(左から)地本航、大石悠人、田井彰、あんちゃん
オフィシャルのアーティスト写真/佐藤早苗
 

〈battle de egg 2020〉、そして〈ツタロックフェス2020〉のオーディションで立て続けにグランプリをゲット、怒涛の勢いでその名を轟かせていた南蛮キャメロが、心機一転〈PLUPS〉と名前を変え、初の全国流通盤となるファースト・ミニ・アルバム『the the the』をリリースした。

この4人組バンド、いったいどんな音楽を奏でているのか、と待ち構えていた向きも多かったと思うが、70年代フォークの香りを漂わせた甘酸っぱいメロディーやパンキッシュでUK風味を漂わせたビートが縦横無尽に炸裂した、彼らの持ち味が凝集された仕上がりになった作品だと言えよう。

耳を澄まさなくてもサウンドの端々からクッキリと聴こえてくる和気藹々とした雰囲気も魅力的で(4人とも大阪市八尾生まれ、小学校からの幼なじみ)。そのワチャワチャとした空気感は、ヤンチャ盛りだったハンブルグ時代のビートルズとかをふと思い起こさせもする。何よりも、いますぐにでも表舞台へと飛び出していきたくてウズウズしている感じがヒシヒシと伝わってくるのが頼もしく、掛け値なしにイキのいいロックンロールを求めていたリスナーたちをビリビリと感電させること請け合い。そんな痛快な作品を作り上げたばかりの彼らに会いに行った。

俺、ミュージシャンになりたいねん

――全員が94年生まれで、小学校からの同級生になるんですね。

田井彰(ヴォーカル/ギター)「僕とここ2人(大石、地本)が野球部で、彼(あんちゃん)が引きこもりで」

あんちゃん(ギター)「引きこもりかい(笑)!」

――そんな4人が音楽でつながっていったきっかけを教えてください。

田井「小さい頃からピアノをやっていたんですけど、中1の頃にクイーンの音楽に出会い、フレディ・マーキュリーが歌う映像を見て、〈カッコいい! これになりたい!〉って。僕が見たのは、オールバックで胸毛……というイメージじゃない頃のフレディだったんですが……」

――“Bohemian Rhapsody”(75年)を出したあたりの、まだアイドル期のフレディですね。

田井「そうですそうです。それでいきなりなんですが、あんちゃんに〈ミュージシャンになろ〉って声かけて」

あんちゃん「休み時間の廊下で〈将来の夢ある?〉って訊かれて、〈決まってないけど〉って言うと、〈俺、ミュージシャンになりたいねん〉って唐突に(笑)。で、〈よかったらいっしょにやれへん?〉って誘われ、僕はそっから音楽を真剣に聴き始めるんです」

――有無を言わせず引きずりこまれた形だったと。

田井「そこから音楽の情報を共有し合うようになり、ふたりでギターも始めて。その後、中3のとき、文化祭で地本(航)がドラムを叩いているのを目撃し、いっしょにやろうと誘うわけです。それから高校生になって、大石くんが軽音部に入ったことを知りまして」

大石悠人(ベース)「田井とあんちゃんの2人とはその前からずっと仲良くって。僕もギターを始めたんですけど、Fコードで挫折しました(笑)。僕以外の3人がスタジオに入ったりしているのを知ってたんですが、彼らがライブハウスに出ることになり、僕がギターやってたこともあって〈ベースやってえや〉って誘われたのがきっかけですね」

 

竹内まりや、the pillows、レッド・ツェッペリン……PULPSを作った10枚

――自然な形で4人が結集してバンドが動き始めていった感じだったんですね。今回インタビューを行うにあたって、4人それぞれが多大な影響を受けたアルバムをピックアップしてもらったわけですが、ここではそれらをふまえて、リスナー/ミュージシャンとしてどう歩んでいったのかについてお話を伺えたらと。まずあんちゃんさんはクイーンからレッチリへと段階を踏んでいったわけですね。

あんちゃん(ギター)の3枚
クイーン『Jewels』(2004年)
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ『Stadium Arcadium』(2006年)
おとぎ話『REALIZE』(2019年)

あんちゃん「レッド・ツェッペリンとかガンズ・アンド・ローゼズとかハードロック寄りになるんです。当時はアイアン・メイデンも好きやったし」

田井「いま(の趣味)とぜんぜん違うよな」

――やっぱりギター・キッズは、派手なテクニックを繰り広げる方向に魅かれるという傾向がありますよね。田井さんもツェッペリンを挙げていらっしゃるけど。

田井彰(ヴォーカル/ギター)の3枚)
竹内まりや『Impressions』(94年)
レッド・ツェッペリン『Led Zeppelin』(69年)
フジファブリック『SINGLES 2004-2009』(2010年)

田井「ギタリストとしていちばん練習していた中学の時期のギター・ヒーローが、ジミー・ペイジでした。決してテクニシャンじゃないし、ぜんぜん丁寧に弾かないけど、逆にそこがカッコよかった」

――変わったリズム感の持ち主だし。

田井「そうなんですよ。あのニュアンスはどんなに練習しても出せないですよね」

地本航(ドラムス)「渋い中坊やなぁ(笑)」

レッド・ツェッペリンの69年作『Led Zeppelin』収録曲“Your Time Is Gonna Come”
 

――そんな地本さんが挙げてらっしゃるのはポケモンのコンピとマキシマム ザ ホルモンのアルバムで。

地本航(ドラムス)の2枚
VA『みんなでえらんだポケモンソング』(98年)
マキシマム ザ ホルモン『ぶっ生き返す』(2007年)

地本「最初にコピーしたのもホルモンやったし、そこからずっと好きで、もうそれしか聴いていないぐらい(笑)。いろんな音楽を知ったけど、やっぱり俺はホルモンが好き」

――大石さんも日本のロックから2作を選ばれています。

大石悠人(ベース)の2枚
the pillows『LITTLE BUSTERS』(98年)
GOING STEADY『さくらの唄』(2001年)

大石「親の影響で日本のロックをいろいろと聴いていて、音楽を好きになる入り口はそこになりますね。知った頃にはもうすでに解散してましたけど、ブルーハーツとかも大好きで。あと〈Mステ〉でクロマニヨンズが“エイトビート”(2008年)を演っているのを観て、あまりにカッコよすぎて〈バンドやってみたい!〉と思った」

――パンクが入りなんですね。GOING STEADYもそういった流れから?

大石「ゴイステは僕の青春といってもいい存在なんですけど、ベーシストのアビコシンヤさん、それからthe pillowsのサポートだった鈴木淳さん、ミッシェル・ガン・エレファントのウエノコウジさんは、僕のなかの3大ベーシスト。僕もそうなんですけど、3人ともピック弾きなんですよ。鈴木さんや上野さんが弾くベースのフレーズにはだいぶ影響されてます」

――もう一枚のthe pillowsを初めて聴いたのは?

大石「中学の頃、昼休みの放送でthe pillowsの“Funny Bunny”(99年)が流れたんです。コレめっちゃカッコええなぁ、って田井に話しかけたら〈え、知らんの?〉って言われて。誰でも知ってますけど、みたいな感じで(笑)」

田井「イキってたんやな(笑)」

大石「だから聴くようになったきっかけは田井なんです」

地本「the pillowsは僕も好きで、漫画『SKET DANCE』に登場したこともあって流行っていたんですよ。本格的に聴き始めてからすごくハマって、バンドのアレンジにもかなり影響を与えてますね」

the pillowsの98年作『LITTLE BUSTERS』表題曲のライブ映像
 

――じゃあ、the pillowsの音楽ってPULPSにとってロック・バンドのひとつの理想形、ってところもあるんですね。シンプルなロックンロール・サウンドなのに、アンサンブルやフレーズに独自のセンスが光っていて、すごくイカしているあたりは確かにPULPSと共通するところがある。

それからPULPSの魅力といったら、なんといってもすべての楽曲を手がける田井さんの作る瑞々しいメロディー・ライン。青春期からすでに遠く離れた僕のようなリスナーのハートをくすぐるメロディーが、ファースト・ミニ・アルバム『the the the』にもてんこ盛りになっている。だもんだから、田井さんの影響受けた1枚に、竹内まりやのベスト・アルバムがあるのを見て、かなり納得したというか。

田井「親がまりやさんを好きで、小さい頃からずっと聴いていました」

――ソングライティングの面で影響を受けた存在でもある?

田井「う~ん、直接的には意識してないかも。でもよく考えてみると、小さい頃に聴いていた彼女の曲から無意識に影響を受けていたのかもしれないなって思って挙げたんです」

――彼女の楽曲に魅かれる部分をあえて言葉にしてみるとどんなところ?

田井「ビートルズに対するオマージュの方法にも魅かれますね。僕自身、ビートルズの遺伝子を感じさせる音楽から影響を受けているんで」

――そういうビートルズにオマージュを捧げるいまのバンドの音楽を経由してビートルズに辿り着いたんですか?

田井「いえ、誰かを通すこともなく、直接ビートルズの音楽に辿りついていました。もともと60年代、70年代の洋楽が入り口だったし、そこからオアシスなどのビートルズから連なる系譜を知った流れですね」

あんちゃん「僕と田井はそうやって歴史を掘り下げるように音楽を聴いていくのが好きだったんです」

田井「ただ周りには、そういう音楽の聴き方をしている人がいなかったですね」