きたい

 シンガー・ソングライター、杏沙子のセカンド・アルバム『ノーメイク、ストーリー』は、そのタイトルが示唆するように、〈素顔〉〈生の感情〉がこれまで以上に反映された作品となった。

杏沙子 『ノーメイク、ストーリー』 ビクター(2020)

 2018年の夏にミニ・アルバム「花火の魔法」でメジャー・デビューを飾った彼女。両親の影響で松田聖子、槇原敬之、DREAMS COME TR­UEといった80~90年代の邦楽を聴いて育ち、作詞家・松本隆からの影響を公言している彼女は(大学の卒論のテーマが〈松本隆論〉だったという)、みずからのルーツに根差したオーセンティックな日本語のポップスを志向してきた。その中心にあったのは、映画のワンシーンのような描写とストーリー性を反映させた歌詞。それを洗練されたメロディーに乗せることで、質の高いポップソングを導いてきたのだ。前作アルバム『フェルマータ』は、良質なJ-Popのメソッドを受け継ぐソングライティング・センス、そして、叙情性と愛らしさを同時に感じさせるヴォーカルによって、耳の肥えた音楽ファンの間で高く評価されている。

 そんな彼女の作風に変化が感じられたのは、昨年8月にリリースされたシングル“ファーストフライト”だった。ドラマL「ランウェイ24」の主題歌として書き下ろされたこの曲で、彼女は夢や目標を追い求めているときの〈自分にしか見えない心の中の風景〉を描いたという。想像や空想の世界ではなく、自身のリアルな感情を歌にするという創作における広がりが、本作『ノーメイク、ストーリー』に繋がっていることは間違いないだろう。

 「前作『フェルマータ』の制作の最後に書いた“とっとりのうた”(彼女の出身地の思い出を綴った曲)、その後に出した“ファーストフライト”がきっかけだったと思います。それまでは自分のなかにある気持ちを曲にしてこなかったんですよ。フィクションというか、小説や映画のような感覚で歌詞を書くのが好きだったので。今もそういう方法は好きなんですが、去年くらいから〈本当の気持ちを書きたい〉と思うようになって。〈リアルに存在する感情〉を歌ったほうが聴いてくれる人との距離が近くなるということをその2曲で感じて、選ぶ言葉も変わってきました。以前は原稿用紙に向かうような感じだったのですが、今回のアルバムに入っている曲は、Twitterでつぶやいているような生々しい言葉が多いんじゃないかなって」。